中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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ついでの中国語の不思議

前回で幾つかの事例を紹介したが、投稿後に更に思い出したことがあったので“ついでの事例”として、紹介したい。

ついでの事例―その1.
台湾での話。日本が戦争をする前、60年か70年、あるいはそれ以上前、台湾は日本の占領統治下にあったとき、台湾における教育は日本語によって行われていた。その時に教育を受けた世代は、今ではかなりの方が既にこの世を去っている。が、十年ほど前、私が台湾に出張したときにたまたま、台湾の南部高雄市である老夫婦と出合った。この老夫婦は、いわゆる高砂族とか言われた、台湾原住民である。日本語教育の世代なので、夫婦の会話は日本語で行っていると言う。この夫婦の間には9人の子供がいたらしいが、その時に生き残っていたのは3人だけで、あとは早逝してしまったとか。

さて、この子供の世代は、教育が福建省から渡ってきた中国人であったため、福建語あるいは台湾語とも呼ばれる言語によって行われ、日本語は禁止された。その結果この世代の人たちは、親の言葉を聞いて覚えたわずかな日本語を使う機会は自分の両親との会話しかなく、受けた教育によって台湾語を日常用語として使っている。

この世代の子供達、つまり老夫婦の孫世代は・・・というと、教育は中国の影響により、以降現在までずっと普通語である。親が話す台湾語は、多少は理解できるが、日常会話、公式用語、感情表現などはすべて普通語によって行われている。その結果悲劇が起こった。祖父、祖母の世代と、孫の世代とは十分なコミュニケーションができないのである。特に台湾でも台北市に仕事の関係で人口が集中し、祖父母の世帯とは離れて暮らすケースが多い。そのため、ますますコミュニケーションができない。したがって、ますます疎遠になってしまったのである。

ついでの事例―2
私が、現在の会社に入る前、上海に一年間ほど住んだことがある。上海のローカル言語は上海語である。無論のこと、私は理解できない。さて、上海に生まれ、上海に育ち上海語と普通語を自在に使うA君という男性がいた。彼は江蘇省の北部の生まれのある女性と知り合い、結婚した。無論二人の会話は上海語ではなく、普通語である。

子供が出来た。子供達は、両親の普通語を聞いて覚え、普通の学校で普通語を何の抵抗も無く学習し、唯一の「Mother’s Language」として受入れ、上海語は使えもしない。この世代の子供達は、親達が別の地方の人同士で結婚した為に、上海語というローカルの言葉を覚えるチャンスを失ったのでる。無論、成人する過程で、多少の上海語は習得するであろうが、次の世代の「Mother’s Language」にはなりえないのである。何世代かあとには、上海から上海語が消えてしまうということが起こるかも知れない。そんな感想をこの夫婦は私に残してくれた。
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by wata1150 | 2007-01-24 01:24 | 雑感