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中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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L君の退職

我が社で、その経営の根幹を支えている開発技術のL君が退職することになった。L君は多分30歳を越してはいないと思う。1年半前に我が社に入社し、開発技術を担当してきた。いわば我が社における技術開発の第一人者である。

我が社は大分前に投稿した記事に書いたが、その前身はいわば「コピーメーカー」に近く、他社品の物まねをして、低価格で市場を獲得してきた。それが、ここ数年、コピーは姿を消しつつあり、自社開発品を市場に出すようになってきている。そして、その中心的役割を果たしてきたのがL君であった。さらにごく最近では、技術的にもかなり難しいかなり複雑な構造を持つ製品も開発し、特許を取得し、市場に出荷できるまでになってきた。さらに周辺技術と融合した機能部品というジャンルも手がけ出している。そういった、会社の大幅な変身に大いに寄与してくれたのが、L君であった。

L君はまた、TADAビジネススクールの優等生でも有った。私が入社してから、客先対応、新規開発での問題解決、他部門との調和などほぼ毎日のように議論を交わした。実験データの読み方、展開の仕方、データのまとめ方から技術報告書の書き方まで、私が改革を試みてきた技術開発の管理についても、彼を通してやってきた。技術的に解決困難な課題にぶつかると、ともすれば弱気になる時もあったが、励まし、一生懸命一緒に解決をしようと力をあわせたこともある。

以前の彼は、課題があると、少し待ってくれといって数時間から数日、私を待たせた。そして何とか解を持って私に説明してくれた。しかしそれは、彼の技術力でなしうる範囲であり、決して一歩前進したとはいえないものであった。彼にしてみたら、何とか面子を保てたと言うことなのだろうが。ここ数ヶ月、彼は何度か難しい局面に陥った。自分の知識、既存の技術力では解決困難と思える課題であったに違いない。私に解決する方法を相談にも来てくれた。無論私は技術者ではないから私が解をあげることは出来ない。が、以前技術をかじっていたので、解にたどり着くプロセスや考え方は、少しは教えられる。そうやって、課題を克服しながらここ数ヶ月が過ぎた。

ある日、老板に呼ばれた。L君が退社すると言う。さすがに私は驚いた。いきさつを聞いて見ると、老板が怒るのも無理はない。言わば背任であった。横領はしていなかったが。私はその時の老板の悔しそうな顔を忘れない。老板がどのように、L君を期待していたか、サポートしていたかは私も良く知っていただけに、私も非常に悔しかった。それでも、気分が落ち着いてから、首にするのは辞めよう、せめて罰金ぐらいにしよう、と相談し、最終的には老板も理解を示してくれた。

しかし、L君は彼自身この会社から離れてしまった心を戻すことはなかった。聞けば、将来独立して会社を興すアイデアを持っているらしく、これを機会に退社して新会社を興すと言う。残念では有るが仕方がない。何とか円満退社という形にして、後腐れが無い様にしてやることにした。

L君の退社は我が社にとっては痛い出来事である。どのようにこの穴を埋めるのか、どのように新しい技術者を獲得するのか。これから、老板や総経理と相談しながら決めてゆかなければならない。とりあえず、何人かの技術者の獲得を依頼した。

中国ローカル企業において、技術と言う職種は日本企業ほどには優遇されない。従って、かなりの流動性がある。企業にとってその生死を決める場合も多い技術力をその企業内に残し、積み重ねてゆくと言う仕組みを今後作ってゆく必要がある。頭脳流出、中国の地方都市にある中小企業である、我々の会社にとっても頭の痛い問題である。
by wata1150 | 2007-09-22 18:20 | ちょっと仕事