中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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敬老の日、読んで字の如く“老人を敬う日”という日である。 

父は4年前に94歳で亡くなったが、母は88歳でまだ健在である。8月のお盆のときにお墓参りをかねて、母の顔を見に行ったが、ボケもせず矍鑠たるものである。
妻の祖母が亡くなったのは3年前、104歳だった。100歳を迎えた敬老の日には、吹田市長の訪問を受けお祝いをしていただいた。

自分の親族だけでなく、周辺にはお年寄りがたくさんいて、日本が長寿国であることを実感する。

世界一の長寿国であり、しかも世界有数の経済先進国であるのに、政府に内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)というポストがある。子供の数が年々減少し、将来的には人口の高齢化が進む中で、福祉や経済を維持してゆく労働人口を確保しようという、実に現実的で深刻な問題が存在するからである。いま、子供が少なくなってしまうと、いまから、更に増えることが予想される高齢者への福祉が手薄にならざるを得ないということである。

何かで読んだのだが、日本の女性が一生の間に子供を産む人数は1.2人程度とか。つまり、一人の男性と一人の女性が、一生の間で1.2人しか子供を作らないのであるから、当然人口は減少してゆく。しかも医療体制が年々よくなって高齢化が進むのだから、人口バランスが大幅に狂い、高齢側にシフトしてゆくのは当然である。最近の統計では65歳以上の高齢者の比率が20%を超えたとか。

話は変わるが、現在世界の総人口は60数億人だそうだ。が、年々増加傾向にあり50年後には80億人を超えると予想されている。増加するのは、インド、アフリカ中南米などの中後進国であり、日本、アメリカ、ヨーロッパなどの先進国は伸びず、また現在世界一の人口を有する中国も“一人っ子政策”のおかげか、その人口の伸びは大きくない。50年後にはインドが世界一の人口になり、中国が2位になるとの予想もある。

中国は、現在総人口は13億人と言われている。“一人っ子政策”のおかげで、人口の伸びは少なくなってきているという。そしてその人口の年齢別構成比のシフトは、現在の日本を凌ぐ勢いである。急速な経済発展、それに伴う大幅な生活環境改善で、平均寿命も年々伸びてきている。その結果、中国にも日本と同じような状況が作り出されつつあるのである。先日のニュースで、中国でも、60歳以上の高齢者の、総人口に占める割合が25%を超えたと伝えていた。将来中国が、日欧米並みに経済レベルが成長したときに、現在の日本と同様、高齢者向け福祉が大きな問題になろう。

もう一つ、気になるのは高齢者労働力の活用である。ある統計によると65歳以上の就労者の比率は、アメリカが10%強、イギリスが6%程度なのに対して、日本はアメリカを上回っているのだそうだ。少子高齢化が進む中、高齢者の労働力は、貴重な税収源になるばかりか、日本の経済力を支える大きな力になって行くのかもしれない。
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by wata1150 | 2006-09-18 13:28 | 雑感

雑感-1

1.最近、時々相互のブログでコメント交換をしているchouheiさんという中国人のブログの中でディスカッションをした。

chouheiさんは中国から日本に留学している学生である。なかなかストレートに物事を捉え、その言い方にも歯切れのよさを感じることもある、好青年である。

最近、彼は自分のブログの中で、山口高専における女子学生殺人事件について投稿した。そしてその件から、私を含めた数名で、何回かの議論投稿をした。中国からの留学生、在日華僑中国人、日本人、など。それぞれ育った環境が違い、文化の異なる人たちの意見交換なので、私も結構面白かった。

その内容そのものをどうのこうの言うことはともかく、このような議論に発展したことがうれしいし、楽しかった。他人を非難することなく、自分の感想、意見を述べ合い、相互理解を深めることは大切なことと思う。また、何かの事象について議論するような展開になればいいなあ、と切に思う。

2.ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、千葉県で、日本人に嫁いだ妻が、夫をインスリンという糖尿病治療薬を使って殺そうとしたとして、中国人妻が起訴され裁判が始まった。幸か不幸かこの日本人の夫は一命は取り留めたものの、今もって意識不明だそうである。真実はこれから明らかにされてゆくのだろうが、私はこのような事件が起こってしまったことが悲しい。中国から日本人に嫁いだ妻にとって、結婚したときの夢や理想が壊されてしまったのかもしれない。利害で結婚する人も居ないことは無いであろうが、子供をもうけ、育ててゆく中で、夢に向って一生懸命生活していたはずであろうから。

