中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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S小姐が入社

S小姐は中国、内モンゴルの出身である。大学を卒業後、日本のN工業に研修生として10年近くも勤務し、2年ほど前に中国に帰国した。したがって日本語は非常に堪能で、N工業の会長さんの通訳を務めるほどである。また、N工業の生産現場のリーダーとして頑張ってきたことで、工場の管理やリーダーとして日本的経営の中で、その能力は高い。

弊社は、主要客先が日系の客先であることで、工場の現場管理は日系客先が監査をしても合格するよう、改善に改善を重ねてきた。ただ、生産現場リーダーは日系工場を経験していない中国人がやっており、ハードは良くなっても、なかなかソフト、すなわちワーカーさんの感性が育たない。そこでS小姐に白羽の矢が立った。

彼女は一年ほど前に、弊社に一か月ほどN工業から派遣され現場の作業改善を指揮し、良い結果を残した。それが弊社のTOPに評価されたのである。総経理自ら内モンゴルに赴き、入社をお願いし、相当な好条件を提示し、やっと入社にこぎつけた。

現在日系客先の仕事は、岐路に立たされている。そのもっとも大きな原因は中国のインフレーションである。物価が高騰し、それに合わせて最低賃金が年率20%を超えるスピードで上昇を続けている。さらに、人民元が年率5%強でUSドルに対して上昇を続けている。我々のビジネスはほとんどがUSドル建てであるため、同じ価格で販売を継続すれば、年率5%で会社の収入が減ってゆくということである。

また、中国の貧富の差を是正すべく、従来農民工と呼ばれる作業労働者を輩出していた中国の西部、四川省、湖南省、湖北省といった地域に新たな雇用機会を拡大させているため、作業者の採用が年々困難になってきており、賃金の上昇に拍車をかける結果になっている。

こういった経営環境から、少しでも高能力人材の確保が、重要になってきているのである。

彼女はそういったニーズに対応できる人材であると思われ、会社として非常に期待が高い。今後日系客先営業ティームと緊密に連携を取りながら、会社の経営改善の柱の一つになっていってほしいと思う。
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by wata1150 | 2012-01-31 16:56 | ちょっと仕事

羽田空港

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早朝、新横浜を出て羽田空港に着いた。これから香港行きの飛行機に乗る。8時55分発香港行きNH1711便である。朝7時過ぎには、空港に到着し、チェックインした。そして、ANAのラウンジでかき揚げそばの朝食をとった。

外はすっかり明るくなった。写真は国際線のターミナルから見た、第一ターミナルの様子である。第一ターミナルは日本航空用なので、JALに飛行機がたくさん見える。いずれも、これから日本の各地に飛んで行こうとしているのであろう。

十数年以上も前、私が日本の会社に勤務し、日本の国内客先を担当した時期があった。その時は、ほとんど毎日のように日本の各地に出かけていた。大阪、金沢、富山、博多、鳥取、熊本などである。そしてその多くは飛行機による移動であった。

朝、当時住んでいた横浜の自宅から、車で羽田に行く。羽田空港の駐車場に車を停め、飛行機で目的地に行く。仕事が終わって、羽田まで戻り、また車で自宅に帰る。そんな生活を何年かやった。

考えてみればそのころが一番仕事としては脂がのりきっていた時期だったかもしれない。

今、私は中国の区内の香港企業に在籍し、中国の春節休暇を利用して、日本の客先を回り、そして香港経由で帰路に立っている。ラウンジの空港を見渡せる椅子に座って、十数年前の自分を思い出して、しばし感慨にふけった。

私が、日本の企業のサラリーマンから中国の企業に再就職し、仕事をしているように、羽田空港も、東京のそれの玄関口として活躍し、成田空港が国際線の玄関口として機能し始め、羽田空港は国内線専用となった時期もある。そして今、羽田空港は国際線の新ターミナルができ、東京の国際線の第2の玄関口として機能し始めている。

私などは、成田空港は遠く、交通の便も羽田に比べればよくないことから、最近はもっぱら羽田を利用している。
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by wata1150 | 2012-01-29 08:24 | TADAの海外体験談
春節休暇を利用した東南アジア、日本出張は今日で終わった。明日からは再度中国での生活が始まる。いろいろな困難な案件、課題が山積する2012年度の事業の始まりである。

私個人にとっても、難しいことがある。中国の居留証が今年ももらえるか?60歳をとうに過ぎているので、年々難しくなってきているのだとか。まあ、だめだったら、日本で1年のマルチビザを取って、滞在するしかないかもしれないが。

中国の労働事情も大きな変化の中にある。最低賃金の継続的な大幅引き上げによるCOST-UP。今年も大体20%程度は上がりそうだ。深圳では1500元まで上がることが決定したそうである。恵州ではいくらになるのか?

