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中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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忘年会

年末と言えば、日本の会社では「忘年会」がすぐに連想される。中国においても、やはり忘年会的行事がある。いろいろな言い方があるのかもしれないが、代表的なのは「終年宴会」などと称されるパーティである。要は、会社の一年が終わるに当たって、会社が従業員を招待し、ディナーパーティを催す。

1月末から、取引様各社の忘年会に招待を受け、何社か出席した。まずはA社。PCB A‘ssyをやっている会社である。我が社とは老板同士が長い付き合いで、お互いの事業協力もある。私も、我が社にとっては専門外のPCBに関して、実験をしたり、教えを受ける為何度か訪問したことがある。工場ワーカーも含め数百人が出席。近所の3つ星ホテルの大きな会議場を借りてのパーティであった。

招待されたのは我が社他取引先や、長い付き合いのある数社。ほとんどが老板や経営TOP。そしてほとんど香港人。話は広東語であり、私には全く分からない。が、それぞれの招待客に紹介され、名刺を交換する。ある、香港系グループ企業のオーナー3兄弟。長兄が社長兼営業担当で、次兄が経理担当、末弟が開発技術担当とか。カシオ3兄弟の話をして、妙な意見の一致を見た。他の数社も老板はすべて香港人。我が社からの出席者はオーナーと営業担当経理、そして私。私以外はすべて香港人である。オーナーに誘われてのこのこ出席したのだったが、私に香港人コミュニティを見せようと言う気持ちだったのかもしれない。幸い、香港人はほとんどの人が英語を話すので、コミュニケーションには問題は無い。が、香港の文化、歴史的背景をベースにしたジョークには付いてゆけない。彼らは何時までも、広東語で、ジョーク交じりに、また真剣にディスカッションを続ける。

T社。香港資本の会社なのだが、日本人のオーナーが買い取った為、社長は日本人のHさん。我が社のパーティや、T社のパーティで何度か顔を合わせたことがある。私もH社長とは馬が合い、手持ちの文庫本やTV番組を録画したDVDなどを交換したりして、交流をしている。

恵州市内の海鮮料理レストランの3階を借り切ってのパーティ。何時パーティが始まったのかはよく分からないが、いつの間にか宴会になり、ブランディやら中国の焼酎“白酒”などで、乾杯の嵐。特に社長はいわゆるカリスマ的性格なだけに、ほとんどの従業員から乾杯を誘われ何杯ものブランディを飲み干していた。2時間前後の食事の後、スタッフたちは、テーブルに残された料理を、バックや器に詰め込み、三々五々引き上げていった。

A社でも、T社でも食事のあとは幹部及び招待客たちがカラオケへと繰り出す。カラオケに行って、更にお酒のピッチが上がる人、中国語や台湾語、広東語を使い分けながら、歌を絶唱する人。いわゆる“カラオケ小姐”を一生懸命口説く人、そしてさいころゲームなどに興ずる人などがいて、カラオケルームで盛り上がる。そして香港人コミュニティらしいところは、いつでもどこでも何かの些細なことで真剣に議論する。香港人は本当に話好き、議論好きであると思わざるを得ない。

私は、そう言った余興には加われないので、もっぱら日本語のカラオケを歌って、時間を費やす。香港人の中には、結構日本の歌が歌える人がいて、私に合わせて一緒に歌ったりする。いつの間にか十年来の知古の様に思えたりするから不思議である。

今年は、我が社は時間がまとまらず、会社ぐるみの忘年会は断念し、各部門ごとの忘年会になった。私が担当する業務部(営業部)は恵州市内のとある韓国料理店の一室を借り切って行った。韓国名物の焼肉を食べ、名前は忘れたが韓国の“清酒”をのみ、大いにしゃべって盛り上がった。

旧暦の新年は2月7日。新しい気持ちでこの難局を乗り切ってゆかねばならないと思いつつ、何回かの忘年会に出席してきた。
by wata1150 | 2008-02-05 23:55