中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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今日は土砂降りの雨です。仙台ではこんな雨は久しぶりです。おまけに今朝の気温は12度とか。寒さも加わり、思わずストーブに手が出そうです。

帯状疱疹の後遺症で背中の左側が痛みます。痛さは”きりきり”とか、”ずきずき”とかというよりは”何かが引き裂かれるような、鋭い”痛さです。特にこのような寒い日には、寝ていても辛い感じです。過日、皮膚科に行った時に、「帯状疱疹では、ウィルスによって神経が壊されるので、しばらくは”神経痛”のような痛みが続きます」と言われました。さらに「神経痛には温泉治療が効くので、患部を暖めたり、温泉に浸かったりするのがいいでしょう。鎮痛剤は殆ど効きませんよ。」という宣告でした。

が、実際にどのような痛さかは経験が無く解りませんでした。最近寒くなってくるに従い、しばしば苦痛を伴なう痛みが現れ、私を苦しめています。皮膚科から鎮痛剤として錠剤と塗薬を処方してもらっていますが、ドクターの言うとおり、殆ど気休めに過ぎず、効きません。

昨日、温泉に行って来ました。家もお風呂に浸かって、温まるのもいいのでしょうが、仙台の近郊には温泉が数多く存在し、最近は日帰り温泉や、立ち寄り湯といった温泉が多々あるので、妻を誘って行って来ました。

私の家から車で40分くらい走ると宮城蔵王の各温泉にたどり着きます。青根温泉、峩々温泉、遠刈田温泉、釜房温泉などがあります。家の近所には、秋保温泉、作並温泉など、比較的全国に名前の通った温泉もあります。昨日は遠刈田に行って来ました。

家から車で10分も走ると秋保温泉に着きます。秋保温泉を通り抜け、国道457号線を走ると川崎町に着きます。釜房ダムという仙台市の水瓶にもなっているダムの脇を走りぬけると釜房温泉があります。さらに国道457号線を走り、峠道を越えてゆくと青根温泉などの案内表示が見えてきます。
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天気は決して良くは無く、時折小雨の降る、あいにくの天気でしたが、そのせいか道路を走る車は決して多くは無く、快適なドライブでした。3000ccのエンジンを積んだ私のエスティマは峠道だろうが直線道路だろうが快適にドライブを楽しませてくれます。山はまだ紅葉は全く無く青々とした山が、爽快感を呼び起こしてくれます。この道路はもう少し秋が深まってくると、紅葉が綺麗になり、多くの観光客で賑わいますが、昨日はそのようなこともありませんでした。

最近は温泉ブームということもあるのでしょうが、遠刈田でも、ご多分に漏れず、殆どの温泉旅館では立ち寄り湯の営業をしていますし、昔からの”共同浴場”に加え、SPA方式の日帰り温泉なども新設され、平日にもかかわらず、多くの観光客が温泉を楽しんでいました。

私が行ったのはSPA方式の、昨年11月にオープンしたばかりの「SPA!エール蔵王」という日帰り温泉です。入浴料金は800円。室内大浴場、露天風呂、サウナなどの設備があります。
2時間ほど温泉に浸かり、ゆっくりとした時間をすごしました。
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しかし、何か物足りなくて、SPAの近くにある、共同浴場に行きました。
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「神の湯」蔵王町観光案内所の敷地内に共同浴場はありました。
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番台があり、入浴料金300円を払い中に入れば、脱衣場と浴槽と、簡単な洗い場があるだけの簡素な共同浴場、しかし入っていた人は近所に住んでいるらしき、普段の畑仕事のせいか日焼けして、年の割りに腕や背中の筋肉が若々しいおじさん、遠刈田温泉に観光に来たらしい数人の中年のグループの人々などが和気藹々として、雑談をしながら、湯に浸かっていました。それを見ているだけでもなんとなく世間を忘れ、自分を取り戻してゆくような、幸せ感を味わいました。外には足湯も設置され、若い女性のグループや、近所のおばさんたちが思い思いに足を浸しながらおしゃべりをしていました。
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遠刈田には、今回は掃除のために休館しており、入りませんでしたが、”寿の湯”という、共同浴場もあります。
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なんとなく満ち足りた感じで、夕方の山道を我が家へと帰ってきました。神経痛が痛くて・・・とか、そんなことはなんとなく消えていて、多少湯疲れした体は、しかしなんとなく満足した気持ちでした。ここ数ヶ月の疲れを癒して帰ってきたようです。

またまた、就職活動を気合を入れて再開しようと思います。
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by wata1150 | 2006-09-27 10:33 | 日本滞在記
UAE編 第5回です。

夕方になって、代理店のD氏がホテルまで迎えに来てくれました。これから仕事をして、8時頃から夕食だとのこと。午後は、彼は家に帰って、昼食をとり、4時まで昼寝をしていたとのこと。5時から8時まで仕事、8時から11時くらいまでゆっくり食事を取り、家に戻るそうです。朝は6時に起きて、7時から11時まで仕事をするのだそうです。仕事をする総時間は7時間ですから、我々とさほど違わないのですが、昼休みを長く取るところなどは、アラブの気候に合わせているのだと思います。

