中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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明日帰国します。

明日、午前のCA便にて帰国します。上海→仙台の直行便です。

今日は、朝8時半にピンポンという玄関のチャイムの音で起こされました。家庭教師の姚さんです。部屋の掃除と荷物の荷造りの手伝いに来てくれました。今日はとても暑い日で30度以上はあったのですが、姚さんは顔を真っ赤にし、衣類の背中を汗でびっしょりとぬらしながら奮闘してくれました。ダンボール7個、スーツケース4個に加え入りきれない布団などの寝具類などを手際よく折りたたみ、梱包してくれました。お疲れ様でした。そして本当にありがとう。
また上海に戻ってくることがあれば、また家庭教師として、友達として、宜しくお願いします。早く就職先が見つかるよう祈っています。

昼前に、一年間阿姨さんをしてくれた陳さんが来てくれました。キッチンにある、食器、調理器具、調味料など、それに掃除用具や洗剤、洗濯した衣類などをまとめ、スーツケースに入れたり、ダンボールに入れたり。長年の主婦経験で手馴れた様子で、片付けてくれました。また、お昼には手造りのランチをお孫さんに届けていただき、姚さんともども美味しい昼食をいただきました。最後の最後までお世話になり、ありがとうございました。上海に戻ることが出来たらまた、宜しくお願いします。

CF社の高木さん、荷物を預かってもらうことになって、申し訳有りません。出来るだけ早くに移動させるなり、送るなり引き取るなり明確にします。それまでの間、宜しくお願いします。この暑い中、車の手配から、荷物運び、CF社への搬入、と頑張ってもらい、感謝感激です。

他にもtakigiさんから荷物預かりの申し出があったり、他に数人の方々から梱包や掃除の手伝いの申し出があったり、本当にお世話になりました。

明日、帰国しますが、27日には、ある会社の就職面談の話が来ました。決まるかどうかは解りませんが、最大限の努力をしたいと思っています。

また、CF社の森田さん、MT-SH社の岡本さんなど、私の再就職のために奔走いただいている皆さんにも、感謝します。

またまた、ブログを通して私と友達になってくださったメビウスインターナショナルの樋口総裁、本当にありがとうございます。おかげでとても有意義な上海の一年を過ごさせていただきました。今後とも公私に渡って、宜しくお願いします。

最後に、「TADAの上海日記」を一年間、読んでいただいた皆さん、特に私にブログを教えてくれたmoko-annさんや、だいちゃんさん、いつも楽しいコメントをいただいた、tubomimさん、aki88kiさん、nihao_keikooさん、chouheiさん、takigiさん、azuさん、そしてE-Mailや電話などでいろいろ激励してくれた多くの皆さん、本当にありがとうございました。今後上海に関すること、その他何とか続けられるだけ、続けていきます。その間に就職先が見つかれば良いと思っています。また、時間があれば覗いてみてください。今後とも宜しくお願いします。
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by wata1150 | 2006-06-24 23:37 | 日記

引越し準備

日本帰国を明後日に控え、家の整理をする準備を始めた。

帰国後の生活パターンによって荷物の対応が異なるため、なんともすっきりしない整理である。

(1)帰国後、再度上海には戻らないケース。電化製品は日本では使用できないため、全て処分し、必要な物は全て日本に持ち帰りする。ただし、私としては何とか上海に戻りたいと言う希望があるので、このケースは考えない。
(2)帰国後再就職が上手く行き、すぐに上海または中国に戻るケース。ベストな方向である。日本滞在中に必要な物だけを持ち帰り、残りは上海の知人に預ける。上海に戻り次第、即引き取る。
(3)帰国後再就職決定までに時間が掛かり、数ヶ月必要な場合。持ち帰り荷物に秋冬用のスーツを追加。私としては、避けたいパターンだが、自分では決められない。
しかし、私としては持ち帰り荷物を最小限にするパターンを選んで、帰国後再就職に全力投球することにした。

一年間で私が日本から持ってきたのは、文庫本と衣類だけである。が、スーツケースに入れてみると夏用、冬用あわせて大型スーツケース3個になった。結構な量である。そのほかに名刺やノート、パソコンなどを入れる中型ケースが一個満タンである。
この中から大型一個、中型一個を持ち帰ることにした。

