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中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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<   2011年 05月 ( 9 )   > この月の画像一覧

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手捏ね巨大チーズハンバーグステーキの夕食でした。おおよそ、直径15cm、厚さ2cmのハンバーグステーキ、かなりの食べ応えでした。それに写真にはありませんでしたが、軽くゆでたブロッコリー、そしてインスタントのクリームスープ、そしてトースト2枚と言うものでした。

なんとなく、自家製のハンバーグを食べたくなり、一昨日の日曜日にウォールマートのスーパーで食材を買い求め、今日、早々と帰宅して作ったものです。

ブログに投稿しようと思っていたわけではないのですが、ハンバーグを見ているうちに、なんとなく写真を撮り、そして投稿する羽目になったのです。

まあ、私が作った物としては上出来でしょう。少し焦げてしまったのは、火加減と加熱時間の問題で、大きすぎて上手くいかなかったのでしょうが、次回はうまく作ります。
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by wata1150 | 2011-05-31 01:32

Z副経理の退社

5月も最終週に入りました。いつの間にか、日中の気温は連日30度程度で、オフィス室内は、寒いくらいの冷房を効かせてくれるようになりました。最も、日中は暑いものの、朝夕は20度から22度くらいで、半袖では肌寒いくらいなのですが。

最近は会社も忙しくなり、新しいメンバーも増えてきました。ERPシステムも新しいものを導入する予定で、連日担当者が操作の訓練に励んでいます。また、秋口には、工場を増築することがほぼ決定し、連日融資の話や、どのように使うか、どのような設備を入れるか、どのくらいの受注が見込めるかなど、会社のTOPは忙しさが増しています。

一方で、5月末日で退社するメンバーがいます。Z君といいます。彼は営業の副経理を勤めていました。部下はいませんでしたが、確実な顧客を持っていて、安定した販売実績を持っていました。彼の入社は私より早く社歴は6年か7年になります。

その当時は給料システムは出来高制で、販売実績が多ければ、それに応じて給料が増える仕組みです。しかし、私がこの会社に入社してから2年後に固定給制に改められました。あまり販売成果を追及すると、安い価格での受注でも、突っ走ってしまう可能性が高くなり、会社の利益を無視した営業になってしまいます。また、顧客情報は営業マンの固有情報になりがちで、会社の共有情報にはなりにくいのです。それでも、会社は販売増を各販売担当者に要求し続けなければなりません。

しかし、彼は個人の営業マンとしての能力は高かったのですが、会社としては評価を落とさざるを得ませんでした。そして彼は最終的にこの会社に見切りをつけたのです。あえて言えば、新しい風に乗り切れなかったとでも言うべきなのでしょうか?

彼の顧客は他の営業マンに分担してもらうことになりました。今後この分野で担当者を補うのか、人数が減少したままで、対応するのか決めていません。多分、新しいスタッフを探すことになるのでしょう。

先週の土曜日、彼の送別会がありました。私も参加しました。彼は中国の白酒を何杯も乾杯し、早々に酔いつぶれて寝てしまいました。色々と心に思うことがあったのでしょう。彼は多分別の会社に入るのでしょうが、新しい風に乗って大きく羽ばたいてほしいと思うのです。また、古い風を探して失速し、挫折することなど無いように。

中国は人民元高、インフレなど、急速にビジネス環境が変化しています。その中で古いシステム、古い考え方を追い求めていたのでは、社会の生存競争に勝ち残ることは困難です。私も、この会社が生き残るために、自分自身を改革しながら、新しい風を捕まえ、さらに会社が発展するように、進めて生きたいと思うのです。
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by wata1150 | 2011-05-30 21:20

新しい住居

4月末に新しいマンションに引越しをして、もう一ヶ月が過ぎた。しかし、一ヶ月のうち2週間は日本に行っていた。あとの2週間は、何とか家に帰って寝ることは出来たが、まだ、何がどこにあるのかも良く分からない状態である。会社のスタッフが家に来て、引越し手伝いと、表向きの掃除はやってくれたので、とりあえずすむことは出来るのだが、着替えやもろもろの道具などは、探すのに時間がかかるのである。今日はやっと、週末に家にいることが出来る。少しずつ荷物の整理や片づけをしようと思う。