彼はインド人で、親がUAEに出稼ぎに来て、そのままUAEに住んでいるとの事。イスラム教徒では無いそうで、朝夕の礼拝はしないのだそうです。彼は会社の経営者ですが、オーナーはアラブの人で、いわば雇われ社長です。外国人は、UAEでは会社を持つことはできないのだそうで、オーナーはアラブ人で無ければいけないとのことでした。(今でもそうなのかは知りませんが。)

グレーのベンツを駆って、彼のオフィスに連れて行ってくれました。ホテルから10分くらい走ったところにオフィスはありました。彼の会社はコンピュータの部品を販売しています。我々の商品も扱っています。従業員は、彼以外は全員女性でした。皆、インド人かパキスタン人の2世です。イスラム教徒はいません。女性でもベールはせず、普通の洋服を着ています。少し、当てが外れた感じは免れませんでした。折角アラブに来たのですからアラブの装束を着た人たちに会いたかったのですが。

オフィスには数人の男性客が来ていました。後で紹介してもらい解ったことですが、一人はクエートのコンピュータ部品会社のバイヤーで、白いアラブ服を着て、UAEにコンピュータ部材を買い付けに来ていたとの事。聞いて見ると市場で日本メーカは人気があり、品質が良いから、少々高くとも売れる、特にSONY、PANASONIC、ALPSなどは有名・・・・、などという話を聞かされました。クエートはUAEと同様、西側に近く、コンピュータ文化もUAE同様、アラブ諸国の中では進んでいる方との事です。が、残念ながらUAEドバイにフリーゾーンが出来て、世界の各メーカはドバイに販売会社やディストリビューションセンター、製品や部材の倉庫を作っており、周辺国はドバイまで買いに来る必要が有るとの事。

この、D氏にしても、クエートのバイヤーにしても、英語が業務の標準語で、アラブ語も出来るが、仕事ではほとんど使わないとのことでした。
 
また、後ほどD氏の会社を訪問した人は、黒人で、ケニヤのナイロビにあるコンピュータ会社の社長でした。ケニヤのコンピュータ事情などを話し合いました。ケニヤの首都ナイロビはドバイに劣らず、ビルの林立した都会で、コンピュータも盛んに導入されているとの事で、コンピュータビジネスは花形であるとの事。多くのコンピュータショップがあり、この黒人はドバイに来て部材を買い付け、コンピュータショップに販売しているとの事。ただ、アフリカでは南アフリカや、エジプトのカイロの方が市場としては大きく、内陸はどうしても遅れていることを何度も繰り返して、話していました。

話は飛びますが“アフリカの靴屋さん”の話をご存知ですか?

2件の靴屋さんがアフリカに進出しようと、セールスマンをアフリカに派遣しました。二人がアフリカに行き、本国にそれぞれ次のように報告しました。
一人は、「アフリカの人は、皆はだしで歩いていて、誰も靴をはいている人はいない。だから、進出は当分見合わせることにしたい。」と。
そしてもう一人は「アフリカの人は、皆はだしで歩いていて、誰も靴をはいている人はいない。だから、大至急たくさんの靴を輸出して欲しい。いまが進出のチャンスだ。」と。

ケニアの人にあったとき、私はこの話を思い出しました。D氏に「ケニアに行き、拡販の可能性を探って欲しい」と。彼は素直には頷かず、「待っていてもお客さんはこの通りケニアから来てくれる。だから、お金をかけてゆく必要は無い。」と。「では、ケニアの市場規模は?」「知らない」・・・ではこの黒人のバイヤーは知ってるかな?・・・やはり、「知らない」。
「むー!市場を知らずして、どうやって商売するんだ?」

私は、この二人に市場の現状を知り、将来を予測し、それで自分の仕事の展開を考えなければ・・・・、と説得しました。そのとき二人は私の説得は完全に理解し、同意してくれたのです。

でも、結局D氏も、黒人の社長も腰を上げることはありませんでした。旧態然とした商売を継続していたようです。それでもしばらくは何とかビジネスをやっていたようです。しかし別のシンガポールの会社が、代理店としてドバイに進出し、やがてD氏からの注文は途絶えたようです。

今回はここまで。
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by wata1150 | 2006-09-25 20:48 | TADAの海外体験談
ドバイ編第四回です。

UAEは日本との時差が5時間あり、日本の正午にはドバイでは朝7時になります。つまり、UAEに私が入国したとき、日本では午後2時頃だったのです。

日本との連絡用で、もちろんノートパソコンとインターネット接続設定を準備していましたので、兎も角入国でき、ホテルにチェックインできたことを連絡しようと、ホテルの電話回線を使って、インターネットに接続を試みました。

現在はADSLなど、大概のホテルはインターネット接続はサービスとして設置されているのですが、当時はほとんどダイアルアップ接続で、日本で接続用の電話番号を調べ、パソコンで設定しておかないと接続できないのです。私はプロバイダーとしてAT&Tを使っていました。ダイアルアップの国際ローミングの場合、世界で最も広範囲に接続拠点を持っていたからです。そして、念のため、クエート、サウジアラビア、イスラエル、なども拠点を調べパソコンに設定しておきました。