衣類や、業務関連以外では、電化製品、台所用品、寝具、本、文房具、CD、配線器具、化粧品類、靴、傘、などであるが中型のダンボールで3個になった。大変な量である。これらを預かってくれる友人も大変だな、申し訳ない、と心の中で手を合わせながら、詰め込みをしている。

今日は阿姨さんが夕方から手伝いに来てくれ、台所用品の詰め物が終わってしまった。
明日は中国語の家庭教師をしてくれている姚さんが朝から手伝いに来てくれ、夕方には荷物を預かってくれる友人が来てくれる。明日の夕方には皆で近所で食事をし、しばしの別れを惜しむとしようとおもう。

夕方、日本の家庭料理の店の「和泉」の亜希さんから携帯メールが来た。帰国前によって欲しいと言う。また、上海には何時戻るのか、とも。上海に半分儀礼かもしれないが、別れを惜しんでくれる人がいることを思うとき、人間も捨てたもんでもないと、実感する。きっと帰ってきますから、と返信しておいた。
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by wata1150 | 2006-06-23 23:58 | 日記

和泉の復活

3月29日に、和泉という日本料理レストランが潰れた、と書きましたが、その和泉が本日復活しました。

数人のオーナーが出資して、以前の和泉は設立され、運営されてきたのですが、経営に行き詰まって、先月末に潰れてしまいました。小さなレストランで、とても家庭的で肩肘張らずに気楽に食べに行くことが出来る”日本飯屋”として重宝していただけに、潰れたときはとても残念に思っていたのです。価格的にも決して高くはなく、リーズナブルで、最近流行の”食べ放題、飲み放題、〇〇元”といった、商売根性をむき出すわけでもなくやっていました。従って、お客さんを接待するのに使うようなところではなく、むしろ、毎日の昼食を、夕食をというときに、食べに行くようなところです。

今日、夕方”亜希です。和泉の”と言う電話が掛かって来ました。元気でいることの報告だろう、故郷に帰ったのかな?などと思い描きながら話を聞いてみると、”和泉を再開します。今日は試験的な開店で、明日から正式開店”との事でした。私は、今日はたまたま中国語のレッスンの日でしたが、終わってから夕食を食べに行くことにしました。

入り口には花輪が立ち、新装開店の雰囲気を盛り上げています。店内に入ると、正式開店の前の試験営業だけに、お客さんはみな顔をみたことのある人だけでした。皆、亜希ママさんから再開の連絡電話をもらって、駆けつけた人たちです。一回は潰れてしまったので、常連さんには迷惑をかけたので・・・と、明日からは常連さんには”20%引き”のサービスをします、とのこと。本日は全品サービスとのことでした。私はTさんというある有名計測器メーカの方と相席をして(普段はそんなことはせず、一人か、同僚のF氏と一緒なのですが)亜希さんとおしゃべりしながらご馳走になりました。

再開にこぎつけることが出来たのは、オーナーグループが解散し、一人のオーナー(日本人とのことですが)が再度、全額追加出資するということが一昨日急に決定した為、店内の物も全く以前と同じで、再開できたのだとのことです。店で接客に当たる二人の女性も同じ人たちです。
先日閉店が決まった日に訪れたときには、明日から仕事がない、どうして食べていこうか、と本当に気落ちしていた二人だったのですが、以前の明るい笑顔で仕事をしていました。調理場の人は以前は8人ほどいたのですが、数人はやめ、数人は和泉に戻り、数人は他の日本料理店に移ったとのことですが、少し人数は少なくなったものの、料理長的な人が同じ人なので、味もさほど落とさずに再開できるようです。

亜希さんも、良い勉強をした、今度は失敗しないように頑張ります、と、力強く決意を話してくれました。私や、Tさんにしてみれば、折角見つけた、感じの良い飯屋だっただけに、この和泉の再開は本当にうれしいことです。

