中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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引越し準備

日本帰国を明後日に控え、家の整理をする準備を始めた。

帰国後の生活パターンによって荷物の対応が異なるため、なんともすっきりしない整理である。

(1)帰国後、再度上海には戻らないケース。電化製品は日本では使用できないため、全て処分し、必要な物は全て日本に持ち帰りする。ただし、私としては何とか上海に戻りたいと言う希望があるので、このケースは考えない。
(2)帰国後再就職が上手く行き、すぐに上海または中国に戻るケース。ベストな方向である。日本滞在中に必要な物だけを持ち帰り、残りは上海の知人に預ける。上海に戻り次第、即引き取る。
(3)帰国後再就職決定までに時間が掛かり、数ヶ月必要な場合。持ち帰り荷物に秋冬用のスーツを追加。私としては、避けたいパターンだが、自分では決められない。
しかし、私としては持ち帰り荷物を最小限にするパターンを選んで、帰国後再就職に全力投球することにした。

一年間で私が日本から持ってきたのは、文庫本と衣類だけである。が、スーツケースに入れてみると夏用、冬用あわせて大型スーツケース3個になった。結構な量である。そのほかに名刺やノート、パソコンなどを入れる中型ケースが一個満タンである。
この中から大型一個、中型一個を持ち帰ることにした。

衣類や、業務関連以外では、電化製品、台所用品、寝具、本、文房具、CD、配線器具、化粧品類、靴、傘、などであるが中型のダンボールで3個になった。大変な量である。これらを預かってくれる友人も大変だな、申し訳ない、と心の中で手を合わせながら、詰め込みをしている。

今日は阿姨さんが夕方から手伝いに来てくれ、台所用品の詰め物が終わってしまった。
明日は中国語の家庭教師をしてくれている姚さんが朝から手伝いに来てくれ、夕方には荷物を預かってくれる友人が来てくれる。明日の夕方には皆で近所で食事をし、しばしの別れを惜しむとしようとおもう。

夕方、日本の家庭料理の店の「和泉」の亜希さんから携帯メールが来た。帰国前によって欲しいと言う。また、上海には何時戻るのか、とも。上海に半分儀礼かもしれないが、別れを惜しんでくれる人がいることを思うとき、人間も捨てたもんでもないと、実感する。きっと帰ってきますから、と返信しておいた。
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by wata1150 | 2006-06-23 23:58 | 日記

上海(2)

初めて上海を訪れたのは初めて中国に足を踏み込んでから結構時間が過ぎていたとおもう。当時は主要客先が上海には無く、広東省に有った客先の顧客として数軒のお客がいた程度であった。上海浦東に初めて降り立ち、上海市内に入ったとき、上海は他の中国の都市と色が違うことにすぐに気が付いた。高層ビルが林立し、タクシーやバス、乗用車などが道路一杯に走り、それまでの中国各地の都市とは明らかに趣が違った。まるで中国から外国に出かけたような錯覚を覚えたことを記憶している。

初めて中国を訪れてから数年後、初めて上海に降り立ち、上海のお客さん回りや市場の状況などを調べて歩いた。そして、初めて、上海には上海語があり、それは上海人で無いとわからないと言うことを知った。スタッフは当時広東省出身の女性で、私に「今のは、上海語だから、私にも全然理解できない」と教えてくれた。そして上海には上海の文化があり、同じ中国と言えども、北京の文化や広東省の文化とはそれぞれ微妙に異なることを学んだ。

上海を中心にして中国全土に販売チャネルを持つ大手ディストリビュータを見つけた。上海にあったあるディストリビュータからの紹介である。その、大手ディストリビュータに我々の商品を販売してもらうために上海通いが始まった。毎月数回は足を運んだ。その紹介してくれた客先や目標としたディストリビュータと何度か食事を共にし、お酒を飲んだ。その場所が徐家匯であった。が、当時は徐家匯が上海のどのあたりにあるのかさえもわからなかった。今でもその大手ディストリビュータに在籍していて、いつも我々とやりあったWLさんや、WLさんを紹介してくれたCBさんとは交流がある。