私が、上海にいたときにふとしたことで知り合ったある女性を思い出す。彼女は30歳を少し越していたのではなかろうか。割りに年の離れた日本人男性と結婚したそうである。二人は上海で暮らしており、二人の間には女の子がいるのだそうだ。しかし、彼女は言った。「日本人は結婚したら、妻を拘束するの?私には自由がなくなった。」「日本人は妻がいても、他の女性と恋愛するの?」そして、彼女はその日本人男性に対する愛情を徐々に失って行き、離婚を考えるようになった。そして、今後男性に心を許すことは永遠に無いであろうと言い切っている。

女性が、お腹を痛めて産んだ子供にたいして、母親としての強い愛着があることは理解できる。が、中国では離婚すると親権は一般的に父親に渡され、母親はなかなか子供にあえなくなるのだそうだ。日本では、離婚しても、月一回とかでお互い子供に会うことを協議の上で離婚するケースがあるのだが。子供は何年後かに小学校に入るため、日本に帰国すると言う。

母親である彼女は、日本のマルチビザを取得し、離婚しても定期的に子供に会えるよう、準備をしているのだそうである。

千葉県の事件でも、母親は離婚したら子供に会えなくなる、だから・・・、と弁明しているそうだ。日本人社会と中国人社会の習慣、法律その他いろいろな違いのために起きた事件と言えなくは無いかもしれない。

3.今日のニュースで、アメリカ議会が日本の首相の靖国参拝を巡って、共和党と民主党議員の間で論争が起きていると言う報道がありました。

民主党議員は”日本の首相の靖国参拝に反対する。それはA級先般が合祀されているのであるから、首相の参拝は第2次世界大戦を日本として肯定するものであるから。”と主張していました。そして共和党議員は”そのような論争をすることは、中国や韓国の対米、対日政策の一環であり、日米関係を分断させようとするもの。”として”首相の参拝は日本に任せるべきであり、他の国が口を挟むべきではない”とするものだったように思います。

共和党は現在のブッシュ政権を支えている政党であり、民主党はクリントン前大統領の支持母体となっていた政党です。

ここにも、その立場によって、利害によって全く異なった意見、思想が出てきます。この議論が将来世界をどのように変えてゆくのか、非常に興味があります。

私の勝手な私見ですが、この問題に大きな二つの問題が含まれているように思います。一つは、アメリカで共和党議員が指摘したような、国家間の利害の問題、そしてもう一つは、たとえその人が悪人であろうが罪人であろうが、死者に対して更に鞭をうつべきなのか、それとも死後においては、全ての人を平等に弔うべきなのかという宗教観の問題です。

これに対し、現在の小泉首相は行動でその考え方を示しました。現在進行している自由民主党の次期総裁選挙において、どのような人が総裁として選ばれるのか、興味深いと思います。

今後も、時々雑感や問題提起を書いて見たいと思います。
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by wata1150 | 2006-09-15 19:05 | 雑感

明日帰国します。

明日、午前のCA便にて帰国します。上海→仙台の直行便です。

今日は、朝8時半にピンポンという玄関のチャイムの音で起こされました。家庭教師の姚さんです。部屋の掃除と荷物の荷造りの手伝いに来てくれました。今日はとても暑い日で30度以上はあったのですが、姚さんは顔を真っ赤にし、衣類の背中を汗でびっしょりとぬらしながら奮闘してくれました。ダンボール7個、スーツケース4個に加え入りきれない布団などの寝具類などを手際よく折りたたみ、梱包してくれました。お疲れ様でした。そして本当にありがとう。
また上海に戻ってくることがあれば、また家庭教師として、友達として、宜しくお願いします。早く就職先が見つかるよう祈っています。

昼前に、一年間阿姨さんをしてくれた陳さんが来てくれました。キッチンにある、食器、調理器具、調味料など、それに掃除用具や洗剤、洗濯した衣類などをまとめ、スーツケースに入れたり、ダンボールに入れたり。長年の主婦経験で手馴れた様子で、片付けてくれました。また、お昼には手造りのランチをお孫さんに届けていただき、姚さんともども美味しい昼食をいただきました。最後の最後までお世話になり、ありがとうございました。上海に戻ることが出来たらまた、宜しくお願いします。

CF社の高木さん、荷物を預かってもらうことになって、申し訳有りません。出来るだけ早くに移動させるなり、送るなり引き取るなり明確にします。それまでの間、宜しくお願いします。この暑い中、車の手配から、荷物運び、CF社への搬入、と頑張ってもらい、感謝感激です。

