前の会社の同僚に会った
2005年 08月 06日
蘇州に行きました。蘇州は私が以前勤務していたM社の中国の工場がある都市のひとつです。
その工場にいるT氏に電話をしました。T氏は在籍しており、夕方に会うことにしました。
夕方、蘇州駅の中にあるケンタッキーの2階の客席であいました。彼はM社を定年退職し、再雇用で蘇州工場に勤務しているのでした。思ったより、元気ではつらつとしており、あ!生きがいを持って仕事をしているのだな!と直感しました。奥さんはシンガポール人で、日本の千葉県に住んでいるとのこと、蘇州には単身赴任であるとの事。でも、蘇州は日系の工場が多く、住民の日本人比率が高く、むしろ仕事でも、生活でも結構日本語で大概事は足りるとのこと。しかし、やはり彼の中国語はそれなりに使えるレベルになっているようでした。同工場にはもう一人、私と同じ部門にいた人がいるとの事。電話で話をし、次回蘇州に来たときに再会することを約束し、帰りの特急に乗りました。
また、当日仕事で訪問した会社では工場品質の責任者の方が日本人で、前やはりM社の大阪の事業場で長年勤務された方でした。いや、中国は広いようで狭いな!と思いました。
その工場にいるT氏に電話をしました。T氏は在籍しており、夕方に会うことにしました。
夕方、蘇州駅の中にあるケンタッキーの2階の客席であいました。彼はM社を定年退職し、再雇用で蘇州工場に勤務しているのでした。思ったより、元気ではつらつとしており、あ!生きがいを持って仕事をしているのだな!と直感しました。奥さんはシンガポール人で、日本の千葉県に住んでいるとのこと、蘇州には単身赴任であるとの事。でも、蘇州は日系の工場が多く、住民の日本人比率が高く、むしろ仕事でも、生活でも結構日本語で大概事は足りるとのこと。しかし、やはり彼の中国語はそれなりに使えるレベルになっているようでした。同工場にはもう一人、私と同じ部門にいた人がいるとの事。電話で話をし、次回蘇州に来たときに再会することを約束し、帰りの特急に乗りました。
また、当日仕事で訪問した会社では工場品質の責任者の方が日本人で、前やはりM社の大阪の事業場で長年勤務された方でした。いや、中国は広いようで狭いな!と思いました。
by wata1150
| 2005-08-06 14:37
| 日記