この部屋は昨年末ごろに完成したばかりのマンションで、32階建てである。
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そして私が借りているのは、とは言っても会社が契約し、お金を払ってくれているので、私が・・・とは言えないかも知れないが、23階の東南の角部屋である。今日は天気が比較的良いので、朝から日当たりが抜群・・・という感じである。

部屋は2LDKなのだが、面積は89平米もあるのでかなりゆったりした感じである。夫婦と子供一人位の家族の生活をイメージしたものだと思う。ベッドルームが2つある。一つには私が寝起きしており、もう一つは当面ガラクタ倉庫にして使おうかと思う。

23階に高さとなると、見晴らしが良い。
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上の写真はマンションの東面、日が昇ってくる方角の遠景である。

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これは、南側の遠景。東側も、南側も、マンションが立ち並んで入る。建築中のものも多々ある。この多くのマンションは、恵州に住む人が買うのではなく、深圳や東莞に住んでいるお金持ちの人が投資用に購入しているという。賃貸に出したり、将来の値上がりに期待しているのであろう。

私の部屋のオーナーは、香港人のお金持ちだそうである。恵州のみならずあちらこちらにマンションを持っているという。そして、同じくあちらこちらにいる”愛人”に管理を任せ、愛人はその収入で、日々生活をしているのだという。まあ、中国ではお金がすべてということなのであろう。
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by wata1150 | 2011-05-29 12:47

恵州の朝焼け

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恵州に帰ってきて、今は新しいマンションで寝起きしている。そして、実はなかなか寝付けず、また早起きをしてしまい、睡眠不足気味の昨今である。

そんな中、早朝4時半ごろ目を覚まし、ふと窓の外を見たら、朝焼けが始まっている空を見つけた。恵州は深圳や東莞などと比べれば空気は澄んでいるほうだとは思うが、恵州に来てから朝焼けなど見ることは無かった。おまけに私の住むところは23階という高層にあり、視界を妨げるものはない。

息子から貰った一眼レフで、思わずパシャリとやったのが、この一枚である。大きな望遠がほしいと思わず考えた。が、当分は辛抱してこのカメラを使いこなせるようになろうと思う。

三脚もほしい。あれも、これも・・・と考える。私が大学を卒業して会社に入ってから、ほぼ10年間は結構カメラや写真撮影を趣味として、よくあちらこちらに出かけては写真撮影していた。ペンタックスの一眼レフを2台肩にぶら下げ、あちらこちらを飛び歩いた。

結婚し、子供が出来、子供にお金がかかりだし、何時しかよほどの場合にしか、写真をとらなくなっていた。それも、もっぱら子供の写真であった。

今は・・・というと、一眼レフはほしいし、以前のように写真を取りまくって見たいとは思っていた。なにせ中国と言う異国で、単身生活しているのであるから、趣味を復活させたいとは日ごろ思っていた。

が、実際はカメラが重く感じられ、大きな望遠レンズでは簡単に手ぶれする。それで、一眼レフは事実上あきらめ、コンパクトカメラを使って、ブログ投稿に使用する写真を撮っている程度になってしまっていた。

しかし、せっかく息子からデジタル一眼レフをプレゼントされたのであるから、毎週末には、被写体を見つけては写真に残そうと思う。それで、少しは私の恵州生活にも彩ができるかもしれないし。
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by wata1150 | 2011-05-20 22:33

恵州の新しいマンション

中国に帰ってきました。日本には16日間も居た事になります。その内の仙台にいたのは7日間、そして仕事や病院などで9日間でした。こんなに長く日本に居たのは久しぶりでした。