そして、絶対的な労働力の不足。一人っ子政策による労働人口が大幅に少なくなっている。産業が中国の西部にまで拡大しており、沿岸部の向上に出稼ぎに来る人はさらに少なくなっている。そして、少ない労働者を奪い合うかのように、給与の引き上げが続いている。

さらに、福祉の向上による会社負担の増加。工場で働いてくれる労働者の考え方が変わってきており、会社の食堂の食事の内容が悪くても、退職してしまう。従業員寮のエアコンがないといって退職する。そんなことは、よその会社に行けば解決できると思われている。給与引き上げ競争、福祉向上競争などで、簡単に会社を辞めたり、転職したりする時代なのである。

そんな中、中国資本や香港資本のメーカーが倒産したという話を頻繁に聞くようになってきた。また、日本や欧米などの外資系の会社の中国以外の国へのシフトの情報も入ってきている。

そんな中、私が勤務する会社は資本力や、人材資源の関係で、恵州で操業を継続するしかないのが現状である。どうやって経営を維持するのか?難しい決断を続けてゆかなければならない。
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by wata1150 | 2012-01-28 23:18 | 日記

ハノイ小観光-2

ハノイ滞在時、急遽自由時間になってしまった午後、チャーターした車の運転手に頼んで、市内の小観光に出かけた。何せ、車は朝8時から夕方4時までが契約である。使わなければ丸損である。

最初に出かけたのは、ベトナムの占領記念館ともいうべきもの。
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ベトナムの歴史を思い起こせばわかるのだが、ベトナムがベトナムとして独立国家としてあるのはごく最近からであり、それまで長い時間外国により支配されてきた歴史を持つ。

まずは中国。1000年以上にわたって中国の一部であり続けてきた。したがって、ほとんどのベトナム人は祖先をたどれば、中国人である。今はさほど見られないが、中華街とでもいうべき一角には、中国語で書かれた看板だとか、表示だとかを見ることができる。

また、中国に続いて支配されたのはフランスである。フランス植民地として運営されてきた。そして、この記念館では当時の政治犯が収容され、処刑された牢獄跡を改造したものである。処刑のために使われた断頭台、いわゆるギロチンなども展示されている。
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見ていても、きわめて不気味でおぞましい感じがする。

余談だが、フランスの植民地時代に、フランス料理文化がベトナムにもたらされ、現在のベトナム料理の原型を作っている。だから、ベトナム料理はちょっと中華料理とは趣が異なるのかもしれない。

その次にベトナムに侵略したのは日本である。当時のベトナムの反日のメンバーがこの刑務所に収容された。そして、脱獄のために下水道やトイレの廃坑などを使っていたらしく、その残骸が展示されている。
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この排水溝の非常に狭い隙間をくぐり、脱走したのであろう。子供のような小さく細い体形でないと抜けることはできないであろうと思う。

最後は、アメリカの侵攻である。いわゆるベトナム戦争と呼ばれるもので、私の世代ではまだ記憶に新しい。当時のアメリカ兵の捕虜の様子、アメリカの爆撃機B-52から爆弾が投下される様子などがビデオで紹介されていた。

最終的にベトナム戦争で、当時の北ベトナムが、南ベトナムを攻略し、首都サイゴンを占拠し、ベトナム戦傷は終結した。私も、この建物を出るときに、非常に重苦しい気持ちで出てきたことを思い出す。単なる観光としてみるには、重いテーマだった。

次に訪れたのは、運転手が「UNIVERCITY」と呼んでいた、中国時代の学問所の史跡である。入口には大きな石造りの門がある。
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そして、この門を入るとまっすぐの道が奥に伸びており、その道の両側に花文字があった。
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ちなみに宿泊したホテルのフロントの女性スタッフに聞いてみた。「中国語が理解できる人はどのくらいの割合ですか?」。すると、「ほとんどの人はできない」という答えだった。祖父や祖母は中国人だが、今の世代の人は学校で英語は勉強しても、中国語を勉強はしない、ということらしい。したがって、この「UNIVERCITY」でも、案内表示はベトナム語と、英語だけであった。