当時、私の理解では「上海」は、中国で最も中国らしくない、歴史的な史跡も無い、大きなビジネス社会という印象であった。したがって、北京に行ったときのような、感慨はあまり持たなかった。ホテルにチェックインし、お客様とビジネスの話をし、レポートを作成し、シャワーを使い、時々お客様と食事をし、お酒を飲む程度、東京や横浜にいてすることとほとんど変わらなかった。

だから、私の個人的感覚で言えば、上海は中国で一番面白くない都市であり、好きではなかった。この感覚は今でも多少はある。それで、いま上海に生活をしながらでも、私をして週末や休日に中国的なもの、中国的な場所、とくに古い時代の面影が見える場所へと誘うのである。

上海に来て11ヶ月が過ぎた。あと3週間で12ヶ月、丁度一年になる。言葉の壁に苦しみ、それでも何とか中国人の何人かと知り合いになり、夜遊びも多少は出来るようになり、仕事の上での知り合いも多少は広がってきた。
上海に来るときに始めた「TADAの上海日記」というブログ、一年間続けてこれた。無論直接業務に関することは書けないから、遊び、観光、生活などの話題が中心になる。内容も、薄っぺらな物が多くて、気恥ずかしい。それでも「継続は力なり」と言う言葉を信じ、何とか続けてきた。ブログへの投稿の為の取材旅行なんてこともあった。

いま、振り返ると、私のなかの上海像は大きく変わった。無機質で、ビジネス一辺倒で、古いものが追いやられ、新しい文化が街中を席巻し、情感も、ゆとりも何もないと思っていた「上海」だったが、今は生活の場であり、無機質と思っていた生活空間にも有機的に人間が結びつき、熱い情熱が飛び交っている。古いものも置き去りになっているのではなく、点在して綺麗に保存され、誰もが見て触ったり、味わったり出来るようになっている。まさに、非常に人間臭い現代都市なのである。
生活環境も、他の中国の大都市に比べると、我々外国人にとっては住みやすい環境だと思う。地下鉄が走り、高速道路が整備され、輸入食品や海外資本のデパートやスーパーが点在している。北京や広州、重慶、天津といった大都会とは全く違った環境なのである。無論、あまりにも急速に近代化、欧米化してきたために、社会的な矛盾がいたるところに見られる。しかしこれは時間と共に、徐々に解決されてゆくだろう。

いま、上海を去らねばならないという事態に直面している。再就職先はいずれ決まるだろうが、必ずしも上海とは限らない。上海が依然として好きな街ではないということに変わりは無いが、出来れば上海にこのまま住み続けたいものだ、と最近では思うようになってきている。私の「夢」の実現に向けて、その基盤としてはベストかもしれないと思えるようになってきたからである。

「TADAの上海日記」も今回で200回目の投稿を迎えた。我ながら、ほめてつかわしたい、とおもう。最近は一週間で200人から300人の人が覗いてくれるようになった。コメントのやり取りをしながら何人かの人とは実際にお会いしたり、メールのやり取りをしたり、と、いわゆる「ブログ友達」も増えた。皆さんに感謝の気持ちで一杯である。そして、何とか「TADAの上海日記」を継続したいと強く思っている。
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by wata1150 | 2006-06-21 13:01 | 上海

上海(1)

私にとっての上海とは・・・? ふと考えてみた。

以前、私はM電器という、日本では知られた会社で、あるコンピュータ部品の営業部門に在籍していた。この部品は日本ではほとんど需要が期待できず、営業はほとんどが海外であった。アメリカ、欧州、台湾、中国、シンガポールやマレーシアなどの南アジア、中近東等。私はその中で台湾、アメリカ、シンガポールなどを受け持ち、そして最後に中国を担当した。

このコンピュータ部品の市場は大きく分けてOEM市場と再販市場の二つであった。OEM市場とはいわゆるコンピュータメーカーを客先とする市場であり、再販市場とはDIY客を相手にするいわゆる中小規模のコンピュータショップやシステムインテグレーターと呼ばれるユーザーなどを対象にしたコンピュータ部品のディストリビュータを客先とする市場である。

