中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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地震、その後

3月11日午後、想像も出来ない規模の大地震が日本を襲ってから、早くも2週間がたちました。幸い、私の家族は、誰一人として怪我をすることも無く、無事に生き延びてくれました。中国にいる私にとって、日本で起こる災害に直接巻き込まれることはありませんが、その分被災地に近いところに住む私の家族の安否が気になり、正直地震発生後の一週間は、気が気ではなく、仕事に十分集中していなかったように思います。しかし、家族の無事が確認され、「何はともあれ」いまはほっとして、仕事に向かう気力を取り戻しつつあります。

妻と共に住む娘のブログを久しぶりに読みました。コンピュータからはアクセスできないのですが、日本のAU携帯電話からはアクセスできます。通信料が高くつくので、普段はあまり使わないのですが、こんな時だからと思い、読みました。

地震直後、彼女は地震の発生と、ともかくの無事をブログで伝えていました。もっとも、その後の停電で、ほとんどの人はそれを目にすることは出来なかったのですが。さらに、6日後、我が家に何が起こっているのかを伝えてきていました。停電、断水、ガソリン不足・・・など。さらに、9日が過ぎた20日には、地震が発生してからそれまでに起こったこと、そして現状、さらには今後の見通しなどを、ブログ投稿と言う手段で、普段の彼女の言葉で伝えていました。

それを読んでいると、いつの間にか彼女も一人の人間として、成長し、現状をしっかりと捉え、その上で何をすべきかを考え、行動できるようになっていることを、明確に感じたのです。大学の4年生、23歳と言う年齢から言っても、それは当たり前なのですが、普段接する彼女からはなかなか、子供の頃のイメージがダブって、そのように成長した彼女を感じることは無かったのです。

山形県に住む次男からは、私のブログに長いコメントが来ました。「中国にいて何をバタバタあわてているのか、放射能の理解にしても、現状では何も心配するレベルではない。」と、しかられてしまいました。長男も次男も、今は医療に携わっている仕事をしています。私のつたない知識よりはるかに高いレベルの知識を持って今の仕事をしています。私が年を取ってしまっているせいなのかもしれません。だからこそ、自分の家族と普段は会えないからこそ、より心配なのかもしれません。

一方、この機会に、今まで非常に希薄だった私の家族とのコミュニケーションが、ものすごく濃密になってきたような気がします。仙台に住む妻と娘、宮城県亘理に住む母親と妹、山形に住む次男、青森県に住む長男、そして、大阪府吹田市に住む妻の両親、静岡県に住む妻の妹など、連絡網が出来上がったような気もします。

仙台市内はまだ、地震前のように復興はしていません。我が家はまだ、ガスも水道もない生活です。3月末までには来るそうですが。娘の大学は5月の連休移行から始まります。妻がやっている小さな私塾も4月中旬ごろから始めるそうです。私も、4月中旬には一度日本に行こうと考えています。
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by wata1150 | 2011-03-26 23:25

震災義援金の募金活動

中国語では「捐赠金」などと表現されているようです。
わが社でも、日本のこの度の「東日本大震災」に対して、有志が発起人となって「募金」活動が始まりました。普段から、日本のいろいろな会社とのお付き合いがあるわが社にとっては、当然の思いだと思います。

日本の街頭募金などと異なるのは、無記名ではなく、記名式だと言うことでしょう。「捐赠登记明细表」という表があって、それに募金した人の名前、部門、募金金額などを書き込んで、現金を渡すようになっています。たしか、四川大地震や、その他の災害時に、私もお金を渡した記憶があります。

記名式になると、誰がいくら募金したかがわかってしまうので、私のように職制上とはいえ、上の立場にいると、少ない金額では申し訳ないような気がします。ましてや、外国人スタッフということで、金額はわからなくとも、少なくない給料を貰っていることは、認識されているわけですから。

ともかく私もその義捐金募集の一端に名前を連ね、そこそこのお金を渡しました。

わが社では、その他にも、従業員やその家族が重い病気にかかったとか、事故で怪我をしたとか言う場合に、全従業員で、社内募金活動をし、お金を渡すことが時々あります。「愛心」活動などと呼んでいるようです。個人主義の印象が強く感じられる中国であり、ほかの人のことは気にも留めない人が多いという感じがする中国であっても、やはり、相互扶助の気持ちはあることを改めて認識しました。

日本でもこのような大規模な災害などに対しては、大規模な募金活動や、個人的な寄付活動などが行われますが、中国でもそのやり方は多少違っても、募金活動は行われ、しかるべき機関を通して寄付されるようです。
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by wata1150 | 2011-03-24 20:59

新スタッフの加入

日本では地震のニュースが、連日紙面やTV番組をにぎわせているが、中国での仕事は表面上は変化がない。わが社では、日本語のできるスタッフを、また採用した。日系客先対応の営業スタッフとしてである。L小姐という、23歳の女性である。

彼女は湖南省の4年制大学を出たばかりである。当社では、4年制大学を卒業したスタッフは、私やS君、日本在住のZ君など外人部隊を除くとほとんどいない。私は以前から、スタッフの学歴レベルをあげようと思っていた。が、会社のビジネスがなかなか好転せず、思いを果たせないでいた。