他にもtakigiさんから荷物預かりの申し出があったり、他に数人の方々から梱包や掃除の手伝いの申し出があったり、本当にお世話になりました。

明日、帰国しますが、27日には、ある会社の就職面談の話が来ました。決まるかどうかは解りませんが、最大限の努力をしたいと思っています。

また、CF社の森田さん、MT-SH社の岡本さんなど、私の再就職のために奔走いただいている皆さんにも、感謝します。

またまた、ブログを通して私と友達になってくださったメビウスインターナショナルの樋口総裁、本当にありがとうございます。おかげでとても有意義な上海の一年を過ごさせていただきました。今後とも公私に渡って、宜しくお願いします。

最後に、「TADAの上海日記」を一年間、読んでいただいた皆さん、特に私にブログを教えてくれたmoko-annさんや、だいちゃんさん、いつも楽しいコメントをいただいた、tubomimさん、aki88kiさん、nihao_keikooさん、chouheiさん、takigiさん、azuさん、そしてE-Mailや電話などでいろいろ激励してくれた多くの皆さん、本当にありがとうございました。今後上海に関すること、その他何とか続けられるだけ、続けていきます。その間に就職先が見つかれば良いと思っています。また、時間があれば覗いてみてください。今後とも宜しくお願いします。
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by wata1150 | 2006-06-24 23:37 | 日記

引越し準備

日本帰国を明後日に控え、家の整理をする準備を始めた。

帰国後の生活パターンによって荷物の対応が異なるため、なんともすっきりしない整理である。

(1)帰国後、再度上海には戻らないケース。電化製品は日本では使用できないため、全て処分し、必要な物は全て日本に持ち帰りする。ただし、私としては何とか上海に戻りたいと言う希望があるので、このケースは考えない。
(2)帰国後再就職が上手く行き、すぐに上海または中国に戻るケース。ベストな方向である。日本滞在中に必要な物だけを持ち帰り、残りは上海の知人に預ける。上海に戻り次第、即引き取る。
(3)帰国後再就職決定までに時間が掛かり、数ヶ月必要な場合。持ち帰り荷物に秋冬用のスーツを追加。私としては、避けたいパターンだが、自分では決められない。
しかし、私としては持ち帰り荷物を最小限にするパターンを選んで、帰国後再就職に全力投球することにした。

一年間で私が日本から持ってきたのは、文庫本と衣類だけである。が、スーツケースに入れてみると夏用、冬用あわせて大型スーツケース3個になった。結構な量である。そのほかに名刺やノート、パソコンなどを入れる中型ケースが一個満タンである。
この中から大型一個、中型一個を持ち帰ることにした。

衣類や、業務関連以外では、電化製品、台所用品、寝具、本、文房具、CD、配線器具、化粧品類、靴、傘、などであるが中型のダンボールで3個になった。大変な量である。これらを預かってくれる友人も大変だな、申し訳ない、と心の中で手を合わせながら、詰め込みをしている。

今日は阿姨さんが夕方から手伝いに来てくれ、台所用品の詰め物が終わってしまった。
明日は中国語の家庭教師をしてくれている姚さんが朝から手伝いに来てくれ、夕方には荷物を預かってくれる友人が来てくれる。明日の夕方には皆で近所で食事をし、しばしの別れを惜しむとしようとおもう。

夕方、日本の家庭料理の店の「和泉」の亜希さんから携帯メールが来た。帰国前によって欲しいと言う。また、上海には何時戻るのか、とも。上海に半分儀礼かもしれないが、別れを惜しんでくれる人がいることを思うとき、人間も捨てたもんでもないと、実感する。きっと帰ってきますから、と返信しておいた。
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by wata1150 | 2006-06-23 23:58 | 日記

上海(2)

初めて上海を訪れたのは初めて中国に足を踏み込んでから結構時間が過ぎていたとおもう。当時は主要客先が上海には無く、広東省に有った客先の顧客として数軒のお客がいた程度であった。上海浦東に初めて降り立ち、上海市内に入ったとき、上海は他の中国の都市と色が違うことにすぐに気が付いた。高層ビルが林立し、タクシーやバス、乗用車などが道路一杯に走り、それまでの中国各地の都市とは明らかに趣が違った。まるで中国から外国に出かけたような錯覚を覚えたことを記憶している。

初めて中国を訪れてから数年後、初めて上海に降り立ち、上海のお客さん回りや市場の状況などを調べて歩いた。そして、初めて、上海には上海語があり、それは上海人で無いとわからないと言うことを知った。スタッフは当時広東省出身の女性で、私に「今のは、上海語だから、私にも全然理解できない」と教えてくれた。そして上海には上海の文化があり、同じ中国と言えども、北京の文化や広東省の文化とはそれぞれ微妙に異なることを学んだ。