台湾やその他の市場では、以前は私がこの部品の開発を担当していたこともあり、どちらかと言えば販売に必要な技術的なサポートを含めたOEM市場を中心に活動していた。この頃は世界の大手コンピュータメーカと呼ばれた多くの有名なメーカーを頻繁に訪問していたものである。

最後に中国市場を担当することになった。中国は、私個人にとってある思い入れのある国であり、いつかは担当したいと思っていた市場であった。その思い入れとは・・・。

私は、昔から本を読むのが好きで、文庫版をいつも5冊、10冊と買い込んでは読んでいた。年間で多いときは100冊以上も読むこともあった。読むのは出張先でのホテルや、移動中の飛行機や電車の中が中心だったが。推理小説や文芸作品、歴史小説などいろいろな小説を読み、その世界に浸ることが好きだった。もう10数年前になるが、三国志を読んだ。山岡壮一か誰かの文庫版だったと思う。7冊セットで読み応えがあった。しかし、いつかその世界にのめりこみ、出張中だけでなく家に帰っても、社内の昼食時間も本を離さず読んでいた。壮大なスケールと登場人物の世界観などに惹かれた。それから、三国志前後の時代に生きた中国歴史上の人物にスポットを当てた小説を買いあさって読んだ。陳舜臣や宮城谷昌光などが多く書いていた。それらの本を読んでいるうちになんとなく、その時代に生きた人物達のことをもっと知りたい、後世に語り次がれるようになったわけを知りたい、その当時の一般市民の生活感を知りたいと考えるようになった。最終的には三国志の時代背景、三国志にいたる思想、政治などの変遷を学んでみたいと思いついたのである。これを、会社生活を終えたあとのライフワークにしようと思うようになったのである。

中国古代史を学ぶには中国に行かなければならない。そう思っていた私だったが、実際は台湾や香港は訪れたことがあったが、中国本土は未体験であった。無論、台湾台北市にある故宮博物館は再三に渡って訪れた。一つの展示物を見ては長時間を費やし、その時代に思いを馳せていた。だから、中国市場担当は憧れでもあったのである。そしてついにその機会が訪れた。

当時、中国のコンピュータ産業は、台湾メーカが安い労働力を求めて大挙して中国に進出していたが、製品開発や部品調達などは全て台湾サイドでコントロールされており、中国サイドで営業活動できる状況ではなかった。従って中国市場における営業活動は必然的に再販市場営業であった。中国における再販市場の整備、マーケッティングが主たる業務になった。そして中国に足を踏み出したのである。

ところが、現在では多くの中国人が英語を立派に使いこなしているが、当時の中国は今まで経験してきた国々と違って、英語が業務として使えない国だった。中国では一歩市場に入ると、たとえ大手コンピュータメーカと言えども、英語が通じなかった。無論M社の販売会社では日本語か英語が通用したので、販売会社までは大丈夫だったが。やむなく私の専任スタッフとして中国人スタッフを雇用し、市場に出かけるときにはいつも同行してもらった。通訳として、秘書として。そして、中国語をマスターしないと中国古代史など及びも付かないことを実感させられた。

そして、中国市場に入って、深圳、広州、北京そして上海と訪れた。北京を始めて訪れた時にはとても感動したものである。そして、天安門広場や、故宮博物院、万里の長城などを、時間を見つけては歩き回った。その後多くの都市を巡ったが当時はそれだけ回ると、頭が痛くなった。何せ日中、客先と会っていると、会話は全て中国語であり全くわからない。夕方ホテルに帰ってスタッフとその日のまとめをしていると、頭痛がしたのである。

前置きが長くなってしまった。次回、上海の本論に行くことにします。
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by wata1150 | 2006-06-20 04:10 | 上海