こんなに、早くに再開できるとは、当の亜希さんも思っていなかったとのことで、運が良かったのだと思います。折角付いていたお客さんもそのまま戻ると思われますし。
本当に良かった!良かった!
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by wata1150 | 2006-04-05 23:44 | 日記
またまた、蘇州に行ってきました。私の以前の勤務先で同僚だったWさんが蘇州に行こうと誘ってくれたこと、彼も出張で上海に来ているので、上海のどこかのメーカーを見たいと思っていたこと、以前に出かけたM社の蘇州工場で、もとの同僚達に会うことなど、様々な用件が偶然にも重なり、今回の蘇州行きとなりました。

ところが、一昨日に蘇州行きを決め、列車の切符を手配しようとすると、行きも帰りも満席というのです。バスも確認しました。これも満席でした。実はいま中国ではいわゆる”お彼岸”で、先祖の墓参りに行く習慣があり、そのため交通機関はどれも満席なのです。仕方無しに、今回は訪問予定のC社のQさんに社用車の手配をお願いしました。あわせてQさんに帰りのバスの手配もお願いしました。これで往復の足の確保はともかくも出来たわけです。

午前中はC社を訪問、昼からはM社の蘇州工場に勤務する、以前私が勤務していた職場の同僚達に会いに行きました。実はWさんも元同僚ですので、すっかり、同窓会気分でした。実はM社蘇州工場で私のコンタクトの窓口になってくれていたTさんが、M社を退職し、日本に帰国することになったのです。Tさん、Nさん、Wさん、そしてTKさんと私、合わせて5名で昼食をとりながら、昔話、元の同僚の情報、今の仕事から将来のことまで話は尽きませんでした。Nさん、TKさんは4月15日に私と共にC社を訪問し、その時にまた話をしようということにして“同窓会”を終えました。

皆で昼食をとった後、Wさんと私は蘇州市内観光へと繰り出しました。今回は”寒山寺”と”虎丘”です。昨年12月にもこのブログで紹介しましたが、寒山寺は歴史的にも由緒あるお寺で、お彼岸という時期とも重なり参拝客や観光客で込み合っていました。寒山寺は唐代に建立された名刹で”月落鳥啼霜満天、江楓漁火対愁眠、姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到客船”と詠まれたことで有名ですが、寺のいたる所でこの詩の碑を見る事ができます。
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寺の中では、春らしく樹木が花をつけ華やかな雰囲気でした。
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虎丘は先週も行ったのですが、紫の花の絨毯を見たいこと、Wさんは蘇州が初めてということで、再度行ってきました。
ここでも、花を見に訪れている参拝客と観光客でいっぱいでした。これから、初夏にかけ、蘇州は華やかな時期が続くのでしょう。私も何度か訪れ、中国のベニスといわれる蘇州を楽しみたいと思っています。
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それにしても、この紫の花はなんというのでしょうね。
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by wata1150 | 2006-04-01 23:48 | 中国国内旅行・出張

和泉がつぶれた。

近所で、歩いてもいけるところに有った日本食のレストラン”和泉”がつぶれました。

開店して、わずか半年たっただけでした。私は、同僚のF氏と昼食を食べに行ったのが最初だったのですが、それでも開店後お客さんとしては10番以内でした。それで、ママさんとも店員さんとも親しくなり、通っていたのです。

家庭料理と銘打ってあるだけに、日本の普通の家庭で普段に食べるような料理を出してくれ、気負わずにリラックスして食べることが出来るレストランとして重宝していました。無論、接待用とかには使わず、もっぱら気の会う同士、職場の同僚などと一緒に、また、私の家族が上海に来たときは、中華料理に飽きたらつれて行き、ホッとくつろげる、良いレストランでした。時には、一人で夕食を食べに出かけたりもしました。また、店員さんも、ママも気さくで、おしゃべり好きで楽しい人たちでした。値段もリーズナブルで、安心してオーダーすることが出来ました。

