12月31日 2006年大晦日
2006年 12月 31日
今日は大晦日。今年ももうすぐ終わり、まもなく新年を迎えます。
今年もまた、私にとっては激動の年でした。
昨年7月に入社した会社で上海に勤務することになって一年、6月末で退社しました。いろいろな背景があったものの精神的にも、かなり悩みました。
それから以降5ヶ月間仙台で仕事を探しながら過ごしました。 家族と一緒に過ごしたこの5ヶ月間は、経済的には妻や子供達に大いなる負担をかけましたし、精神的にも大変でした。再就職はできないのではないかと悩みましたし、このままいれば残っている住宅ローンも返済できないのではないかとも思いました。一方、私には仕事をする能力がないのではないかと言うジレンマも抱えて、いたたまれなくなる事もしばしばでした。凄く焦ったこともありました。
11月末に思い切って深圳に来て数社の面接を受け、やっと現在の香港系の会社に就職することが出来たときには、かなり安堵したことは事実です。妻や、子供達にも一安心させることが出来ました。正月に帰国できない、家族と連絡するのもメールやメッセンジャー中心、などという従来とは違う生活環境の中でも、仕事が出来る、給料が規定の日にはもらえると言うことが如何にありがたいものかを感じざるを得ません。
来年は、精神的にはもっと穏やかに暮らしたいと思います。 一方現在私を雇ってくれているこの会社に、少しでも貢献したいと思わざるを得ません。黄董事長には大恩を感じています。
そして、上海にいたときにお付き合いいただいた諸兄、ブログを通してアドバイスをいただいたり、励ましをいただいたり、再就職の支援をしていただいした方々にも深く御礼申し上げたいと思います。皆様に助けて頂きっ放しの一年でした。
おかげさまで、私のつたないブログも18ヶ月も継続でき、総投稿数も260件を超えました。途中で「TADAの上海日記」というタイトルが「TADAの中国滞在記」に変わりましたが、相変わらず皆様に読んで戴いていることに、重ねて感謝しています。今後とも何とか継続して続けて行きたいと思っています。
重ねて、今年は本当、本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。来年は皆様方にとってもすばらしい年になりますように、お祈りいたします。私にとってもより良い年となるよう、頑張りたいと思います。
今年もまた、私にとっては激動の年でした。
昨年7月に入社した会社で上海に勤務することになって一年、6月末で退社しました。いろいろな背景があったものの精神的にも、かなり悩みました。
それから以降5ヶ月間仙台で仕事を探しながら過ごしました。 家族と一緒に過ごしたこの5ヶ月間は、経済的には妻や子供達に大いなる負担をかけましたし、精神的にも大変でした。再就職はできないのではないかと悩みましたし、このままいれば残っている住宅ローンも返済できないのではないかとも思いました。一方、私には仕事をする能力がないのではないかと言うジレンマも抱えて、いたたまれなくなる事もしばしばでした。凄く焦ったこともありました。
11月末に思い切って深圳に来て数社の面接を受け、やっと現在の香港系の会社に就職することが出来たときには、かなり安堵したことは事実です。妻や、子供達にも一安心させることが出来ました。正月に帰国できない、家族と連絡するのもメールやメッセンジャー中心、などという従来とは違う生活環境の中でも、仕事が出来る、給料が規定の日にはもらえると言うことが如何にありがたいものかを感じざるを得ません。
来年は、精神的にはもっと穏やかに暮らしたいと思います。 一方現在私を雇ってくれているこの会社に、少しでも貢献したいと思わざるを得ません。黄董事長には大恩を感じています。
そして、上海にいたときにお付き合いいただいた諸兄、ブログを通してアドバイスをいただいたり、励ましをいただいたり、再就職の支援をしていただいした方々にも深く御礼申し上げたいと思います。皆様に助けて頂きっ放しの一年でした。
おかげさまで、私のつたないブログも18ヶ月も継続でき、総投稿数も260件を超えました。途中で「TADAの上海日記」というタイトルが「TADAの中国滞在記」に変わりましたが、相変わらず皆様に読んで戴いていることに、重ねて感謝しています。今後とも何とか継続して続けて行きたいと思っています。
重ねて、今年は本当、本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。来年は皆様方にとってもすばらしい年になりますように、お祈りいたします。私にとってもより良い年となるよう、頑張りたいと思います。
by wata1150
| 2006-12-31 00:33
| 挨拶