引越し準備開始

人材紹介会社からの連絡を待つ以外、今日からはすることがなくなりました。少し早いとは思いますが、引越しの準備を始めることにしたいと思います。

基本計画としては、(1)1~2ヶ月後に上海に戻ることにして、現在住んでいる家は賃貸契約を解除する。家の賃貸契約は現在の会社の物なので、そちらでやってもらう。(2)したがって、電気、ガス、水道、電話などの料金の精算を6月25日とし、各管理会社に電話し、メーターチェックし、請求してもらう。(3)衣類の半分を日本に持ち帰り、残り半分はスーツケースに入れて上海に保管。(4)その他のこまごまとした家財道具は最大限廃棄し、廃棄しにくいものはダンボールに入れて保管する。(5)電化製品は購入時の梱包箱に入れて保管。
保管先は、知人の住宅兼オフィスとしました。

方針を決めて、早速知人に電話しました。事情を話し、ダンボールを預かって欲しい旨お願いしたところ、快く引き受けてくれました。

この一年、毎週我が家の掃除をしてくれた阿姨さん(彼女は陳さんと言います)にも訳を話し、引越しの手伝いをして欲しい旨、また、今度又上海に戻ったら、阿姨さんを継続して欲しい旨お願いしました。彼女も快く受けてくれました。
彼女はまた、ダンボールの入手を手配してくれるとの事で、23日にも入手できることになりました。

中国語の家庭教師をしてくれている姚さんという女性にも、訳を話しました。彼女は、23日~24日に片付けを手伝う、と申し出てくれました。余談ですが、彼女はいま、大学の日本語課の4年生です。現在求職中で、上海の日系会社への就職を希望しています。誰か心当たりがあれば、紹介してください。

話は戻って、家の中を改めて見直してみるとたくさんのものが有ります。こんなにたくさん、どうして増えたのかと思うくらいです。電化製品は、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、掃除機は家主さんが設置してくれましたが、トースター、電磁調理器、湯沸かし器、ドライヤー、事務机の照明スタンド、パソコン用スピーカーなどこまごました物を含めると結構たくさんあります。家電製品は、日本に持ち帰っても電圧が違う為使えないので、中国に戻らないのであれば、売り払うのですが、戻る可能性もあるので、預かってもらうことにしました。

衣類もスーツ、ワイシャツ、ネクタイ、防寒着から下着や靴下まで、ずいぶん増えました。バスタオル、ハンカチなども、ほとんど上海に来てから購入した物です。

キッチンには鍋、炒め鍋、包丁、まな板から調味料類、食器類などが有りました。

これを全部梱包するのは大変です。ダンボールで3~4個くらいにはなりそうです。
今日から少しずつ始めます。
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by wata1150 | 2006-06-19 13:05 | 日記
諸般の事情があり、帰国することになりました。最終決定では有りませんが、6月25日前後に帰国することになるだろうとは思います。就労ビザは6月末までが期限なので、6月30日までは留まれますが。

私個人としては、夢を持って、目標を持って上海に来たわけで、こんなにも早く帰国せざるを得ない事態になるとは、夢にも思いませんでした。

私の夢は、というか、将来の自分の姿は、仕事をしながら、中国語の勉強を重ね、ある程度に年齢になったら、好きな中国古代史の勉強をしながら、中国各地の史跡を巡りたい、というものです。

その夢の実現に必要な物、中国語は昨年7月に上海に来てから、家庭教師の先生に来てもらい、遅々として進まない苛立ちを持ちながら、やってきました。あと数年は掛かるのではないかと思います。生活をするための資金も要ります。学校に行くための授業料も必要です。そのためにも何とか上海で継続を・・・と、考えていました。

しかし、理想と現実はなかなか一致しにくい物で、第一回目の頓挫が発生しつつあります。夢を追うためには、再度上海に来る条件が必要です。ここ数日、その方策を達成するために、いろいろ考え、手を打ってきました。そして、一旦帰国し、上海駐在または中国駐在を前提にした再就職の道を進むことにしました。

人材紹介会社や知人、友人など連絡を取り再就職口を捜してもらうことにしました。そして、目途が立つまで一旦、上海の生活に区切りをつけて帰国することにしたのです。

TADAの上海日記は上海にいてこそ書けるものです。したがって、帰国した後は書きにくいと思います。休止するのか、中国や上海に対する思いを綴って繋ぐか、いまはまだ決めていません。一年近くも継続し、毎日毎日読んでくれている人も居り、コメントを通して友達みたいに付き合いをいただいている人も居り、私自身も何とかブログとして継続したいと思っています。
継続は力なり、という言葉もあり、今の危機を乗り切って継続したいと思います。