恵州に帰ってきて、最初に確認したのは家のTVがちゃんと見れるかどうか、そしてその次がインターネットが繋がるかどうか、と言うことでした。何しろ、日本に帰る前にあわただしく引越しをしたため、恵州の家は何も出来ていなかったのです。

会社は、今年になって、経営危機からアメリカ系大手資本の資金援助を受けることになりました。そして、反面その大手資本が大きな客先となってくれることも決まりました。従来の工場設備では生産能力不足と言うことで、新たに敷地内に工場等を増築することも決まりました。そのため、従来私や幹部社員が住んでいた幹部寮も取り壊し、幹部社員は恵州市内に会社負担でマンションを借りて住むことになったのです。

私が住むことになったのは、ウォールマートの近く、「恒和」という32階建て新築マンションの23階部分、2LDKで89㎡ある一室です。私が引越しをした4月末段階では内装が完了しておらず、TVのアンテナ配線、インターネットの配線などは未完成のままでした。それで、帰ってきて早々にそれらを確認したのです。

TV配線は完了し、TVを視聴することは出来ました。が、インターネット接続は上手くいきませんでした。インターネット接続も、会社契約のため、会社の担当部門に処置してくれるようにお願いをしていたのですが、やっと先ほど開通しました。これで、家でもパソコンが使えるようになりました。

後は、電子レンジや本棚、靴下や下着などを入れる棚など、すこし投資をすれば住み心地が良くなるでしょう。この新しいマンションはセキュリティもしっかりしているようなので、安心して家を空けることも出来そうです。何年ここに住むことが出来るのかはわかりませんが、恵州ライフを楽しみたいと思っています。
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by wata1150 | 2011-05-17 22:10
次男が、ゴールデンウィークに3日程の休みを取って、帰省した。私は彼とは2月の春節休暇以来なので、さほど「久しぶり」と言う感覚ではない。

彼は、今写真撮影に凝っているらしく、ちょっとした空き時間に、山形県のあちらこちらに出かけ、写真を撮っては悦に入っているらしい。彼は、一眼のデジカメを持っていたが、最近新しいモデルに買い換えたらしい。そして、昨年購入した「ニコン」を私にくれると言うのである。

私も昔は写真撮影に凝っていた時期があって、ペンタックスの一眼を2台も持って、撮影をしていた。子供たちが中学や高校に入る頃、私のペンタックスはいつの間にか次男のものとなり、次男はそれを持ち歩いて遊んでいた。そしていつか交換レンズはどろどろに汚れ、ボディもあちらこちらにへこみ傷ができて、ついに私が一眼レフを手にする機会は失われてしまった。

デジカメがカメラの主流になっても、私も重い一眼レフを持つのは億劫で、コンパクトカメラばかりを持つようになってしまった。いつかは一眼レフをぶら下げて、写真を撮ってみたいと思いつつ。

次男はそれを覚えていたのではないだろうが、昨年購入したニコンのボディをくれると言うのである。レンズは自分で好きなものを購入しなければならなかったのだが。そして、約束を守り、彼が休暇を終えて山形に帰る日、私にニコンのボディを置いていった。

元来私もカメラをいじるのが好きなだけに、正直このプレゼントはうれしかった。横浜に戻って、私は早速カメラ店に足を運び、「SIGMA」の18mm-50mmの新品のレンズを購入した。2万円ほどである。中古レンズでも良いと思ったが、せっかく息子がくれたニコンに中古レンズでは申し訳ないと思い、新品のレンズにした。

これからは、時折、この一眼を持って恵州市内を歩き、撮影してみたいと思う。コンパクトカメラとはどのように異なるのかと、いまから楽しみにしている。
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by wata1150 | 2011-05-09 23:11

業務再開です。

新横浜に戻ってきました。明日からは、私のゴールデンウィークも終わって、仕事再開です。

何か、今年はそれなりの業務成果をあげなければいけない状況にあるような気がしています。そう思う背景なり、理由と言うことについては今は話すことが出来ないのです。しかし、少なくとも今年は年間販売計画を是が非でも達成しなければいけない状況にあるような気がしています。