オフィスが浦東に移ってから、以前のように頻繁に行くことはなくなりましたが、それでも週に一回か2週間に一回は顔を出し、心のマッサージをしていました。

今日は、同僚のF氏が知人と、飲み会に出かけ、一人だったので、帰宅後フラッと、でかけたのですが、店は閉まっており、”店内改装の為、当分休業します”という張り紙が出されていました。が、店内の電灯がついていたので、入ってみると、中はぐちゃぐちゃになっており、ママさんと店員の二人、それにコックさんが一人、椅子に座ってボーっとしていました。ママさんは私が来たことを喜んでくれ、ビールをサービスしてくれ、そして潰れてしまったことを何度も私にわびながら、潰れるに至った経過を話してくれました。

彼女によれば、大家さんと彼女と彼女の友人との共同出資で店を始めたのだそうです。大家さんが家を提供して、彼女が接客担当、友人が調理担当、そして大家さんと調理担当の友人が仕入れも担当したのです。ママさんは接客担当、いわば営業責任者で、売上の確保を担当し、開店以来一応、目標の売上を何とかクリアーしてきたのだそうです。また、調理担当の友人は調理の腕は一流で、確かにおいしい味を出していました。ただ、大家さんが仕入れがずさんで買わなくても良い調味料を買ってみたり、品質の良くない魚や野菜を買ったりで、相当ムダをしたそうです。また調理担当の友人は、30人も客が入れば一杯になるような小さなレストランで調理担当者を8人も雇いいれ、その給料も結構高かったのだそうです。

そんなことで、売上目標はクリアーしていた物の、赤字が続き、結局潰れてしまったのだそうです。

二人の店員さんも、明日からは仕事がなくなってしまい、路頭に迷ってしまいそうでした。安徽省から上海に出てきたという二人の店員は、まだ日本語も十分とは言えず、次の就職先を探すことはなかなかたやすいことではなさそうです。決して美人とはいえないのですが、とても明るく、仕事熱心で、また勉強熱心で感心な子たちです。早く次の就職先が見つかれば良いと願わずにはいられません。

ママさんは少し休んだ後、再度どこかで日本料理店を開きたいと思っています。どこででも、開店したら、連絡してくれるようにお願いし、再会を約束して和泉を去りました。

上海では、あちらこちらに日本料理店が開業し、また消えてゆきます。経営的にはさほど儲かる商売ではないのかもしれません。また、客商売なだけにママさんや店員さんの印象一つでお客さんの入りに大きな影響が出ます。味の出し方も重要です。まずい店には、やはり足が遠のきます。過去に私が何度か言った店は、やはり味がいまいちで、どうも中国人がみようみまねで料理を作っているようです。やはり、そんな店にはなかなか足が向きません。

早く、和泉の再開が出来るように願わずにはいられない気持ちでした。
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by wata1150 | 2006-03-29 22:22 | 日記

自転車の盗難

ある知人の女性が、新しい自転車を買ったと言って、見せてくれたのは昨年の年末ごろだったと思います。それまでは、勤務先まで徒歩通勤で25分くらい歩いていたそうです。また、彼女は日本語の学校にやはり30分くらい歩いて通っていました。そうやって数年が過ぎ、やっと貯めたお金と、友人から少しお金を借りて、折りたたみ式の、しかも変速ギアの付いた新しい自転車を購入したのです。値段は千数百元したそうです。ぴかぴかの綺麗な青い塗装のおしゃれな自転車でした。日本で買ったらきっと2万円以上はするでしょう。

上海で、自転車は、安い物は新品でも100元前後からあり、いわゆる“ママチャリ”は100元そこそこで買うことが出来ます。一方、マウンテンバイクやドロップハンドルのスポーツ用自転車も良く見かけるようになり、自転車屋さんの店頭では1000元くらいから数千元程度で売られています。こういうレベルの物は日本と価格差はほとんど無いようです。

さて、彼女は東北の遼寧省から出てきて、最初は日本食レストランで朝から夜遅くまで働き、家賃1000元以下で、共同トイレ、共同シャワーしかない古いアパートに友人の女性と住みながら、故郷の両親に仕送りを続け、日本語会話を学び、少ない生活費を節約して生活をしてきました。そして少しずつお金をため、やっと自転車を買ったのです。日本食レストランですから、日本人が多く来店するので、お客さんを捕まえては話しかけ、わからない日本語が飛び出すと、2度も3度も繰り返して聞き、広告用紙の裏紙を使ったメモに書きとめ、日本語を学び、携帯電話は中古の安いものを使い、会話はせずにメールで済ませ、食事は全てそのレストランのまかない食ですませ、そうやって生活を切り詰めながら明るく働いていて、とても好感の持てる女性でした。