今日から、部屋を明け渡す為の片付けを徐々に始め、24日に友人の事務所の片隅に預かってもらい、7月か8月に再度上海に来るつもりでまた、日本と上海で就職活動をしたいと思っています。幸い一部の人材紹介会社さんから早速数件の紹介があり、何とか私の希望に合う条件の会社を見つけて決着したいと思っています。
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by wata1150 | 2006-06-18 17:18 | 挨拶
いよいよワールドカップが始まりましたね。ドイツは中国とは7時間、日本とは8時間の時差がありますから、ドイツでお昼の1時の試合は中国では夕方8時から、日本では9時から見ることになります。夕方から夜に開催される好カードは、日本や中国では深夜から明け方にしか見ることができないのです。

開会式後のドイツの試合では好ゲームを展開しつつも地元ドイツがまず一勝を挙げました。
続いて、アルゼンチンやイングランドなど優勝に有力と目される国々が順当に緒戦を勝利しているようです。4年に一回開催される大会ですから、出場を目指して4年間鍛錬し、予選を勝ち抜いてきた選手達にとっては、まさに晴れの舞台です。一点を取ったその瞬間のために4年間頑張ってきたのですから。

今は、NHKの衛星放送などでほとんど全試合をLIVEで、一部録画で見ることが出来ます。世界の空に衛生通信網が張り巡らされている証拠です。また、海底には光ファイバーケーブルが施設され、大容量高速通信を可能にしています。

ここ中国でもCCTV-5で、相当数のゲームをLIVEで見ることが出来ます。中国は地区予選で敗退した為、いまいち盛り上がりに欠けるようですが、それでも街角の看板やポスターで開催されていることはわかりますし、TVのチャンネルを回せば見ることが出来ます。中国国内にもサーカーのリーグがあるようで、サッカーファンも増えてきているようです。

私は全試合を見るほどのサッカーファンでは有りませんし、ましてや現地に赴いてサポーターとして応援することなど考えられません。が、日本からの熱心なファンが現地にいって、応援をすることなどをNHKニュースなどで見ることがあります。それだけ、日本でも国民的スポーツとして定着していると言うことなのでしょう。

今日は日本時間9時から、中国時間8時から日本代表ティームのゲームがあるとか。私もTV観戦ながら、密かに応援したいと思います。ティームの選手同士のレギュラー取りの戦いにはじまり、地区予選で何度も苦しい戦いをし、やっと晴れ舞台に立つことが出来た選手は、それなりの信念、意思を保ち続けてきたことを疑うことは出来ません。そういった経験ができる人は、全てのサッカープレーヤーのほんの一握りにも満たない選手でしか有りません。当たり前ですが、最後までゴールを目指し、勝利を目指して頑張って欲しいと思います。

追記 1対0でリードしながら最後の10分間での逆転負け。残念でした。次のクロアチア戦、ブラジル戦に期待しましょう。
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by wata1150 | 2006-06-12 20:34 | 日記

テニス

上海の私の住まいの部屋のすぐ下にこのマンションの管理室が保有するテニスコートがあります。週末ともなると、ほとんど途切れることなくボールを打つ音が響いています。
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昨日私も久しぶりにラケットを握りました。私は学生時代からテニスをやっていましたが
ここ15年くらいは一年に一回ラケットを握れば良いくらいしかやっていませんので、ボールを打っても、しっかりと打つ自信はありませんし、足腰の衰えと共にボールコントロールは駄目になっています。はっきり言って、ボールの行き先はボールに聞いてくれー!という感じです。

昨日は、会社の同僚のF氏が時々打って貰っているコーチの人を紹介してもらいましたので、少しだけ打って貰うつもりでした。が、やりだすと、昔の感覚が少しずつ戻ってきて、思いっきりボールを叩いたりして、爽快になり、いつしか夢中になってボールを追っていました。