で、あらかじめチェックしていたUAE国内のプロバイダーに接続しようとしたのですが、なんと繋がらないのです。パソコンを使ってダイアルアップで接続すると“ピーヒョロロロ!”という音が聞こえるのですが、“ピーヒョロロロ!”が聞こえず、呼び出し音が聞こえるだけなのです。何度かやり直してみましたが、やはり結果は同じです。電話番号が間違えていたのかも知れないと思い、UAE国内での接続は諦め、クエートに接続してみました。が、結果は、UAEと同じでした。イラクやイスラエルなどにも繋いで見ましたが、同様につながらないのです。“やばい!インターネットが使えない!”原因はわからないので、解決策が見つかりません。

ホテルに聞いてみることにしました。フロントに下りて、スタッフを捕まえて話を聞いてみました。が、どうも要領を得ません。格安の有名ではないローカルホテルを利用してしまった為、インターネットの話をしてもあまりピンと来てない様な雰囲気です。当時はインターネットが誰でも使えるような環境ではなく、ましてや中東の国々では、西洋との間に文化的な情報についての規制があるような噂もありましたから、仕方が無いのかなと思いました。

仕方が無いので、兎も角体を休めてから再度挑戦すべく一眠りすることにしました。

現地時間の昼過ぎに起きて、まずは腹ごしらえ、と思いカフェテリアに行ってみると、なんと休憩時間なのです。スタッフは誰もいません。小さなローカルホテルですから、24時間オープンのルームサービスなども無いのです。フロントに行き、女性スタッフに聞いて見ると、「午前中は、カフェは開いているが、正午から4時までは休憩時間で誰もいない、スタッフは皆お昼寝中」とのこと。「日中の気温が50度にもなる為、お客は早い昼食をとった後、皆昼寝をし、夕方から仕事をする」というのです。売店も閉まっており、水を買うことも出来ません。

一歩外に出てみると、そこは灼熱地獄、歩いている人の姿は皆無でした。レストランや、コーヒーショップも開いていないのです。風は無いのですが、地面から熱い空気が昇ってきて、私の体を熱してくれます。これは参りました。

冷蔵庫の中にあったジュースを飲み、パソコンと格闘をしようと決めて部屋に戻りました。
中近東が駄目なら、いっそ日本に繋いではどうか、と思い、日本に国際電話で繋いで見ることにしました。すると、あっさり繋がってしまいました。E-Mailが数十件、あっという間に落ちてきました。“よし、これで、コストは掛かるが、とりあえず連絡は取ることが出来る!”と、一安心です。次に低コストを考え、シンガポールとインドネシアに繋いで見ました。共に、すんなり繋がりました。で、UAE,クエートに再度接続を試みました。電話番号は日本に繋いで、HPから再確認しました。が、やはり、駄目でした。なぜか中東各国には繋がりません。原因解析は別のときにすることにしました。ともかく、E-MAILはOKになりましたので。

今回はこれまで!
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by wata1150 | 2006-09-23 11:55 | TADAの海外体験談
ドバイ編第三回です。
なんかイントロが長いような気もしますが、実はそのあとをどのように続けるかで四苦八苦していますので、イントロでごまかしているのです。

何の手違いか、到着日が当初申し込んだ日とずれているようです。問題の原因はわかりました。でも、暑さと緊張感とでふらふら。解決策は?明日まで待つか、一旦シンガポールに戻るか。

後でわかったことなのですが、ドバイは暑いため、日中の飛行機の離着陸は無く、空港は閉鎖されるのです。滑走路のアスファルトも溶けてやわらかくなる暑さなのです。おまけに7月はこの地ではもっとも暑い時期、日中の気温は50度にもなります。それで、空港のオペレーションは夕方8時頃から午前7時頃まで、午前3時頃はもっとも離発着が多い時間帯なのです。

さて、VISAの話に戻りますが、7時頃に再度ホテルに電話をしました。すると、今度は女性が出て、いま掛かりの人がVISAを持って空港に向っていますのでしばらくそこで待っていてください、とのこと。ホッと一安心するとともに、何故そんなに早くVISAが準備できるのだ?と疑問が湧いてきます。疑問解明は後にして、ともかくホテルにチェックインし、冷たい水を飲み、ベッドの上で一眠りしたいというのが本音でした。

なんでそんな時間にしかも短時間で新しいVISA発給できるかって?これは私の想像ですが、ホテルの人が私の入国期日を間違えていたのだと思います。VISAは既に発給され、ホテルに保管されていたのを持ってきただけのようでした。さらにそのホテルマンはサービスでホテルまで無料で送ります、だって。ま、タクシー代セーブしたからまあ、いいか。

結局8時頃、やっとイミグレーションを通り、入国することが出来ました。ドバイについてから5時間近くが過ぎていました。イミグレーションのカウンターに座っていたのは、顔だけ出し、後は真っ黒のベールで包まれていた女性でした。顔はなんとも彫りが深く、真っ黒で透き通った目をしていたのが印象的でしたが、年齢や容姿は全くわかりません。ああ、アラブに来たのだ!という実感が湧いてきます。アラビアンナイトに出てくる美女を想像してニヤニヤしていたのだろうと思います。