一昨年のリーマンブラザースの問題に端を発した恐慌があり、結果として販売は大きく落ち込み、経営危機を迎えるに至りました。何とか、いろいろな経営努力を行い、会社としては生き延びてきたものの、今年は日本の東日本大震災により、日本の製造業は大きな影響を受けてしまいました。私たちの会社は、その日本の各メーカーを主要客先として、目標を定め、顧客開発を行い、何とか注文をいただけるまでになってきました。しかし、地震の影響によって、需要は大きく落ち込み、年間計画を達成するのは非常に困難になってきました。

それでも、次から次に発生する世界的問題により、私たちの会社はもうすでにほとんどの体力を消耗しつくしています。今年、年間計画を数字的に達成できないとすると、会社存続の危機に瀕してしまうような気がするのです。

地震にしても、リーマンショックにしても、私たちの会社が何か悪いことをしたわけではありません。しかし、経営実態としては、苦しい状況が続いてしまい、危機的状況が続いてしまうことになってしまっているのです。こういった状況に特効薬はありません。未だ残っている体力を有効に活用し、生き延びる方策を見出してゆくしかないのです。

明日から、東京、博多、松山、大阪、姫路、そして長岡と、客先を訪問します。15日の日曜日に中国に帰る予定です。今までは、2年後、3年後の注文を求めて、客先開発を行ってきましたが、今は今年の注文を求めて、即効性のある活動を優先して進めなければいけないような気がします。

明日からは、今年4月に入社したK君が中国に行き、半年ないし一年間、中国勤務を行いながらビジネスの研修をしてもらいます。本来は彼に期待してゆくのは早くとも2~3年後あるいはそれ以降としてゆくつもりでした。しかしそれも、中国勤務の中で、何とか今年一年の数字を追いかけて行く仕事をしてもらわなければいけないかもしれません。

中国にいるスタッフの面々にも、その現状を知らしめ、頑張ってもらわなければならないような気がしています。そして私も、老骨に鞭打って、何とか年間計画の達成に向けて頑張ろうと思うのです。
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by wata1150 | 2011-05-08 21:49
普段は、仙台の家には妻と娘が住んでいます。そして、長男は青森県弘前市に、次男は山形県に、そして私は中国広東省恵州市に住んでいます。

通常は、私が仙台に帰っても、長男や次男が帰ってくることはほとんどないのですが、今回は震災の後と言うこともあり、長男が3日間、次男も3日間だけ、何とか帰ってきてくれました。仙台の我が家に泊まり、妻や娘、そして私と言葉を交わし、少しの時間だけ亘理の私の母と妹に会いに行き、そしてそそくさと帰ってゆきました。

妻はリウマチの持病を持っているせいもあり、普段はあまり家事をしないのですが、息子たちに久しぶりに会えると言うこともあり、張り切って息子たちに食事の用意をしたり、何かにと世話を焼いていました。

そして、妻と息子たちとの会話の中に出てくるのが、結婚の話題。まあ、長男は32歳、次男は29歳なので、結婚の話題が出てくるのもやむをえないのかもしれません。もっとも、彼らは社会人になってそれほど長いわけではないので、まだ実感として結婚を考えているようには見えませんでしたが。二人は、おのおの異なった結婚観を持っているようで、なかなか面白かったです。

長男は、奥さんになる女性は今の仕事とは関係ない業界にいる人で、できれば結婚後は専業主婦をやってもらえる人。あわせて、自分の趣味を理解してもらえる人が良いそうです。また次男は、学歴はともかく、仕事のできる人が理想で、自分の会社の課長職あるいはそれ以上の仕事が出来る人、そして、結婚しても仕事を続けられる人、が良いようです。

今は二人とも彼女はいないそうで、今後探してゆくようです。もっともこれだけは縁が無いといけないので、何時どのような女性を見つけてくるのか、私と妻にも見当付きませんが。それでも、できることなら私や妻が健在なうちに、孫の顔を見せてほしいと思うのです。そんな風に思うのは、私や妻が年を取ったということなのかもしれませんが。