上海を中心にして中国全土に販売チャネルを持つ大手ディストリビュータを見つけた。上海にあったあるディストリビュータからの紹介である。その、大手ディストリビュータに我々の商品を販売してもらうために上海通いが始まった。毎月数回は足を運んだ。その紹介してくれた客先や目標としたディストリビュータと何度か食事を共にし、お酒を飲んだ。その場所が徐家匯であった。が、当時は徐家匯が上海のどのあたりにあるのかさえもわからなかった。今でもその大手ディストリビュータに在籍していて、いつも我々とやりあったWLさんや、WLさんを紹介してくれたCBさんとは交流がある。

当時、私の理解では「上海」は、中国で最も中国らしくない、歴史的な史跡も無い、大きなビジネス社会という印象であった。したがって、北京に行ったときのような、感慨はあまり持たなかった。ホテルにチェックインし、お客様とビジネスの話をし、レポートを作成し、シャワーを使い、時々お客様と食事をし、お酒を飲む程度、東京や横浜にいてすることとほとんど変わらなかった。

だから、私の個人的感覚で言えば、上海は中国で一番面白くない都市であり、好きではなかった。この感覚は今でも多少はある。それで、いま上海に生活をしながらでも、私をして週末や休日に中国的なもの、中国的な場所、とくに古い時代の面影が見える場所へと誘うのである。

上海に来て11ヶ月が過ぎた。あと3週間で12ヶ月、丁度一年になる。言葉の壁に苦しみ、それでも何とか中国人の何人かと知り合いになり、夜遊びも多少は出来るようになり、仕事の上での知り合いも多少は広がってきた。
上海に来るときに始めた「TADAの上海日記」というブログ、一年間続けてこれた。無論直接業務に関することは書けないから、遊び、観光、生活などの話題が中心になる。内容も、薄っぺらな物が多くて、気恥ずかしい。それでも「継続は力なり」と言う言葉を信じ、何とか続けてきた。ブログへの投稿の為の取材旅行なんてこともあった。

いま、振り返ると、私のなかの上海像は大きく変わった。無機質で、ビジネス一辺倒で、古いものが追いやられ、新しい文化が街中を席巻し、情感も、ゆとりも何もないと思っていた「上海」だったが、今は生活の場であり、無機質と思っていた生活空間にも有機的に人間が結びつき、熱い情熱が飛び交っている。古いものも置き去りになっているのではなく、点在して綺麗に保存され、誰もが見て触ったり、味わったり出来るようになっている。まさに、非常に人間臭い現代都市なのである。
生活環境も、他の中国の大都市に比べると、我々外国人にとっては住みやすい環境だと思う。地下鉄が走り、高速道路が整備され、輸入食品や海外資本のデパートやスーパーが点在している。北京や広州、重慶、天津といった大都会とは全く違った環境なのである。無論、あまりにも急速に近代化、欧米化してきたために、社会的な矛盾がいたるところに見られる。しかしこれは時間と共に、徐々に解決されてゆくだろう。

いま、上海を去らねばならないという事態に直面している。再就職先はいずれ決まるだろうが、必ずしも上海とは限らない。上海が依然として好きな街ではないということに変わりは無いが、出来れば上海にこのまま住み続けたいものだ、と最近では思うようになってきている。私の「夢」の実現に向けて、その基盤としてはベストかもしれないと思えるようになってきたからである。

「TADAの上海日記」も今回で200回目の投稿を迎えた。我ながら、ほめてつかわしたい、とおもう。最近は一週間で200人から300人の人が覗いてくれるようになった。コメントのやり取りをしながら何人かの人とは実際にお会いしたり、メールのやり取りをしたり、と、いわゆる「ブログ友達」も増えた。皆さんに感謝の気持ちで一杯である。そして、何とか「TADAの上海日記」を継続したいと強く思っている。
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by wata1150 | 2006-06-21 13:01 | 上海

上海(1)

私にとっての上海とは・・・? ふと考えてみた。

以前、私はM電器という、日本では知られた会社で、あるコンピュータ部品の営業部門に在籍していた。この部品は日本ではほとんど需要が期待できず、営業はほとんどが海外であった。アメリカ、欧州、台湾、中国、シンガポールやマレーシアなどの南アジア、中近東等。私はその中で台湾、アメリカ、シンガポールなどを受け持ち、そして最後に中国を担当した。