UNIVERCITYの奥まったところは、中庭になっており、このような盆栽が多く並んでいた。
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このような習慣は、まさしく中国文化そのものである。この建物の中で、多くの人が中国の歴史や思想などを学んでいたのである。

UNIVERCITYを後にし、最後に向かったのが「ホー・チ・ミン記念館」である。
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残念ながら時間が遅く、中に入ることはできなかった。仕方がないので、その周辺を散歩をした。次回、ハノイに来る機会があれば、ぜひ中に入ってみたいものである。
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by wata1150 | 2012-01-27 21:56 | TADAの海外体験談
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日本に戻ってきてから、早くも一週間が過ぎようとしています。そして、春節の休みも今日が最後です。明日と明後日は週末、そして来週の月曜日には恵州での勤務が再開します。私も明後日の日曜日には香港経由で恵州に戻ります。

1月15日、ベトナムのハノイから始まり、マレーシアのクアラルンプール、ジョホールバレー、そしてタイのバンコクを回って、東京に来ました。日本では、SI社、I社、K社、T社、B社、IM社、P社などを順に訪問し、今日午後にC社を訪問して、私の今回の客先訪問の旅は終わります。

写真は一昨日、新横浜から名古屋に向かう新幹線の中から見た富士山です。ここ数年、新幹線の中で、飛行機の機内から、富士山を見つけてはシャッターを押してます。何か、富士山の姿に神々しいものを感じてしまうのです。そして、心が洗われ、癒されるような気がするのです。

今、ホテルの部屋から、ビルの谷間を通して、かすかに富士山を見ることができます。
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ここ、新横浜駅前から富士山までの距離がどのくらいあるかは知りませんが、日本での空気の透明度を実感します。

しばし、富士山を遠くから眺め、心を洗い、また中国恵州での仕事に向き合いたいと思うのです。
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by wata1150 | 2012-01-26 22:23 | 日本滞在記

携帯版新年メッセージ

今日は旧暦の大晦日です。そして明日、1月23日は旧正月の元旦に当たります。中国の携帯電話に、おめでとうメールがガンガン飛び込んできます。コンピュータのメールではないので、ブログに記載するのは面倒なので、そのいくつかを写真で張り付けるにとどめます。長い文章やら、短いものやら、英語のものやら、似たような文章やら、いろいろです。
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でも、これは年中行事の一つだとしても、スタッフや知人からこのようなメッセージをもらうのは、うれしいことです。”万事如意”なんてことがあるはずはないと思うのですが、このようなメッセージをもらうと、「そんなこともあるかな」と、短い時間にしても思ってしまうから不思議です。

何はともあれ、日本にとっても、中国にとっても、また、私が在籍する会社にとっても、より良い年になるよう心から思いますし、ますます努力をしなければいけないと思います。
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by wata1150 | 2012-01-22 22:39 | 雑感

夜間飛行

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タイから日本までは、JL034、日本航空のオーバーナイトフライト便でした。オーバーナイトフライトは久しぶりです。欧米に行くのはそのタイムスケジュールの関係で、どうしてもオーバーナイトになりがちですが、ここしばらくは欧米に行く機会はありません。

アジア便では時差もあまりありませんので、早朝出発して夕方には到着できるので、体力的にきついオーバーナイトはあまり好ましくないのです。それでも過去にはシンガポールから成田までなどはオーバーナイト便を使ったことがありました。

今回は、中国の旧正月の関係で、移動する人が多いらしく、オーバーナイト便しかありませんでしたので、それを利用することにしたのでした。しかもほぼ満席の状態でした。深夜便は普段は空いていることが多く、エコノミー席で肘掛を跳ね上げ、3席分または4席分を占領して、横になって寝ることが可能で、これですとあまり体力的負担は軽減できました。しかし今回はそうすることもできず、普通に座ったまま寝ることしかできません。

おまけに、出発地のタイ、バンコック空港で滑走路に進む途中で計器故障とかで修理するとかで、2時間ほど待たされ、目的地羽田に着いたのは朝8時でした。それでも、明け方に機内から見た朝焼けはきれいで、素晴らしいものでした。

羽田についても、ホテルのチェックインには早すぎます。そこで羽田のレストラン街で遅い昼食をゆっくりと時間をかけて食べました。それから宿泊ホテルのある新横浜には午後到着し、ちょっとだけ待ってホテルにチェックインし、そのままベッドに倒れこみ眠ってしまいました。