先日、レストランで彼女と会ったとき、なんとなく寂しそうな顔をしているので聞いてみました。するとしばらく逡巡していたのですが、おもむろに買ったばかりの自転車を盗られたというのです。彼女にしてみれば、上海に出てきて、初めて自分のお金で買った、最重要の“財産”だったのです。毎日、使い終わると、折りたたんで4階の自室まで持って入り、職場では、店の裏の空き地の立ち木に、チェインキーを2つもかけておいて置いたというのです。あるとき、夜、仕事が終わり、自転車で帰ろうとしたら、自転車が消えてしまっていたのです。

彼女はいま、再び徒歩で通勤し、通学しています。“上海は怖い。私のふるさとでは、外に鍵もかけずに放置していても、誰も泥棒なんかしない。もう、上海では自転車は買わない。”彼女はそう言って、また仕事に戻って行きました。

その他にも、上海で物を盗まれた話は日常茶飯事に聞きます。ある、別の女性は、バスの中で転寝をしている間に携帯電話と盗られました。時々行くスナックのオーナーの男性は、マンションに泥棒が入り、パソコンやカメラなどの貴重品ばかりでなく、買い置きの下着まで取られてしまった、と苦笑していました。

幸い、私は今まで上海で盗難にあったことはありません。マンションはセキュリティが比較的しっかりしていますし、お金は財布にはわずかしか持たないようにしています。鞄はひったくられないようにベルトの付いた物を肩から、たすきがけにして持ち歩くようにしています。用心に用心を重ねてはいますが、更に注意するに越したことはありません。
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by wata1150 | 2006-03-25 10:06 | 上海

ある中国人夫婦

先日、とある中国人女性とおしゃべりをしました。

彼女は、正確には知りませんが、見たところ40歳を少し過ぎたくらいでしょうか。日本に17年間も住み、同年輩の中国人男性と日本で結婚し、子供も一人生まれました。夫婦で、日本で会社を起こし、分社を上海に作り、現在は上海でしっかりと人生を歩んでいます。

数年前、彼女夫婦はひとつの選択を迫られました。一人娘が学校に上がるのです。日本で生まれ育った娘さんは日本語は問題ないのですが、問題は中国語です。両親は共に上海出身で夫婦の会話は上海語です。ですから、娘さんは上海語は聞いていてわかるのだそうですが、中国語の標準語の普通語は皆目わからないのです。会社を設立し、夫婦で会社を守るために一生懸命働いてきて、気が付いたら母国語が話せない中国人の娘になっていた。これはまずいと、夫婦は考えました。夫婦も娘も日本の永住権は既に取得しています。ですから、日本に住む分には問題はないのですが、彼女の両親や兄弟達は中国に住んでいて、将来は一緒に暮らしたいと考えていたのです。でも、娘が中国語が話せないのでは、一緒に住めません。

彼女夫婦は、思い切って中国に移住帰国をすることにしたのです。日本の会社は存続させ、ご主人がしばしば帰国をして対応し、上海に分社を設立して、彼女が日常対応をこなす、と役割分担を決め、夫婦で上海に帰国しました。娘は地元の比較的良い学校に入学させ、中国語をマスターさせ、中国人として歩ませる、その第一歩を踏み出したのです。

娘さんは、なかなか地元の学校にはなじまなかったそうです。言葉が違い、生活習慣も違う。中国人でありながら中国人でない自分に、苛立ち両親に当たったそうです。そんな娘を両親は毎日交代で学校の送り迎えから、日常の生活の中での友達つくりなど本当に一生懸命尽くしたのです。今では、娘さんも中国人社会に溶け込み、何の不自由も無い生活を送り、学校に通っています。英語と日本語をも勉強しながら。