このコンピュータ部品の市場は大きく分けてOEM市場と再販市場の二つであった。OEM市場とはいわゆるコンピュータメーカーを客先とする市場であり、再販市場とはDIY客を相手にするいわゆる中小規模のコンピュータショップやシステムインテグレーターと呼ばれるユーザーなどを対象にしたコンピュータ部品のディストリビュータを客先とする市場である。

台湾やその他の市場では、以前は私がこの部品の開発を担当していたこともあり、どちらかと言えば販売に必要な技術的なサポートを含めたOEM市場を中心に活動していた。この頃は世界の大手コンピュータメーカと呼ばれた多くの有名なメーカーを頻繁に訪問していたものである。

最後に中国市場を担当することになった。中国は、私個人にとってある思い入れのある国であり、いつかは担当したいと思っていた市場であった。その思い入れとは・・・。

私は、昔から本を読むのが好きで、文庫版をいつも5冊、10冊と買い込んでは読んでいた。年間で多いときは100冊以上も読むこともあった。読むのは出張先でのホテルや、移動中の飛行機や電車の中が中心だったが。推理小説や文芸作品、歴史小説などいろいろな小説を読み、その世界に浸ることが好きだった。もう10数年前になるが、三国志を読んだ。山岡壮一か誰かの文庫版だったと思う。7冊セットで読み応えがあった。しかし、いつかその世界にのめりこみ、出張中だけでなく家に帰っても、社内の昼食時間も本を離さず読んでいた。壮大なスケールと登場人物の世界観などに惹かれた。それから、三国志前後の時代に生きた中国歴史上の人物にスポットを当てた小説を買いあさって読んだ。陳舜臣や宮城谷昌光などが多く書いていた。それらの本を読んでいるうちになんとなく、その時代に生きた人物達のことをもっと知りたい、後世に語り次がれるようになったわけを知りたい、その当時の一般市民の生活感を知りたいと考えるようになった。最終的には三国志の時代背景、三国志にいたる思想、政治などの変遷を学んでみたいと思いついたのである。これを、会社生活を終えたあとのライフワークにしようと思うようになったのである。

中国古代史を学ぶには中国に行かなければならない。そう思っていた私だったが、実際は台湾や香港は訪れたことがあったが、中国本土は未体験であった。無論、台湾台北市にある故宮博物館は再三に渡って訪れた。一つの展示物を見ては長時間を費やし、その時代に思いを馳せていた。だから、中国市場担当は憧れでもあったのである。そしてついにその機会が訪れた。

当時、中国のコンピュータ産業は、台湾メーカが安い労働力を求めて大挙して中国に進出していたが、製品開発や部品調達などは全て台湾サイドでコントロールされており、中国サイドで営業活動できる状況ではなかった。従って中国市場における営業活動は必然的に再販市場営業であった。中国における再販市場の整備、マーケッティングが主たる業務になった。そして中国に足を踏み出したのである。

ところが、現在では多くの中国人が英語を立派に使いこなしているが、当時の中国は今まで経験してきた国々と違って、英語が業務として使えない国だった。中国では一歩市場に入ると、たとえ大手コンピュータメーカと言えども、英語が通じなかった。無論M社の販売会社では日本語か英語が通用したので、販売会社までは大丈夫だったが。やむなく私の専任スタッフとして中国人スタッフを雇用し、市場に出かけるときにはいつも同行してもらった。通訳として、秘書として。そして、中国語をマスターしないと中国古代史など及びも付かないことを実感させられた。

そして、中国市場に入って、深圳、広州、北京そして上海と訪れた。北京を始めて訪れた時にはとても感動したものである。そして、天安門広場や、故宮博物院、万里の長城などを、時間を見つけては歩き回った。その後多くの都市を巡ったが当時はそれだけ回ると、頭が痛くなった。何せ日中、客先と会っていると、会話は全て中国語であり全くわからない。夕方ホテルに帰ってスタッフとその日のまとめをしていると、頭痛がしたのである。

前置きが長くなってしまった。次回、上海の本論に行くことにします。
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by wata1150 | 2006-06-20 04:10 | 上海
諸般の事情があり、帰国することになりました。最終決定では有りませんが、6月25日前後に帰国することになるだろうとは思います。就労ビザは6月末までが期限なので、6月30日までは留まれますが。

私個人としては、夢を持って、目標を持って上海に来たわけで、こんなにも早く帰国せざるを得ない事態になるとは、夢にも思いませんでした。

私の夢は、というか、将来の自分の姿は、仕事をしながら、中国語の勉強を重ね、ある程度に年齢になったら、好きな中国古代史の勉強をしながら、中国各地の史跡を巡りたい、というものです。

