茅野市
2009年 11月 17日
日本に出張して、JR茅野に降り立った。茅野市というと、海外からはあまりなじみのある地方ではない。ここにF社という会社があり、技術購買の方と話をする目的で訪れたのである。
茅野市というのは、私にとっては少しばかり縁がある。私がまだ大阪に勤務していたころの同僚が早期退職し、白樺湖の近くにKというペンションを始めた。誘われるがままに、大阪から車で家族旅行のつもりで出かけた。それから、私が東京に転勤しても、また仙台に居を移してからも、家族で、妻と二人だけで何度か訪問し、オーナー夫妻との交流を続けた。ここ数年はお互い年をとったせいもあり、すっかり疎遠になってしまったが。白樺湖周辺に車で行くには、茅野を通ることになり、それで茅野市はなじみになったのである。
JRで茅野に降り立つのは始めてであった。
駅前は閑散としており、カメラのファインダーを向けても人影は写らない。兎も角、朝に茅野に到着し、F社との打合せを終えて茅野駅に戻り、信州は蕎麦処ということで蕎麦屋に入ることにした。駅のまん前にある蕎麦屋さんに入った。
肌寒い日ではあったが、蕎麦の味は笊でなくては・・・と、天笊を頼んだ。
もっとも、私自身蕎麦通ではなく、むしろ味覚音痴に近いのであるから、この蕎麦がどんなレベルなのか、そんなことなどはわかりはしない。空腹を満たすためにあっという間に平らげただけではあったが。
列車の時間まではまだ間があるので、蕎麦屋の中を見渡すと、なにやら鉢植えが、さりげなく飾ってある。
無機質な仕事をした後の乾いた心に一筋の太陽がさしたようである。蕎麦の味はわからないが、きっと美味しい蕎麦だったに違いないと一人で納得して、駅前に戻った。
駅前には相変わらず人影は無い。広場に置かれた蒸気機関車がぽつんとおいてある。
以前は、このあたりも多くの人がこの駅を経由して旅をしたに違いない。しばらく機関車を見ることも無く眺めていると、やがて特急あずさ新宿行きが入ってくる時間であった。
茅野市というのは、私にとっては少しばかり縁がある。私がまだ大阪に勤務していたころの同僚が早期退職し、白樺湖の近くにKというペンションを始めた。誘われるがままに、大阪から車で家族旅行のつもりで出かけた。それから、私が東京に転勤しても、また仙台に居を移してからも、家族で、妻と二人だけで何度か訪問し、オーナー夫妻との交流を続けた。ここ数年はお互い年をとったせいもあり、すっかり疎遠になってしまったが。白樺湖周辺に車で行くには、茅野を通ることになり、それで茅野市はなじみになったのである。
JRで茅野に降り立つのは始めてであった。
駅前は閑散としており、カメラのファインダーを向けても人影は写らない。兎も角、朝に茅野に到着し、F社との打合せを終えて茅野駅に戻り、信州は蕎麦処ということで蕎麦屋に入ることにした。駅のまん前にある蕎麦屋さんに入った。
肌寒い日ではあったが、蕎麦の味は笊でなくては・・・と、天笊を頼んだ。
もっとも、私自身蕎麦通ではなく、むしろ味覚音痴に近いのであるから、この蕎麦がどんなレベルなのか、そんなことなどはわかりはしない。空腹を満たすためにあっという間に平らげただけではあったが。
列車の時間まではまだ間があるので、蕎麦屋の中を見渡すと、なにやら鉢植えが、さりげなく飾ってある。
無機質な仕事をした後の乾いた心に一筋の太陽がさしたようである。蕎麦の味はわからないが、きっと美味しい蕎麦だったに違いないと一人で納得して、駅前に戻った。
駅前には相変わらず人影は無い。広場に置かれた蒸気機関車がぽつんとおいてある。
以前は、このあたりも多くの人がこの駅を経由して旅をしたに違いない。しばらく機関車を見ることも無く眺めていると、やがて特急あずさ新宿行きが入ってくる時間であった。
by wata1150
| 2009-11-17 09:51