イミグレーションを通過すると、どこの国でもそうですが、ドバイも例に漏れず、免税売店がたくさん並んでいます。ここでの驚きは・・・販売している女性はほとんどがフィリピン人です。そして何人かはインド系の女性でした。少なくともアラブ系の女性は見ませんでした。無論ベールはしていません。

売っている品物、これがすごい。世界中の酒やタバコはもちろん、ベンツやBMWなどの高級乗用車や、ペルシャ絨毯、世界中の美食家をうならせるであろうキャビア、フォアグラなどの高級食材が山のように積まれています。時計、ハンドバックなどの免税売店の定番商品も、もちろんたくさんあります。時計は、ローレックスやオメガなどの超高級品がほとんどで、それらと並んでセイコーやシチズンなどの日本製品が並んでいたのが印象的でした。私が行ったことのある世界の免税売店の中で、ドバイが一番豪華だと思いました。

空港の中にある銀行で両替を・・・と思ったら、銀行は閉まっていました。早すぎたのか?遅すぎたのか?その代わり、自動両替機が何台も設置されている。なんと日本円からも直接両替が出来るのです。「すっごーい!日本円、メジャーな通貨なんだ。」「では一万円ほど変えておくか?」 いや、日本円はほとんど持って来ませんでした。米ドルで100ドルほど交換しました。(レートは忘れました。)4日間ほど滞在し、ホテル代とスーパーでの買い物以外はこの100ドルで十分おつりが来て、残りは記念に持って帰ってきました。ホテル代とスーパーでの買い物にはクレジットカードを使いましたが。

ところで、UAEの通貨単位は?“ディルハム(Dirham),Dhと書きます。そして、コインはもっとすごい。なんとアラジンの魔法のランプがデザインされているのです。これで、UAE出張のお土産決定! コインを集めて持って帰ることにしました。まさにアラビアに行ってきた最高の記念品です。

やっと入国できました。次回から、UAE探訪です。
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by wata1150 | 2006-09-20 13:27 | TADAの海外体験談
敬老の日、読んで字の如く“老人を敬う日”という日である。 

父は4年前に94歳で亡くなったが、母は88歳でまだ健在である。8月のお盆のときにお墓参りをかねて、母の顔を見に行ったが、ボケもせず矍鑠たるものである。
妻の祖母が亡くなったのは3年前、104歳だった。100歳を迎えた敬老の日には、吹田市長の訪問を受けお祝いをしていただいた。

自分の親族だけでなく、周辺にはお年寄りがたくさんいて、日本が長寿国であることを実感する。

世界一の長寿国であり、しかも世界有数の経済先進国であるのに、政府に内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)というポストがある。子供の数が年々減少し、将来的には人口の高齢化が進む中で、福祉や経済を維持してゆく労働人口を確保しようという、実に現実的で深刻な問題が存在するからである。いま、子供が少なくなってしまうと、いまから、更に増えることが予想される高齢者への福祉が手薄にならざるを得ないということである。

何かで読んだのだが、日本の女性が一生の間に子供を産む人数は1.2人程度とか。つまり、一人の男性と一人の女性が、一生の間で1.2人しか子供を作らないのであるから、当然人口は減少してゆく。しかも医療体制が年々よくなって高齢化が進むのだから、人口バランスが大幅に狂い、高齢側にシフトしてゆくのは当然である。最近の統計では65歳以上の高齢者の比率が20%を超えたとか。

話は変わるが、現在世界の総人口は60数億人だそうだ。が、年々増加傾向にあり50年後には80億人を超えると予想されている。増加するのは、インド、アフリカ中南米などの中後進国であり、日本、アメリカ、ヨーロッパなどの先進国は伸びず、また現在世界一の人口を有する中国も“一人っ子政策”のおかげか、その人口の伸びは大きくない。50年後にはインドが世界一の人口になり、中国が2位になるとの予想もある。

中国は、現在総人口は13億人と言われている。“一人っ子政策”のおかげで、人口の伸びは少なくなってきているという。そしてその人口の年齢別構成比のシフトは、現在の日本を凌ぐ勢いである。急速な経済発展、それに伴う大幅な生活環境改善で、平均寿命も年々伸びてきている。その結果、中国にも日本と同じような状況が作り出されつつあるのである。先日のニュースで、中国でも、60歳以上の高齢者の、総人口に占める割合が25%を超えたと伝えていた。将来中国が、日欧米並みに経済レベルが成長したときに、現在の日本と同様、高齢者向け福祉が大きな問題になろう。

もう一つ、気になるのは高齢者労働力の活用である。ある統計によると65歳以上の就労者の比率は、アメリカが10%強、イギリスが6%程度なのに対して、日本はアメリカを上回っているのだそうだ。少子高齢化が進む中、高齢者の労働力は、貴重な税収源になるばかりか、日本の経済力を支える大きな力になって行くのかもしれない。
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by wata1150 | 2006-09-18 13:28 | 雑感