その夢の実現に必要な物、中国語は昨年7月に上海に来てから、家庭教師の先生に来てもらい、遅々として進まない苛立ちを持ちながら、やってきました。あと数年は掛かるのではないかと思います。生活をするための資金も要ります。学校に行くための授業料も必要です。そのためにも何とか上海で継続を・・・と、考えていました。

しかし、理想と現実はなかなか一致しにくい物で、第一回目の頓挫が発生しつつあります。夢を追うためには、再度上海に来る条件が必要です。ここ数日、その方策を達成するために、いろいろ考え、手を打ってきました。そして、一旦帰国し、上海駐在または中国駐在を前提にした再就職の道を進むことにしました。

人材紹介会社や知人、友人など連絡を取り再就職口を捜してもらうことにしました。そして、目途が立つまで一旦、上海の生活に区切りをつけて帰国することにしたのです。

TADAの上海日記は上海にいてこそ書けるものです。したがって、帰国した後は書きにくいと思います。休止するのか、中国や上海に対する思いを綴って繋ぐか、いまはまだ決めていません。一年近くも継続し、毎日毎日読んでくれている人も居り、コメントを通して友達みたいに付き合いをいただいている人も居り、私自身も何とかブログとして継続したいと思っています。
継続は力なり、という言葉もあり、今の危機を乗り切って継続したいと思います。

今日から、部屋を明け渡す為の片付けを徐々に始め、24日に友人の事務所の片隅に預かってもらい、7月か8月に再度上海に来るつもりでまた、日本と上海で就職活動をしたいと思っています。幸い一部の人材紹介会社さんから早速数件の紹介があり、何とか私の希望に合う条件の会社を見つけて決着したいと思っています。
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by wata1150 | 2006-06-18 17:18 | 挨拶

メール接続が回復

以前、メールが繋がらないということを言いましたが、昨日から、どうもメール接続が回復した様子です。朝起きて、メールボックスを見たらすごい数のメールが落ちてきていました。

メールの中でとりあえず、家族や友人などのメール、仕事の上でのメール、広告メールなどに仕分けし、夜に整理して返事を書いたり、捨てたりして大変でした。3時間くらい掛かったかな?

インターネットのUPロード、ダウンロードは数日前に回復し、投稿が出来るようになっていましたが。

気が付いてみると、私の上海での生活の中でコンピュータ特にインターネットは欠かせない情報ツールになっていたようです。新聞のニュースもインターネットで朝日新聞や毎日新聞のサイトで読みますし、TVの番組表もインターネットからチェックします。旅行に行く際の航空券の手配もインターネットでJALやANAなどの航空会社のサイトから行います。病院で訳のわからない薬をもらえば、やはりインターネットの中でどのような薬か、どんな副作用があるのか、などもチェックします。

ブログもそうです。ブログを通じて出来た友達も多くなり、そのコミュニケーションはインターネットのE-Mailやブログを通じて行います。

何年か前までは家族との連絡、会社での業務は電話、FAXがその主流でした。が今ではE-Mailとインターネットです。机の上に電話がなくとも仕事が出来ますが、パソコンが無いと仕事になりません。FAXもオフィスには有りますが、受信する量はわずかです。その代わり、パソコンと接続されたプリンターが大活躍しています。

MSNメッセンジャーやYAHOOのメッセンジャー、SKYPEなどのコミュニケーションツールも大活躍です。従来の電話でなくとも、パソコン電話とも言えるこれらのツールで話も出来るし、文字を通しての会話が出来る。絵や写真、図面なども即座に送って双方で確認しながらコミュニケーションできる。

大概のコミュニケーションはインターネットを通じてできるようになりました。在宅ででもほとんどの仕事はこなせそうです。

この数日間、私だけでなく相当な数の中国にいる人たちがこの便利な機能を奪われました。経済的損失も莫大な物になったことでしょう。今後このようなことが起こらないように願いたい物です。
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by wata1150 | 2006-06-10 11:50 | 日記

メールが繋がらない!