妻の学習塾が再開しました。もう20年近くもやっている塾なのですが、最近は塾の官立による過当競争で苦しんでいました。それに加えて、このたびの震災による生徒数の減少が発生しているようです。生徒の親が震災により失職した・・・とか、経営していた会社が震災で経営不振に陥った・・・とか。理由はともあれ、震災前の半分以下にまで生徒数が減少し、今は苦しい経営を強いられているようです。それでも、これまで何度も経営危機に遭遇しながら、そのつど頑張って乗り切ってきた彼女のことです。何とか今回も乗り切ってくれると信じています。

私も、来週の月曜日から仕事に復帰します。一週間、日本国内の主要客先を訪問し、そのあと中国に戻る予定をしています。
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by wata1150 | 2011-05-05 21:00

我が家の震災被害の検証

我が家に帰ってきました。2月の春節休暇以来3ヶ月ぶりの帰宅です。4月の始めにも日本に帰ってきたのですが、仙台まで帰ってくる足の確保が出来ず、また家族も大阪に非難しており、帰宅はかないませんでした。

我が家に帰って、地震の爪あとを探しました。まずは屋根。・・・・・・・何も変化はありませんでした。近所の家も含め、屋根が崩れたような痕跡はありません。「良かった!」と言う気持ちと同時に、何かがっかりしたような変な気持ちです。妻に聞いてみると、家のダメージはほとんど無し。唯一のダメージは・・・これ、玄関のたたきのタイル割れ。
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また、家の前の道路には、以前には無かったひび割れがありました。
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部屋の中はコップや食器が割れることも無く、ダメージはまったくありませんでした。これはほとんどの家具に取り付けておいた、地震対策のつっかえ棒がしっかり聞いていたせいなのかも知れません。
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仙台の我が家から南東に40kmほどのところにある、亘理町の母が住む家に行ってきました。仙台から仙台東部道路を車で行き、亘理で降りるのです。驚いたことがあります。道路が波打っているのです。ところどころにひび割れがあり、段差があり、そして最近修理した痕跡がありました。車が跳ね上がって、走りにくいのです。制限速度は速いところでは100kmで走れますがほとんどは80kmまたはそれ以下。それでも、実際は80km以下、60km~70kmでゆっくり走る今年か出来ませんでした。

また、仙台から南を向いて走っている時、道路の左側はほとんどは農地や住宅なのですが、畑の中に車の残骸や船舶の残骸がごろごろ転がっているのです。それが道路の右側ではほとんどそのようなものは見かけませんでした。どうもこの仙台東部道路が数メートル、宅地や農地より高くなっており、津波はこの道路によって阻まれたようです。

流された車はどうなるのでしょうか。所有者に対する保証は無いとのこと。新しい車を購入しなおすしかないらしいのです。いま、仙台では中古車市場が賑わっている様子で、価格も多少上がってきているようです。こんな時くらい、何とか格安で販売してくれても良いのではないかと思います。私の家の車は無事だったので、他人事と言ってしまえばそれまでですが、火事場泥棒のように、こんな時に価格を上げなくても良いのではないかと、切に思います。

亘理の家は古い家で、築後100年くらいのものです。何度か改修をしながら父や母が住んできました。屋根瓦の一部が崩れ、雨漏りを防ぐためにブルーシートをかぶせてありました。
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また、母の家は古い家で、セメント壁の一部に亀裂が走っていました。しかし、部分的で、修理をするほどでもなく、当面はこのまま住み続けるとのことでした。
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我が家の家族や親戚にも、人的被害は無く、震度7、M9という前代未聞の大地震にしては、良かったと思います。また、日本の木造家屋も、その耐震性について、「たいしたものだ」と、感心させられました。当分はこのような大震災はないと思いますが、我が家も、その地震対策を再度見直し、より被害を少なくするような対策を施してから、中国に戻ろうと思っています。
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by wata1150 | 2011-05-04 22:19