雑感-1

1.最近、時々相互のブログでコメント交換をしているchouheiさんという中国人のブログの中でディスカッションをした。

chouheiさんは中国から日本に留学している学生である。なかなかストレートに物事を捉え、その言い方にも歯切れのよさを感じることもある、好青年である。

最近、彼は自分のブログの中で、山口高専における女子学生殺人事件について投稿した。そしてその件から、私を含めた数名で、何回かの議論投稿をした。中国からの留学生、在日華僑中国人、日本人、など。それぞれ育った環境が違い、文化の異なる人たちの意見交換なので、私も結構面白かった。

その内容そのものをどうのこうの言うことはともかく、このような議論に発展したことがうれしいし、楽しかった。他人を非難することなく、自分の感想、意見を述べ合い、相互理解を深めることは大切なことと思う。また、何かの事象について議論するような展開になればいいなあ、と切に思う。

2.ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、千葉県で、日本人に嫁いだ妻が、夫をインスリンという糖尿病治療薬を使って殺そうとしたとして、中国人妻が起訴され裁判が始まった。幸か不幸かこの日本人の夫は一命は取り留めたものの、今もって意識不明だそうである。真実はこれから明らかにされてゆくのだろうが、私はこのような事件が起こってしまったことが悲しい。中国から日本人に嫁いだ妻にとって、結婚したときの夢や理想が壊されてしまったのかもしれない。利害で結婚する人も居ないことは無いであろうが、子供をもうけ、育ててゆく中で、夢に向って一生懸命生活していたはずであろうから。

私が、上海にいたときにふとしたことで知り合ったある女性を思い出す。彼女は30歳を少し越していたのではなかろうか。割りに年の離れた日本人男性と結婚したそうである。二人は上海で暮らしており、二人の間には女の子がいるのだそうだ。しかし、彼女は言った。「日本人は結婚したら、妻を拘束するの?私には自由がなくなった。」「日本人は妻がいても、他の女性と恋愛するの?」そして、彼女はその日本人男性に対する愛情を徐々に失って行き、離婚を考えるようになった。そして、今後男性に心を許すことは永遠に無いであろうと言い切っている。

女性が、お腹を痛めて産んだ子供にたいして、母親としての強い愛着があることは理解できる。が、中国では離婚すると親権は一般的に父親に渡され、母親はなかなか子供にあえなくなるのだそうだ。日本では、離婚しても、月一回とかでお互い子供に会うことを協議の上で離婚するケースがあるのだが。子供は何年後かに小学校に入るため、日本に帰国すると言う。

母親である彼女は、日本のマルチビザを取得し、離婚しても定期的に子供に会えるよう、準備をしているのだそうである。

千葉県の事件でも、母親は離婚したら子供に会えなくなる、だから・・・、と弁明しているそうだ。日本人社会と中国人社会の習慣、法律その他いろいろな違いのために起きた事件と言えなくは無いかもしれない。

3.今日のニュースで、アメリカ議会が日本の首相の靖国参拝を巡って、共和党と民主党議員の間で論争が起きていると言う報道がありました。

民主党議員は”日本の首相の靖国参拝に反対する。それはA級先般が合祀されているのであるから、首相の参拝は第2次世界大戦を日本として肯定するものであるから。”と主張していました。そして共和党議員は”そのような論争をすることは、中国や韓国の対米、対日政策の一環であり、日米関係を分断させようとするもの。”として”首相の参拝は日本に任せるべきであり、他の国が口を挟むべきではない”とするものだったように思います。

共和党は現在のブッシュ政権を支えている政党であり、民主党はクリントン前大統領の支持母体となっていた政党です。

ここにも、その立場によって、利害によって全く異なった意見、思想が出てきます。この議論が将来世界をどのように変えてゆくのか、非常に興味があります。

私の勝手な私見ですが、この問題に大きな二つの問題が含まれているように思います。一つは、アメリカで共和党議員が指摘したような、国家間の利害の問題、そしてもう一つは、たとえその人が悪人であろうが罪人であろうが、死者に対して更に鞭をうつべきなのか、それとも死後においては、全ての人を平等に弔うべきなのかという宗教観の問題です。

これに対し、現在の小泉首相は行動でその考え方を示しました。現在進行している自由民主党の次期総裁選挙において、どのような人が総裁として選ばれるのか、興味深いと思います。

今後も、時々雑感や問題提起を書いて見たいと思います。
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by wata1150 | 2006-09-15 19:05 | 雑感
ドバイ編の2回目です。
ちなみに、この話は10年以上も前の話であり、ドバイを良く知っている人の話では、ドバイもすっかり様変わりしているそうですから、私の話を鵜呑みにして、ドバイには行かないで下さい。現在のドバイをよく調べた上で行くように。友人の話では、物価はすごく高くなり、また、ビルも林立し、なかなかの都会になっているそうです。

6月には現地ホテルから、VISA取得は可能とのメッセージが入り、7月に行くことにしました。実はこれは最悪のタイミングなのですが。なぜなら、熱い中東の気候の中でも7月はもっとも暑い期間で日中はとても外には出られません。でも、そのときには全く判ってはいませんでした。