以下は、ある私のブログ友達のブログに掲載されていた記事である。

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ここ最近メールの送受信が上手く行ってないのが、あちこちで聞かれる。
但し、外国人だけ。それも海外のサーバー利用している方たちだけのようです。
日本人でも中国のサーバー使っている人は何も問題なくスムーズなやりとりが出来ているようです。
ヤフーメールは大丈夫だけどホットメールは使えない事がしばしばある。
これについてはMSNが中国政府を公式に非難したという噂を耳にしているが何となく真実っぽいですね。
私の会社では今のところは日本とアメリカと2箇所にサーバーを借りているが両方駄目なとき、どちらか片方だけと、とにかく受け取れないのが
続いています。だから日本だけではないって事ですね。多分、今送受信上手く行かない方は日本のサーバーを使用していると思われます。
これについては中国政府の指示だと思います。

随分前の話ですが、まだダイヤルアップしか使用できない環境の頃、中国は海外との送信及び海外のサイトに入るのをストップかけた事があります。
法輪功(宗教)問題が勃発したころです。今回も、何か問題があるか、あるいは今後開かれるオリンピックや万博の影響で海外より中国へ
人がなだれこむ中、入れたくない人間までも入国し影響あるだろうとかでテスト的な試みかも知れません。
なんにせよ政府が指示しているのは間違いないでしょうね。

うちの場合は、社内の重要な用件だけ専用掲示板設けて交信しています。
ヤフーでの転送も検討していますが、フリーメール自体使ってなかったので勝手がわかりません(笑)。
一応ヤフーメールのアドレスは取ったので重要な連絡先にはヤフーアドレス通知して事情説明しています。

自由になった国境が無くなったなんて言っていますが、やればできるものなのですね。全く怖いものです。
秘密厳守はネットに関しては、信用しないほうがいいって事ですね。
やっぱ面倒で費用もかかったけど昔の電話やテレックス時代が一番安心できたのかも?
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私のメールも繋がらなくなってしまっています。会社のアドレス、個人のアドレスともです。
唯一YAHOOメールのみ送受信が可能です。私の会社の同僚も同じ現象がおきています。
したがって、当面、私へのメール連絡は文章のみならば日本の携帯のE-MailでもOKですがPCでのメールはYahooアドレスに送付ください。Yahooアドレスが不明の方はこのブログのコメント欄に非公開で連絡ください。折り返し至急アドレス連絡させていただきます。

私の投稿を読んでくださっているAさんから情報をいただきました。参考までに追加掲載します。
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by wata1150 | 2006-05-29 00:05 | 日記

中国 12花神

蘇州水郷風情民俗園に記されていた十二花神は以下の通りでした。
正月 梅芲神 壽陽公主
二月 杏芲神 楊貴妃
三月 桃芲神 息夫人
四月 牡丹芲神 麗娟
五月 石榴芲神 衛鑠
六月 荷●神 西施 (●は読めませんでした。)
七月 葵芲神 李夫人
八月 桂花神 徐恵
九月 菊芲神 左貴嬪
十月 芙蓉芲神 花慈夫人
十一月 山茶花神 王昭君
十二月 水仙芲神 洛神

これをある中国のHPで調べてみるとこんな物がありました。

正月˙梅花~花神壽陽公主
梅花的花神相傳是宋武帝女兒陽壽公主。在某一年的正月初七,陽壽公主到宮裡梅花林賞梅,一時困倦,就在殿簷下小睡,正巧有朵梅花輕輕飄落在他前額,留下五瓣淡紅色的痕跡。陽壽公主醒後,宮女都覺得原本嫵媚動人的她,又因梅花瓣而更添幾分美感,於是紛紛模仿,以梅花印在額上,稱為「梅花妝」。世人便傳說公主是梅花精靈變成的,因此陽壽公主就成為正月的花神。

二月˙杏花~花神楊貴妃
杏花的花神相傳是楊貴妃。楊貴妃雖然身繫唐玄宗的三千寵愛於一身,但是在安史之亂時,馬嵬兵變,玄宗不得已應軍士之求殺了楊貴妃。當時,眾人將楊貴妃的屍體懸掛在佛堂前的杏樹上。平亂之後,玄宗派人取回屍骨時移葬時,只見一片雪白的杏花迎風而舞。玄宗回宮後,命道士尋找楊貴妃的魂魄,此時的楊貴妃已在仙山上,司職二月杏花的花神了。

三月˙桃花~花神息夫人
桃花花神最早相傳是春秋時代楚國息候的夫人。息候在一場政變中,被楚文王所滅。楚文王貪圖息夫人的美色,意欲強取,息夫人不肯,趁機偷偷出宮去找息候,息後自殺,息夫人也隨之殉情,此時正是桃花開遍的三月,處人感念息夫人的堅貞,就立祠祭拜,並稱他為桃花神。

