中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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弟の死    49日の法要

弟が死んで、49日を迎えた。

弟が死んだのは1月3日の朝。正式な葬式は、正月が終わる1月15日が過ぎてからと言うことで、1月17日に行うことになっていた。私は1月6日の火葬には参加したものの、仕事があるため1月10日に中国にもどった。そのため、通夜とか葬儀には参列できなかった。今日、49日と言うことで、線香を上げに、実家に行った。弟のことを心の中で思うことで、葬儀に参列しなかったことを埋め合わせることにした。

この文章は、ブログに載せるかどうかで、実は相当に迷った。ブログタイトルにも合わないし、あまりにも私的で、かつ公にするには多少はばかられる内容でもある。しかし、葬儀に参加しなかったことによる、心の区切りがつかないことを、この文章をブログに載せること、つまり公にしてしまうことで吹っ切ることにしたいと考えた。「葬式という儀式は、死んだ本人の為ではなく、生き残った人のためにすることである」という言葉を聴いて、まさにその通りだと思ったことにもよる。私は、折に触れて、亡くなった弟の思い出のことを、何度かに分けて書いてゆこうと決めた。

私は、大学をでて、大阪の会社に就職することになった。弟は言った。「兄貴、おれはこの家に残って親父とお袋の面倒を見る。2度とこの家に、帰って来るな。」私は、口下手な彼の私に対する精一杯の激励としてこの言葉を受け取っていた。かれは私より2歳年下だから、彼はせいぜい20歳のころだった。「辛くても、寂しくても、逃げてこの家に戻ってきてはいけない。自分でしっかり生活基盤を築き、家庭を持ち生きてゆけ。」ということだったのだと思う。「親父のことも、おふくろのことも任せておけ。私が長男だからということで、家のことを足かせにしなくともいいよ。」そういうことだったのだと思う。もっとも私は、最終的に彼の住んでいる家(私の生家)から車で一時間ほどの所に家を買い、家族と共に移り住んだのだったが。

弟は生涯独身だった。何度か結婚話は有ったのだが、結果として結婚することはなかった。そして、両親と一緒に住み、父親が亡くなった後は母親と一緒に住んだ。妹が会社を辞めてからは、妹も一緒に住んでいた。妹は言う。「もし彼が結婚していて、家族がいたならば、こんなことにはならなかったかもしれない」と。彼にも何度か結婚話は有ったらしい。少なくともそのうちの一つは私も知っている。私が結婚する以前のことであった。相手は彼の同級生の女性だったと思う。私のところに電話をしてきた。「兄貴、早く結婚したら?」 私は不審におもって、聞いて見ると「結婚したい女性がいる。だが親父が反対している。“兄貴が先に結婚しなければ”ということだそうだ」と。「私は一笑に付して、“関係ない。どっちが先でもかまわないから、結婚したい人がいるなら、結婚したらいい。」そう答えた。結局彼は、その時結婚できなかった。

その後も、何度か結婚話が有ったらしい。が、“彼の奥さんは両親と一緒に住む”という前提が出来ていた為、彼や相手の方が良くても、私の親父やお袋が反対し、結局全て駄目になったらしい。彼は、自分の結婚に“両親とも同居”という付帯条件を付け、自分が気に入るだけでは駄目で、両親も気に入らなければいけない、というより厳しい条件にしてしまったため、結果的にその条件に見合う相手に遭遇することができず、結婚できなかったのだ。自分の家庭を作ることを犠牲にしてしまったともいえる。私はこの話を年老いた母親から聞いた。母親にはなんとも答えようが無かった。せめて、本人から聞いていたら、また別の感想も言えたかも・・・とは思ったが。

弟は、医者嫌いであった。風邪を引いてもせいぜい風薬程度ですませ、医者にかかることはなかった。また、普段は自分の体調をどうこう言うことはほとんどなかったという。今回、明け方に何度か起きてきたときにも、何かおかしいとは言わなかったらしい。同居していた家族が年老いた母親や、妹ではなく、妻や子供であったらどうだったであろうか。

私は、今は糖尿病という、だらしない生活をしたが故の、俗に言う生活習慣病に冒されている。私の上の息子は、クローン病という難病を持ちながら、大学生活を続けている。それでも、日頃の注意を十分に行い、定期的に病院に通っていれば、結構普通の生活は維持できる。それは家族の存在が大きいと思う。体調が悪ければ、家族に話せば、適当なアドバイスをくれる。医者に行く口実も出来やすい。弟には本当の意味での家族は無かったのかもしれない。年老いた母親や、妹では、愚痴をこぼすこともままならなかったし、体調の異常も告げにくかったのではないだろうかと思う。

お袋は“彼は今どこで何をし、私達をどんな風に見て、どのように思っているのか”という言い方で、彼を偲んでいるそうだ。「“百万億土”の彼方から、いつもしっかり見ているよ。」と誰かが言う。私も彼に“いつも見られている”ことを意識して、生きてゆかなければ・・・と思うのである。
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by wata1150 | 2007-02-20 23:16 | 雑感