この両親が娘に徹底して教えていることがあります。公共のマナーです。自動車に乗って娘を送り迎えしているのですが、右に曲がるときは右の方向指示器を点滅する、車の列に割り込んだら、後ろの車にハザードを2~3回点滅しありがとうのメッセージを送る、横断歩道で人が歩いてたら、横断が終わるまで車を停車させて待つ、電車に乗るときは降りる人が全て降りるまで待つ、年配者には席を譲るなど、日本人の中では極めて常識的なことです。それが、現代の中国、それももっとも先進的な都会である上海においてすら、まったく出来ていない。彼女は娘さんにはそんな中国の悪いところ、遅れているところは日本に長く住んでいた経験から、しっかりと娘さんに教育しているとのことでした。娘さんは、皆が守っていないのにどうして自分だけが守らなくてはいけないのか疑問を持つことも多々あるそうですが、丁寧にいちいち説明をしながら教えているのだそうです。いずれは中国の全土でそういう公共マナーがよくなる日が来ると信じて。

いま、このご主人は日本と中国を何度も往復しながら、会社を維持し、奥さんは娘さんの面倒を見ながら、上海の分社をしっかりと経営なさっています。大きな会社では決してありませんし、それ程大きな利益をいつも上げているわけでもありませんが、地道に着実に一歩一歩前進しています。

この夫婦は長いこと日本に滞在し、感性もかなり日本人に近い物があるので、このようなことが出来るのでしょう。上海には長い間海外に住み、海外の生活拠点を持ちながら上海で生活している人がたくさんいると聞きます。私のブログ仲間のchouheiさんもいずれはこんな人たちの仲間入りをするのでしょう。そしてそんな人たちが、結果的に未来の中国を背負って行くであろう事を感じています。

1時間ほどのおしゃべりでしたが、とても楽しい時間をすごした気がしています。
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by wata1150 | 2006-03-17 22:47 | 上海
ブログやインターネットを通して、友達なるケースがあります。

ホームページに書き込みをしたり、ブログにコメントを書き込んだり、そしてE-Mailのやり取り。とても遠くにいて、普通であれば会うことはありえない人、年代が離れていて普通であればとても話などする機会もなさそうな人たちとと友達になることが出来ちゃったりしちゃうのです。

私がインターネットを通していろいろな人とコミュニケーションを持つようになってから5年以上にはなります。そして、ネット友達もたくさん、とはいえないかもしれませんが、出来ました。
最初のネット友達はエキサイトのチャットで知り合った九州は宮崎在住の50代の女性、Mさん。私は比較的夜遅くにネットで遊ぶのが気になりませんでしたので、ネットサーフィンをしていてそのサイトにたどり着き、何度か会話をしているうちに、友達になりました。エキサイトのブログを紹介してくれたのもその方です。その女性のご近所のやはり50代の女性Dさん。何時の間にやら井戸端会議に男性一人仲間入りでした。

中国上海に駐在し始め、ブログをみて、時々コメントをくれたSさん。30代の中国人女性ですが、日系企業に勤務している、とても聡明な女性です。日本に出張で出かけたこともあり、なかなか活発な方です。何よりも、非常に日本語が達者で、普段の会話でも、ブログの投稿でも見事な日本語で表現します。日本に住んでいないのに、お見事と言うしかありません。

昨年秋ごろ、最近話題のLIVEDOORのブログサイトに「中国で働く人BLOG」と言うのがあり、そこでブログを書きませんか?とのお誘いを受け、書き始めました。そこで知り合ったHさん。ブログには皆さん、仮名を使う方がほとんどなのですが、彼は実名で堂々と書いていました。彼の実体験を基にしている内容なので、迫力があり、また彼はある会社のTOPという立場にあり、私にとって、参考になる内容でもありました。私がコメントを書き込んだのがきっかけで話をするようになり、いまは良い友達です。食事をしたり、友達を紹介したり、・・・。

