大宰府 天満宮(2)
2009年 01月 23日
参道を歩くと、道端に何気なく短歌が書いてある。これは平重衡が詠んだ歌である。「住みなれし 古き都の 恋しさは 神も昔に おもひしるらむ」
さて、参道の両側に並ぶ土産物屋をあっちこっちと覗きながら、そぞろ歩くとやがて突き当たりの左側に大きな鳥居がある。
さらに、この鳥居の脇に石塔があり、「大宰府 天満宮」と記されている。
これが天満宮の入り口とも呼ぶべきところである。普通のイメージでは、参道をまっすぐ行き、正面に鳥居があり、さらに奥が本殿となるべきなのであろうが、この大宰府天満宮は鳥居が参道から左に直角になっており、そしてその奥が本殿と言う配置になっている。この配置は、参道の突き当りが山になっていること、本殿と大宰府駅との位置関係などから、このような配置に結果としてなってしまったのだろうか。
この鳥居をくぐって進むと、池が現れ、そしてそれを跨ぐかのような2つの赤い太鼓橋が現れる。
太鼓橋の周辺には、多くの梅の林があり、なかなか形の良い枝を広げている。中には、著名人などから寄贈された梅の木もあるようである。残念ながら今は1月の中旬を過ぎたところで、梅の開花にはまだ早すぎであり、やっとつぼみが膨らんできたところといったところだったが。
紛れも無く、この太宰府天満宮のキーワードは「梅」であり、菅原道真公の呼んだ短歌にその源を発しているであろうことは想像するに難くない。したがって、梅が枝餅であり、梅林であるのである。
境内を歩きながら思いついたことがある。「梅」と言えば、台湾のシンボル的な花が「梅」である。台湾の航空会社の尾翼には梅の花が描かれている。中国人の女性の名前に「梅」という文字が使われることが多い。言ってみれば、梅という花は「かぐわしい」「うつくしい」などのイメージで、女性的なイメージ、あるいは女性にふさわしいと言うことなのであろう。また、梅林といえば、水戸の偕楽園なども有名である。私は訪れたことは無いのだが、例年多くの観光客で賑わうという。ここ、天満宮も梅花が満開の折にはまた見事なものなのだろうと想像を膨らませてみた。
さて、境内を本殿に向かって進む。配置図にも有るように、本殿は建物で四角に囲まれた最深部にある。こういう造りをなんというのかは知らないが、言ってみれば建物の中庭に踏み込んだような感じである。この中庭への入り口にある門の役割をはたす大きな建物がある。
また、この周辺には、小さな社がいくつか点在しており、簡単な説明も書いてある。もっとも、日本史の苦手な私には、理解できないことも多いのだが。
さて、いよいよ本殿である。
言うまでも無く、太宰府天満宮は「学問の神様」として知られている。多くの受験生が、高校や大学の入試合格を祈願しに訪れることで有名である。今は丁度受験シーズンであり、この日も多くの受験生が本殿に向かって手を合わせていた。
長くなってきたので、次回に続きを。