シンガポールからドバイへの飛行時間は実質9時間くらいかかり、シンガポール発は深夜23時、ドバイ着は時差の関係で午前3時ころとのことでした。それで私は成田発朝9時ころの飛行機でシンガポールに飛ぶことにしました。シンガポールで一旦入国し、シンガポールの友達と夕食を食べ、それから再度空港に戻って、夜11時に出発しようと言うわけです。

東京からシンガポールへはJALです。シンガポールでは現地の販売会社の社員でH君やK君が迎えてくれ、海鮮料理で大いに盛り上がり、楽しい時間をすごしました。何せ仕事抜きで彼らと話すことはほとんどありませんでしたから。

シンガポールからはシンガポール航空で9時間、直行便は気持ちよくドバイまで私を運んでくれました。当時シンガポール航空は世界でもっともサービスがよく、安全な航空会社と言う定評がありました。そしてまさに評判通りのフライトでした。私はおいしい食事とお酒でぐっすり眠りました。何せ、長家は、これが当分飲み納めかもしれない、アラブに行ったら禁酒生活だろう・・・、と思っていましたから。

ドバイ上空に着くと機内アナウンスで、着陸機が多い為順番待ちです、しばらくお待ちください、とのこと。朝3時に着陸ラッシュも無いもんだと思いながら着陸時間を待ちました。何故着陸ラッシュなのか、そのときは全くわかりませんでした。それはホテルについてチェックインしてから、やっとわかったのでしたが。30分も上空を旋回したでしょうか。やがてドバイ空港に着陸しました。窓から外を見渡しても午前3時では真っ暗、何も見えません。ドバイ空港の建物自体の輪郭もわかりませんでした。

外気温は多分35度~40度くらいだったでしょうか。
空港ロビーは着陸ラッシュで到着した旅行者で一杯です。私はVISAが無い為、そのままイミグレーションを通ることは出来ません。案内を探しますが、アラビア文字ばかりでところどころに英語表記があるだけです。どこでVISAを入手するのかもわかりません。仕方が無いので“聞くは一時の恥、聞かざるは一生の恥”とばかり、空港職員と思しき人を見つけては聞きまくりました。やっと、ホテル手配のVISAを受け取るコーナーが見つかりました。 名前を言い、到着便名を言ってVISAをくれるように頼み、待つこと15分位、「あなたの名前のVISAは発給されていません」と言われ、係員は部屋の中に消えました。「えー!そんな馬鹿な!」と係員をもう一度呼び、もう一度探すように頼むと、親切に発給VISAが保管されている棚の前に私を案内し、「ほら、今日の到着予定の人のVISAはもうこれでおしまいです」と言い、空っぽの棚を指し示しました。確かに、棚は空っぽでした。困った、入国できない、シンガポールに戻るしか方法は無いのか・・・。時間は午前4時をゆうに回り、気温は35度以上。頭がガンガンします。なかなかよい知恵も浮かびません。売店も無論空いていません。水を飲むこともできないのです。イライラだけがつのります。

5時半頃までは、それでも入国のロビーで椅子に座って考えていたと思います。考えたって仕方が無いのですが。 むしろ途方にくれていたってのが正しいのかもしれません。

よし、最後の手段、HOTELに電話。私はシンガポールで加入したGSM携帯電話を持っていました。ドバイでもつながることは確認していました。で、ホテルに電話すると“自動応答”、どうやら誰もフロントにはいないらしいのです。早すぎるのかな?とさらに30分ほど待ちました。 6時半くらいになって、やっと繋がりました。 「HOTELを予約している者ですが、空港でVISAが見つからず、入国できず困っています。」するとホテルの人はしばらく、私のホテルの予約を確認していたらしく、おもむろに、「あなたの入国は明日になっています。VISAはホテルで保管しています。」「えー!そんな!一日ここで待たなければいけないのか? 馬鹿な!死んじゃう!」何しろ気温は30度以上はゆうにあるのですから。 再び電話で「既にドバイ空港に着いています。今日、入国させてください。」 と頼み込む。「新規VISA発給は朝8時からです。お待ちください。」「えー!8時から?昼まで待つの?」ホテルの人も気の毒に思ったのか、「確認しますので30分後に再度電話してください。」といい、電話は切れました。

第二回はここまで。果たしてTADAさんはUAEに入国できるのか?
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by wata1150 | 2006-09-14 20:38 | TADAの海外体験談
一月ほど前から、娘がブログを書き始めました。
彼女が、私のブログを時々覗いている様なので、自分でも何か気楽に書いてみたら?と誘ったのがきっかけだったような気がします。彼女も何か自分の素直な気持ちを表現したかったのだと思います。また、私がブログを書いていることに刺激されていることもあったのでしょう。また、彼女は浪人中の身の上で、友達と遊んだりすることもままならない身の上ですから、鬱々とした気分に有った事もきっかけになったのでしょう。兎も角、私のブログを真似て、エキサイトでブログを書き始めました。

私は、深夜にパソコンに向い、寝る間を惜しんでブログを書く娘を想像できなかったので、多分三日坊主だろうと考えてました。が、想像に反し、一ヶ月を経過し、まだ、ほぼ毎日更新をしています。最近は、いろいろなテクニックに挑戦して、楽しんでいる様子です。