私が40歳過ぎてからテニスをやめたのは、両足とも肉離れ事故で、自分の体に自信をなくしたのが直接的な原因でしたから、もうラケットを握ることはやめようと決めていたのですが、上海に来てF氏に誘われ2、3度やってまた、ラケットやらシューズやらを購入し、やり始めたのです。しかし、F氏の相手をするのではなく、足手まといになってばかりという感じのボールコントロールでしたので、しばらく中断をしていました。

コーチの方は、名刺をもらったのですが、難しい文字で読めません。“耳”を冠にして、造りは“又又”と書いています。(なんと読むのでしょうね。)50歳くらいの男性で、F氏に言わせると大体F氏と同程度のレベルとのことです。中国で、50歳代でテニスのコーチが出来るくらいの人は少ないとは思いますが。コーチ料金は一時間100元、このマンションの住人にしたら決して高い料金ではないと思います。ラケットを持ったことの無い初心者から、我々中級者くらいまでを対象にしているとのこと。最近は上海でもテニスの愛好者が増え、バイクであちらこちらのコートを毎日走り回っているとのことでした。そして、現在はテニスコーチを本業としているとのことでした。

コーチの方も、下手な人を相手にするよりは、上手な人を相手にした方が、自分も楽しめますから、良いと思いますが、私のようなボールコントロールができない人でも相手をしてくれるということなので、今度から、週に一回か2回頼んで相手をしてもらおうと思います。運動不足の解消、ストレス解消には持ってこいなので。
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by wata1150 | 2006-06-11 16:03 | 日記

メール接続が回復

以前、メールが繋がらないということを言いましたが、昨日から、どうもメール接続が回復した様子です。朝起きて、メールボックスを見たらすごい数のメールが落ちてきていました。

メールの中でとりあえず、家族や友人などのメール、仕事の上でのメール、広告メールなどに仕分けし、夜に整理して返事を書いたり、捨てたりして大変でした。3時間くらい掛かったかな?

インターネットのUPロード、ダウンロードは数日前に回復し、投稿が出来るようになっていましたが。

気が付いてみると、私の上海での生活の中でコンピュータ特にインターネットは欠かせない情報ツールになっていたようです。新聞のニュースもインターネットで朝日新聞や毎日新聞のサイトで読みますし、TVの番組表もインターネットからチェックします。旅行に行く際の航空券の手配もインターネットでJALやANAなどの航空会社のサイトから行います。病院で訳のわからない薬をもらえば、やはりインターネットの中でどのような薬か、どんな副作用があるのか、などもチェックします。

ブログもそうです。ブログを通じて出来た友達も多くなり、そのコミュニケーションはインターネットのE-Mailやブログを通じて行います。

何年か前までは家族との連絡、会社での業務は電話、FAXがその主流でした。が今ではE-Mailとインターネットです。机の上に電話がなくとも仕事が出来ますが、パソコンが無いと仕事になりません。FAXもオフィスには有りますが、受信する量はわずかです。その代わり、パソコンと接続されたプリンターが大活躍しています。

MSNメッセンジャーやYAHOOのメッセンジャー、SKYPEなどのコミュニケーションツールも大活躍です。従来の電話でなくとも、パソコン電話とも言えるこれらのツールで話も出来るし、文字を通しての会話が出来る。絵や写真、図面なども即座に送って双方で確認しながらコミュニケーションできる。

大概のコミュニケーションはインターネットを通じてできるようになりました。在宅ででもほとんどの仕事はこなせそうです。

この数日間、私だけでなく相当な数の中国にいる人たちがこの便利な機能を奪われました。経済的損失も莫大な物になったことでしょう。今後このようなことが起こらないように願いたい物です。
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by wata1150 | 2006-06-10 11:50 | 日記