もっとも、疲労困憊したのは私だけで、同行のS君などは友人を訪ね、遅くまで飲みながら歓談をしていた様子です。これだけは若さがうらやましいです。私も、ウン十年前はこんなことができたのでしょうが、・・・。
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by wata1150 | 2012-01-21 23:06 | TADAの海外体験談
黄金の巨大な涅槃仏。
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タイ、バンコックの代表的寺院、ワット・ポーの本尊です。

午後、昼寝をした後、S君とともにバンコック小観光に出かけました。とは言ってもすでに午後3時、ホテルのスタッフに聞いてみると、「暁の寺院」などはすでに閉館されているとのこと。開いているところは?ということで聞いたのがここ「ワット・ポー」でした。

ホテルの最寄りの電車の駅から、水上バス乗り場まで電車で。そして電車を降りて、水上バスでワット・ポーの近くまで行きました。

そして、50バーツの入場券を払って見たのがこの「黄金の巨大な涅槃仏」でした。

ところで、この「ワット・ポー」夕方5時から読経が始まりました。本堂には第2の本尊とでもいうべき、これまた光り輝く黄金の仏像が安置され10数名の僧侶が読経をしています。
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参観者も自由に本堂に入り、正座して、また胡坐をかいて、読経に聞き入り、また写真を撮ったりしています。

改めて、ここは敬虔な仏教寺院であることを感じさせられました。
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by wata1150 | 2012-01-20 00:20 | TADAの海外体験談
今回の東南アジア訪問の最終地、タイの首都、バンコックに到着しました。ハノイのことやマレーシアのことはまた別途、投稿したいと思います。

朝、5時45分に起床、6時15分にチャーターしておいたリムジンに乗り、7時過ぎにクアラルンプール空港到着、9時15分発マレーシア航空便にてバンコックに到着、空港リムジンにて、バンコックでの定宿「FOUR WINGS HOTEL」。
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チェックインしてやっと部屋に落ち着きました。

昨日は、朝5時出発でKL空港から、マレーシアの南端、ジョホール・バルーに行き、夜にKLに帰ってきたので睡眠不足と移動の疲れで、とにかくくたびれていましたが、今日もまた早朝移動で、バテバテです。

今日は、客先とのアポはありません。今日の予定は移動だけでした。それで、これから、一時間ほど昼寝をし、それから昼食を取りに近所に出かけようと思っています。同行のS君は若いので元気いっぱいです。本来なら、彼を連れてバンコックの名所周りをしてもよいのでしょうが、休憩を取ってからにしたいと思っています。
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by wata1150 | 2012-01-19 14:50 | TADAの海外体験談

ハノイ小観光

客先を午前中に訪問した。お昼ごろには会議も終わり、ホテルでチャーターした車を借りて、ハノイ小観光をすることにした。ホテルの車は8時間契約なので、残りの3時間半は使っても、使わなくても料金は同じなのである。

まずは腹ごしらえ、「ファー」は昨晩食べたので、別のベトナム料理に挑戦である。ランチ時間とあって、市内のレストランはどこも混雑している。そんな中で、ドライバーが連れて行ってくれたのは、この店。
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看板に「Special Bietnamese Spring Roll」と書いてある。つまり春巻きの店である。ベトナム料理としては、春巻きがその代表格の一つである。

ただし春巻きだけでは、お腹が一杯にはならない。周りに座って食べているほかの人を見ると、ファーに使う麺を食べながら、春巻きを食べている。ファーに使う麺は、実はメニューには書いていない。すべての客がこのメニューなので、春巻きを食べる人はすべて同じメニューなのだ。
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麺や、豚肉を焼いたもの、メンチステーキのようなもの、生野菜、そしてこの麺をすべて、右下のスープにつけて食べる。いわゆるつけ麺である。やや甘酸っぱい、何とも言えない味のスープである。しかし、スープにつけて食べると、実においしい。表現できない、日本や中国にはない味である。

そして最後に出てきたのがこの春巻き。
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やはり、このスープにつけて食べる。中国で食べる春巻きとは全く違う。また、ベトナム料理の生春巻きとも違う。おいしいのである。

ちなみに、この春巻きは細長いものではない。ほぼ四角に巻いてある。が、テーブルに持ってくるなり、食べる大きさにはさみで切って、この写真のようになってしまった。

ベトナムは、以前、フランスの植民地であり、フランスの食文化も残っているせいだろうか、中国料理とは全く異なる味であり、食べ方である。また、ベトナムに来たら、ぜひ食べてみたいと思う。
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by wata1150 | 2012-01-17 22:58 | TADAの海外体験談