内容的には、まだ十代の娘ですから、軽いタッチの散文的な日記風の文章です。でも、素直に書いてあり、親ばかかもしれませんがよくストレートに物事を捉えているようですし、新鮮な感性で見ているので、私みたいにくどくなったり、格好を付けたりせず、好感が持てます。

娘はある男性ミュージシャンのファンで、ファンクラブにも入っており、文章の裏にそういったものも見え隠れしています。私は歌手のだれそれのファンとか言う物には全く縁が無く、彼女の年代には、テニスやスキーなどのスポーツにはまっていました。だから、ミュージシャンを好きになる気持ちは全く理解できません。が、おかげで彼氏とか、彼女とかというボーイフレンドなどもいない様子です。むしろ受験生という立場では、かえってその方が勉強に集中できると思いますし、よいのではないかと思い、ミュージシャンのファンであることは、多めに見ています。私個人はそのミュージシャンは決して好きなタイプではないのですが。

彼女の高校時代の友人の多くはすでに大学生で、学生生活をエンジョイしている様子です。でも、彼女は自分の目標を持ち、下手に遊ばずに自分を律して、いまはなすべき事をなす、と頑張っています。そのことによるストレスが、ブログを書くことで少しでも緩和されてくれればいいのだが・・・、と思わずにはいられません。

興味のある方は、一度覗いてやって下さい。本人は、自分の友人達に呼んでもらうことを意識しているようですが、私から見ると、なかなか娘の素直な心が表現されていて、自分の娘であることを差し引いても、読めるような気がします。
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by wata1150 | 2006-09-12 19:40 | 日本滞在記
一昨日、秋篠宮家に親王殿下が誕生されました。日本国民として、喜ばしい限りです。
TVなどはその話題で埋め尽くされていましたね。

日本の皇室は世界の様々な王室の中でも、2000年以上もの間継承されてきた、世界最古の歴史を有する物であり、日本と言う国家が存続する限り、皇室も継承されて欲しい物です。

天皇の後継者として、皇室典範の改定問題が昨年辺りから取りざたされていました。天皇の後継者問題です。現在は天皇は男系の男子によって継承されるとなっています。ところが現在の直系の子供で男子は皇太子殿下と秋篠宮殿下で、両殿下の子供には男子がおりませんでした。そのため皇太子殿下の子供である愛子内親王様が天皇になれるよう、女性天皇を容認する案が浮上したのです。

日本の歴史を顧みると、過去には推古天皇・皇極天皇・斉明天皇・持統天皇・元明天皇・元正天皇・孝謙天皇・称徳天皇・明正天皇・後桜町天皇と10回(実際は8名)もの女性天皇を生んでいます。歴史的見地から言うと女性天皇が将来誕生したとしても不思議ではないわけです。

また、世界の王室の事例を見てみると、英国王室や、先頃皇太子ご一家が滞在されたデンマーク王室などのように男女を問わずに継承されるようになっている事例も少なくありません。男女の社会的な差を失くそうとしている日本の社会的風潮から見ても、女性天皇を否定することはどうかと思います。私個人としては、愛子様が女性天皇として即位される日を見て見たいという気持ちもあります。

このたび、親王殿下が誕生されたことで、皇室典範の改定問題が先送りされたかのような印象がありますが、皇室を永久的に継承してゆくことを前提とした場合、天皇家に常に男児が生まれることの確証は無いわけですし、こういった問題が浮上した時期をきっかけにして、女性天皇を容認すべく改定をしてゆくべきでしょう。

私は、実は心の中で、9月6日ではなく、9月8日であれば・・・と、思っていたのですが、残念でした。9月8日は私の誕生日なので、将来私の誕生日が国民の祝日になるかもしれないと思ったのでしたが・・・。ま、この年になると、誕生日もうれしくはありませんが。
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by wata1150 | 2006-09-08 08:13 | 日本滞在記
いよいよ完結編です。やっとたどり着きました。

丁度、ナレーターの女性が展示会場に出勤してきました。昨日のジーパン姿と違い、今日は少し短めのフレーヤのスカートになっているブルーのノースリーブのワンピースでした。昨日見たときも、綺麗な人だと思いましたが、今日はそれに輪をかけた感じで、とても人目を引きそうな感じです。 すごい存在感をかもし出しているのです。 

ところが彼女、ブースの机の後ろに回りこみ、ごそごそとバッグの中を探り出しました。何をするのかと思わず見ていました。 すると彼女、何かを探し当て、それからやおらスカートの中に手を入れるのです。思わず、じっと見つめていると、スカートの内側にスプレーをシュッシュッ! なんだ?なんだ?