衡山路探訪ー3

また、衡山路の“FRIDAY”と反対側には蔦の絡まった教会があります。
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また、中庭が広そうなので、中に入って生きました。ガードマンがいて、普段は入れそうに無い雰囲気なのですが、ガードマンが居眠りをしている間にこっそりと。
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境界をあとにして、更に進むと、東平路に着きます。衡山路と東平路の角にラテン系のバーレストラン“SASHA”があります。
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ここは毎週日曜日には、“サルサ”というラテンダンスのディスコが模様され、中南米系のお客さんで賑わい、強烈なサルサビートとテキーラなどの強いお酒が飛び交います。写真は半年ほど前に、行ったときに撮影した物です。
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ちょっと寄り道し、東平路を右に曲がります。雑貨の店、タイ料理の店、バーなどが並んでいます。
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タイ料理の店のテラスの席でちょっと一休み。トロピカルフルーツのサラダと、アイスコーヒーで喉とお腹を癒します。
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再び衡山路に戻ります。桃江路。ここが衡山路の終点です。この先、淮海路までは宝慶路という名前の道路です。
桃江路の角に白い壁のちょっとおしゃれな中国料理の店を見つけました。今度、一度行って見たいと思います。更に宝慶路を進むと香港料理の湾仔(ワンチャイ)を見つけました。
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ワンチャイを過ぎると、やがて淮海中路にたどり着きます。淮海中路に出たところに地下鉄1号線常熟路駅がありました。
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徐家匯駅から常熟路駅まで、地下鉄では2駅ほどの距離、ゆっくり歩いても一時間半ほどですが、結構楽しめた探訪でした。
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by wata1150 | 2006-06-08 00:01 | 上海

メールが繋がらない!

以下は、ある私のブログ友達のブログに掲載されていた記事である。

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ここ最近メールの送受信が上手く行ってないのが、あちこちで聞かれる。
但し、外国人だけ。それも海外のサーバー利用している方たちだけのようです。
日本人でも中国のサーバー使っている人は何も問題なくスムーズなやりとりが出来ているようです。
ヤフーメールは大丈夫だけどホットメールは使えない事がしばしばある。
これについてはMSNが中国政府を公式に非難したという噂を耳にしているが何となく真実っぽいですね。
私の会社では今のところは日本とアメリカと2箇所にサーバーを借りているが両方駄目なとき、どちらか片方だけと、とにかく受け取れないのが
続いています。だから日本だけではないって事ですね。多分、今送受信上手く行かない方は日本のサーバーを使用していると思われます。
これについては中国政府の指示だと思います。

随分前の話ですが、まだダイヤルアップしか使用できない環境の頃、中国は海外との送信及び海外のサイトに入るのをストップかけた事があります。
法輪功(宗教)問題が勃発したころです。今回も、何か問題があるか、あるいは今後開かれるオリンピックや万博の影響で海外より中国へ
人がなだれこむ中、入れたくない人間までも入国し影響あるだろうとかでテスト的な試みかも知れません。
なんにせよ政府が指示しているのは間違いないでしょうね。

うちの場合は、社内の重要な用件だけ専用掲示板設けて交信しています。
ヤフーでの転送も検討していますが、フリーメール自体使ってなかったので勝手がわかりません(笑)。
一応ヤフーメールのアドレスは取ったので重要な連絡先にはヤフーアドレス通知して事情説明しています。

自由になった国境が無くなったなんて言っていますが、やればできるものなのですね。全く怖いものです。
秘密厳守はネットに関しては、信用しないほうがいいって事ですね。
やっぱ面倒で費用もかかったけど昔の電話やテレックス時代が一番安心できたのかも?
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私のメールも繋がらなくなってしまっています。会社のアドレス、個人のアドレスともです。
唯一YAHOOメールのみ送受信が可能です。私の会社の同僚も同じ現象がおきています。
したがって、当面、私へのメール連絡は文章のみならば日本の携帯のE-MailでもOKですがPCでのメールはYahooアドレスに送付ください。Yahooアドレスが不明の方はこのブログのコメント欄に非公開で連絡ください。折り返し至急アドレス連絡させていただきます。

私の投稿を読んでくださっているAさんから情報をいただきました。参考までに追加掲載します。
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by wata1150 | 2006-05-29 00:05 | 日記