他にも多くの方々と友達(少なくとも私はそう思っています)になりましたが、そんな中、最近CHOUHEIさんという中国人男性と知り合いました。日本に留学しており、この春大学院に進まれるかたです。2月末に中国に里帰りをしたときに、上海で一度お会いしました。とてもすがすがしい印象で、しかも適当に中国人で、適当に日本人的な考え方もします。彼は、奨学金をもらいながら、大学を終えたのですが、アパート代や授業料などで奨学金ではとても生活はできず、アルバイトをして不足のお金を稼ぎながらの勉学だったそうです。ビルの掃除屋さん、日本食レストランのコックさんなど。その彼と東京で再会しました。あまり時間はありませんでしたが、遅い昼食を共にしながら、2時間半ほどの時間をすごしました。大学院生活、将来の夢、日本と中国の立場、話はつきません。彼は、中国と言う国を良く知っており、中国人の国民性というものを良く知っています。そして、彼自身は日本に住み、日本文化に触れ、日本人の国民性に触れ、理解し、そして日本を通して諸外国を理解し、中国人としてというより、国際人としての自己を確立し、将来は起業家を目指しています。自分のしたいこと、夢や希望などを十分に確立しないまま社会に飛び込んだ私など、とても恥ずかしくなるようなほどの好青年でした。上海でもそうでしたが、彼と別れた後、自分の心がいくらか若返ったような、そしてすがすがしい余韻を残してくれました。

CHOUHEIさん 大学院でもまた、頑張って勉強し、あなたの夢を実現してください。
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by wata1150 | 2006-03-11 10:05 | 中国国内旅行・出張

中国人の横のつながり

シンセンに日本のある会社から依頼を受け、コンピュータ周辺機器のある製品をシンセンに探しに行った話は先日書きましたが、今日はその続編です。

ブログ友達のHさんに紹介を受けて、福建省からシンセンに単身赴任し、プラスティック成型会社を経営しているYOさんに会いました。急なお願いにも関わらず、Hさんから深夜に連絡の有ったYOさんですが、快く会って下さり、翌日の朝、ホテルまで私を迎えに来てくれました。
YOさんは、同じ福建省出身で、日本に留学したときの友人のRYOさんを紹介してくれました。
YOさんもRYOさんも、したがって、日本語はペラペラで、私との会話は全く問題ありません。RYOさんは、シンセンで、金型加工会社を経営しています。RYOさんの工場を見せてもらいました。

YOさんとRYOさんにわけを話すと、二人とも快く探すのを手伝ってくれるとのこと。早速、RYOさんの友人で、SETSUさんに会いに行きました。SETSUさんは同じく福建省の出身で、RYOさんの学生時代の友人です。現在は家庭用品、ギフト用品、園芸用品などを作る会社を経営しています。ゆっくりとSETSUさんの工場と、製品のショールームを見せていただきました。

次いで、同じくRYOさんの福建省の友人で、PPの製品加工している会社を経営しているRINさんを紹介していただきました。RINさんは十数年前に9万元のお金で、シンセンの土地に投資し、ビルを建て、一部は他の会社に貸し出し、一部は自分の工場を立て、今では年間利益が1000万元以上を稼ぐ大金持ちです。
会議室で話をする間、おいしい中国茶をいただきました。木の根を使ったテーブルと椅子のセットが置いてあり、RINさん自らいかにも手馴れた様子でお茶を入れてくれました。
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お茶は安渓の鉄観音茶の最高級品だそうです。とても香りが良いお茶でした。

RINさんの工場で、製品を見せていただきながら、RINさんはLIさんを呼んでくれました。LIさんは東莞市でコンピュータ周辺機器を生産している工場を経営しています。たまたまLIさんはシンセンに仕事で出かけてきており、快くRINさんの工場に立ち寄ってくださいました。残念ながらLIさんの工場では、私の探している物は生産されてはいませんでしたが、LIさんの友人の会社で生産されているとのことで、友人を紹介してくれることになりました。
LIさんも福建省の出身とのことで、RINさんとは近所に住んでいた友人とのことです。

今回、YOさんからはじまって、多くのシンセンの会社、工場を訪問できました。が、気が付いてみると、皆福建省福州市という土地でつながっているわけです。また、どの会社でもおいしい福建茶をいただきました。お茶のつながりでも有ったわけです。YOさん、RYOさん以外は日本語も、英語も通じませんでしたが、皆よくしてもらいました。