そうです。スカートに静電気が帯電し体にまとわりつくため、静電防止剤をスプレーしていたのでした。

頭の中で何かピピッ!!! あ、これだ。静電対策発見!!!
ナレーションの女性にスプレーを貸してくれと頼みました。 彼女が何を思ったかは知りませんが、ニコニコ笑いながら、私に渡してくれました。私はそれを持って展示機の前に立ち、スプレー缶を振って、中にまだ十分な量の中身が残っているのを確認しました。そして複写機原稿台のガラスの表面に何度も吹きつけました。それから、表面乾燥するまでしばらく待ちました。 待ち遠しい時間が過ぎました。スタッフの面々も、すぐに気が付きました。散らばっていた皆が集まってきました。再度、そしてこれがダメだったら最後のテストになるであろうテスト開始です。

再び、原稿台に原稿を10枚くらい置き、コピー用紙が十分にセットされているのを確認して、コピースタートボタンON.

一枚目の原稿がスーっと吸い込まれ、コピーされ、原稿は原稿台に戻ってきます。次の原稿が吸い込まれ、コピーされ、再び原稿は原稿台に戻ってきます。何事もなく、10枚ほどの原稿はコピーされ、原稿は原稿台に戻り、コピー作業は無事終了しました。販売会社のスタッフ、ナレーションの女性、誰からともなく拍手が沸きあがりました。その後、誰がやっても、何回やっても上手く行きました。

ところがこの静電防止剤、女性のスカートにスプレーする物ですので、若干の芳香があります。一時的にしのげますが、ホテルの室内などでは、問題です。私はスタッフの責任者に、工業用又は最悪女性用でも無臭の物の入手を依頼しました。彼は私に“金がない、お前の金を出せ”と言います。本当にないのではないでしょうが、なんとなく親近感を抱いたのと、半分冗談で言ったのでしょう。私は、“僕も少ししかない。それを吐き出すと、今晩ギャンブルをする軍資金がなくなる。”と反論です。それをそんな話をしていたところに、販売会社の女子社員が、息を切らせて入ってきました。荷物を責任者に渡します。テスト成功を見ていた責任者、即、静電防止剤を会社の女子社員に購入手配をしていたのです。さすがアメリカ人、やることは早い。

そして、皆が今日はビッグディナーだ、マックにしようか?とからかいます。みんなで大笑いしてしまいました。 素晴しい機転と楽しいユーモア、アメリカ人、素晴しい人種です。

夕方、その日の展示は終了し、軽い夕食後ホテルでの商談会です。商談会では、私は部屋の隅でスタッフが機械を説明し販売交渉をするのを見守っていました。彼らは時々“Hey.Sum.”と声を掛けてくれます。いつの間にか私はSUMと呼ばれていました。深夜10時頃に商談会が終わりました。

部屋に戻り、シャワーを浴び、ロビーに下りてみると、スタッフ達がニコニコしながら待っていました。赤ら顔の巨体も子供みたいな顔をして、ニヤニヤしています。そういえば、今日は名刺交換もしなかったな、と一人一人に自己紹介しながら名刺を配りました。誰も既に戦友であり、友達であり、仲間であり、今さらという感じでしたが、ともかくビッグディナーに繰り出しました。

私もへたくそな(ホントにへたくそで今思い出すととても恥ずかしい思いです。)英語で、それでも一生懸命、しゃべり倒しましたし、現地スタッフの方も一生懸命耳を傾けてくれました。今思っても、あれほど素晴しいディナーは他になかったような気がします。

展示会の期間中、朝、9時ごろからごそごそベッドから這い出し、目覚ましにと、プールに行きます。数名の若い女性がトップレスの水着姿で泳いでおり、現地スタッフがそれを眺めながら、ハンバーグをほおばっているのを横目にギャンブルで遅くまで遊んで疲れた体を癒します。毎晩、皆でギャンブルに繰り出し、私もブラックジャックや、ルーレット、スロットマシーンなどをやりましたが、200ドルか300ドルくらい、負けたのではないかと思います。負けたのは覚えているのですが、いくら負けたのかは覚えていません。でも、展示機がうまく動いたので、あまり勝ち負けにこだわらず、純粋にゲームやカジノの雰囲気を楽しんでいたような気がします。そして、気が付けば、疲れは吹き飛んでいたような気がしました。 もちろん、展示会は成功し、受注額も目標を達成したとか。

一週間の出張を終え、ラスベガスからサンフランシスコへ、そしてサンフランシスコからパンナムに乗り込みました。

余談ですが、パンナム、今はこの航空会社は存在しません。経営難から他の航空会社と合併し、パンナムの名前は少しの期間は残っていたのですが、合併会社は再び他の会社と合併し、パンナムの名前は消えました。“PANAM”当時はアメリカを代表する航空会社。私が乗ったのはパンナム002便 世界一周便、パンナムの看板路線です。ボーイング747を使っていました。

帰国したら上司には叱られるだろうな、でも叱られることを楽しみにしたいような、妙な気分で飛行機に乗っていたのを覚えています。

仕事で、失敗することも、窮地に立たされることもあります。でも、あきらめないこと、ネバーギブアップ、そして、物事は全て前向きに考えること。そして、いつも明るく振舞うこと。これが必要であることを学びました。そして、何事でも必ず解はある、と!

ラスベガス編はこれでおしまい。いつかまた、何かまとまったら、紹介します。
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by wata1150 | 2006-09-07 00:14 | TADAの海外体験談