四月˙牡丹~花神李白
牡丹花神傳聞甚多,或說貂蟬,或說麗娟(漢武帝的寵妃),但已李白最為知名。有一回,唐玄宗偕同楊貴妃在沉香亭賞牡丹,一時興起,宣李白進宮寫三章「清平樂」的詞。李白接旨時,宿醉未醒,上殿時故意要太監高力士脫靴、楊貴妃磨墨,隨即寫下文明於世並使他成為牡丹花神的三首「清平樂」:
「雲想衣裳花想容,春風拂檻露華濃;若非群玉山頭見,會向瑤台月下逢。」
「一之紅艷露凝香,雲雨巫山枉斷腸;借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新粧。」
「名花傾國兩相歡,常得君王帶笑看;解釋春風無限恨,沉香亭北倚闌干。」

五月˙石榴~花神鍾馗
石榴的花神相傳是鍾馗,五月是疾病最流行的季節,於是名間傳說中的「鬼王」鍾馗,便成為人們主要信仰的對象。生前性情十分暴烈正值的鍾馗,死後更誓言除盡天下妖魔鬼怪。其疾惡如仇的火樣性格,恰如石榴迎火而出的剛烈性情,因此,大家就把能驅鬼除惡的鍾馗視為石榴花的花神。

六月˙蓮花~花神西施
蓮花的花神相傳是決代美女西施。傳說中,西施在助越滅吳之前,是賣柴人家之女,夏日荷花盛開時,西施常到鏡湖採蓮,也許因為西施曾是六月時節的採蓮女,她美麗的身影無人能比,於是自然成為蓮花的花神了。

七月˙蜀葵~花神李夫人
蜀葵花的花神相傳是漢武帝的寵妃李夫人。李夫人的兄長李延年曾為他寫下一首極動人的歌,即:「北方有佳人,絕世而獨立;一僱傾人城,在僱傾人國;傾城傾國,佳人難在得。」由於李夫人極早逝,短暫而麗的生命,宛如秋葵一般,所以人們就以她為七月花蜀葵的花神了。

八月˙桂花~花神徐惠
桂花的花神相傳是唐太宗的妃子徐惠。徐惠生於湖洲長城,從小即聰穎過人,五月大就會說話,四歲就能讀論語,八歲就能寫詩文。因為才思不凡,被唐太宗招入宮中,封為才人。太宗死後,徐惠哀傷成疾,二十四歲就以身殉情,後世就封這位才奇不凡的女子為桂花的花神。

九月˙菊花~花神陶淵明
菊花的花神相傳是陶淵明,菊花凌霜怒放,性情冷傲高潔,在群芳中備受「不為五斗米折腰」的陶淵明喜愛,更為菊花寫下「採菊東籬下,悠然見南山」的千古明句,菊花的花神自然非他莫屬了。

十月˙木芙蓉~花神石曼卿
木芙蓉的花神相傳是宋真宗的大學士石曼卿。宋代盛傳在虛無飄緲的仙鄉,有一個開滿紅花的芙蓉城,據說石曼卿死後,仍然友人遇見他,在這場恍然若夢的相遇中,石曼卿說他已成為芙蓉城的城主。因為在眾多傳聞中,已石曼卿的故事流傳最廣,後人就以石曼卿為十月芙蓉的花神。

十一月˙山茶~花神白居易
山茶花的花神相傳是白居易。白居易是陶代知名的詩人,以「野火燒不盡,春風吹右生」的詩句,備受稱讚而聞名於世。傳聞中並沒有說明為什麼白居易是山茶花的花神,或許因為詩人不畏權貴的性情,如同山茶不畏寒風細雨吧

臘月˙水仙~花神娥皇與女英
水仙的花神相傳是娥皇與女英。據說娥皇、女英是堯帝的女兒,兩人同嫁給舜。姊姊為后,妹妹為妃,三人感情甚篤。後來,帝舜在在南巡時駕崩,娥皇、女英雙雙殉情於湘江。上天憐惜二人至情至愛,便將二人的魂魄化為江邊水仙;二人也就成為臘月水仙的花神了。


何がなんだか解らないというほどではないが、日本語訳を造るのは私の中国語レベルでは困難です。ただし、解説では「梅花的花神」となっているが、蘇州では「梅芲神」となっています。「芲」という文字は日本語では「カ」と発音するそうです。多分「花」または「華」に通じる文字かもしれません。
また、蘇州に書いてあったものと、人の名前が多少異なっており、諸説あるものらしいです。蘇州のものは、全て女性でしたが、中国のサイトで見たものは、李白、鍾馗、陶淵明、石曼卿、白居易などの男性が取り上げられていました。なかなか面白い。私としては全て女性であった方が、花神であるだけに、似つかわしいとは思いましたが。

一気にとは行きませんが、調べた上でそれぞれの花神の背景をもう少し調べてみようと思っています。
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by wata1150 | 2006-05-07 23:49 | 日記