中国人の人のつながり、過去に何度も話には聞いていましたが、初めて触れたような気がします。このようなつながりと接点を持ち、人間関係を、信頼関係を構築しないと中国ビジネスはうまく行かないのだということをなんとなく実感した一日でした。
最終の目標の製品にまではたどり着けませんでしたが、近々に再度訪問し、彼らとゆっくりと話しながら、人間関係を構築し、将来、スムースなビジネスができるようになりたいものだと思います。
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by wata1150 | 2006-02-26 23:27 | 中国国内旅行・出張
シンセン、香港の旅2日目、香港です。昨年9月に香港に来て以来、半年振りです。シンセンも暑いのですが、香港も暑くおまけに冬物の背広を着ているので、全身に汗が吹き出てきます。この時期、上海ではありえないことです。

シンセンの羅湖からイミグレーションを通って香港に入り、電車で紅働でまでいきました。ここで前の会社のスタッフとしてサポートしてくれたS君に会いました。S君はその後も元気でM社で働いており、現在はPDPパネルを担当しているとの事。PDPパネルと言えば、M社の看板商品です。以前はどちらかと言えばマイナーな商品を扱っていただけに、いまは仕事を楽しんでいる様子でした。現在は販売が好調で、市場で品不足になっており、なかなか香港まで回ってこないと、贅沢な悩みを打ち明けてくれました。

全体的には香港のメーカは中国にシフトが進んでおり、かなりの客先がシンセンや東莞に工場を置き、生産活動は中国だが、製品は香港経由またはシンセン経由で輸出をしているとか。香港には私の会社の日本の客先から依頼を受けているある製品を香港のメーカで探してもらい、私に紹介してもらう為に来たのですが、S君はそれを快く引き受けてくれ、来週早々には情報をくれることになりました。S君の会社は今が事業計画の策定時期で、幹部がほとんど日本に出張しており、社長やキーの幹部社員には会えませんでしたが、旧知の何人かの香港人スタッフに会うことが出来、数年前の話に、話題が途切れることは無く、盛り上がり、夕食を共にしながらさっきまで歓談していました。

皆、私がM社を退職し、現在の会社に入った事を知って、また、中国と関わる仕事に携わっていることを喜んでくれ、”何でも手伝うから言ってくれ”と協力を申し出てくれました。

実は、私が現在の会社に入ってからこの半年間、昔の仲間には頼むまい、なんとか自力で新しい人間関係を構築して、仕事を軌道に乗せようとしていました。皆、まだ20代から年配者でも50歳にはなっていない若者達です。今が彼らのM社での仕事に油が乗るときです。私の仕事で彼らの仕事の邪魔をしたくはありませんでした。しかし、今の会社の責任者の一人として、現状打破と頑張りが必要な時期に来ていることを認識し、思い切って、彼らに少しばかり手助けをお願いすることにして、シンセン、香港に来たのです。
しかし、彼らと話していて、私の遠慮は不要であったことがわかりました。彼らは、自分の現在の仕事に影響が無い範囲で、最大限私に協力してくれることに何のためらいもありませんでした。いま、こうして彼らに会って見ると、昔の仕事はどうであれ、彼らの個人的な友達の一人として付き合い、お互いに助け合おうとしているのでした。
仕事の中では、よくぶつかり、言い争い、しばらく口も利かない状況も少なからずありました。それだけに今回彼らの個人としての人間性に触れ、へんな遠慮をしたり、プライドが捨てられなかった私が恥ずかしくなりました。

彼らが、私の仕事にどこまで協力してくれるかはわかりませんが、何か妙に満ち足りたそれでいて、彼らとだったら仕事が上手くいきそうという不思議な感覚を持ちながら分かれました。
超自己中心主義とかお金の亡者とかと中国の人を酷評することがありましたが、今は、全く違います。どこまでも義理に厚い本質を持った人たちでした。

私のこの感覚が全ての中国人、香港人に当てはまるかどうかはわかりませんが、多分大方の人たちはそうなのだと思わずにはいられない心境です。

明日は、シンセン経由で上海に戻ります。午後にシンセンのスタッフと再会する予定です。またまた楽しみです。
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by wata1150 | 2006-02-23 00:58 | 中国国内旅行・出張