昨年から、販売が好転し、上向きになって、忙しくなってきた。会社利益率も多少は好転してきたこともあり、今しかチャンスがないと思い、老板に相談して採用したのである。

Lさんは、ある程度自己をしっかりと確立した女性に思える。将来の自分をしっかり見据えた人生設計をしつつあるからである。彼女の夢は、日本語を学び、ビジネスを学び、日本と中国を結ぶ貿易会社をやりたいと言う。ボーイフレンドと一緒に経営をしてゆきたいと言う。いま、わが社に入り、仕事をするのは、そのための資本稼ぎ、日本語の上達、ビジネスの基本の学習などである、とはっきりと言う。

正直、そのくらいしっかり自分の将来を見定めて、目標に向かって突き進むくらいのバイタリティがあるほうが、仕事をしていても、結果が残せる。指示待ちで、自分は何をしたいのか、将来どうなりたいのか、そういったものがない人をスタッフに持つと、苦労と言うより、仕事をしていて骨が折れると言うのが私の本音である。

従来のスタッフは、会社で仕事をするのはお金を稼ぎ、故郷の実家の両親にお金を送り、いつかは会社を辞めて実家に帰って、やがて結婚し家庭を作る、そんな女性や男性が多かったようだ。そういう人であれば、会社の中で責任ある仕事に付きたくはない、ただ楽な仕事で給料が少しでも多くもらえればいい、と言う感覚になってしまう。会社側からしても、まじめに、指示したとおりの仕事をし、ある時期でやめてくれたほうが、コスト負担が少なく、一応の結果が出せて良い、と言う考え方だったようだ。確かに小規模な会社では、老板が、スタッフを思い通りに動かし、利益は独り占めにできると言う点で、良いのであろう。

Lさんのようなタイプは、したがって、従来のわが社では勤務するのが難しい、会社にとっても扱いにくいタイプの人だったであろうと思う。が、これだけ組織が大きくなり、仕事も国際的になってくると、そのような人が使いこなせないようでは、会社の先行きが怪しくなる。私はそのような感想から、採用してみた。今後どのような成長をするのか、楽しみながら鍛えてみようと思う。
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by wata1150 | 2011-03-21 11:53

コメントバック

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Reyoshiさん  
ご家族全員、無事非難されていたとのこと、良かったですね。
いま、被災地では、食料だけではなく、いろいろなものが不足しており、被災者の皆さんはつらい生活を強いられている様子です。しかし、まずは生き延びられたことを良しとし、一歩一歩復興に向けて進まれることと信じます。
毎日、私の妻も、日々の生活を電話で連絡してくれています。水道が止ったままで、お風呂に入れず、車で20分くらいのところにある温泉場に出かけ、体を洗ってきたこと。ガソリンが無いため、山形にいる息子のところまで行って、車を息子のものと取り替えて帰ってきたこと。トイレに流す水の代わりに、お風呂にたまたま残っていた水を使って流していること、レトルト品を中心にした食事のため、新鮮な食事が食べたいこと、など。それでも、避難所に残って避難生活を送らざるを得ない人に比べればまだ幸せです。
私は、中国にいるため、何の苦労もせずに日々過ごしていることが、申し訳ないように思います。何も出来ないことが心苦しい気持ちです。4月になり、少しでも環境が良くなれば、私も日本に行って、母と妻に地震見舞いをしようと思っています。

鍵コメさん
メッセージありがとうございます。すべて了解です。今後ともよろしくお願いします。メールアドレスか、ブログアドレスくらいは、教えてくれても良いのではありませんか?それとも、mixiで連絡してくれますか?


中国に住んで、このような事件が起こった時、その連絡網の細さに愕然とします。電話が切れたら、すべてが切れてしまうみたいな。少しでも多くのバックアップを持っておかないといけない気がします。
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by wata1150 | 2011-03-20 16:41

地震 雑談

日本でM9.0の巨大地震が発生するより前の3月10日、中国では雲南省でM5.8の強い地震が発生していた。死亡者は25人程度と報道されている。M5.8と言えば、現在の日本ではM9.0の東日本大地震の余震や、ほかの断層の誘発なので、毎日のように発生しているので、すっかり慣れっこになってしまった感がある。しかし、中国では大変な事件であり、多くの民家が倒壊したり、死傷者も多く出た。特に中国少数民族の居留地だったため、言葉も通じない人が多く、支援活動も大変なようである。数日前、温家宝首相が被災地を訪れ被災民を励ます姿がTVのニュースでも報道されていた。

M(マグニチュード)と言う単位は地震のエネルギーを表す単位だそうで、0.2増えると2倍になるのだそうだ。
20万人の犠牲者を出した四川大地震がM8.0だったそうだが、今回の東日本大地震はそれの2の5乗倍でおおよそ32倍になると言うことか?それにしては死者数が四川の1/10以下と言うことを考えれば、それが日本人がそれだけ普段から地震に対して対策を講じてきたと言うことなのであろうか?中国では、それだけ地震に対する抵抗力がないということなのであろうか?

今回の東日本大地震後、日本では原発の放射能漏れの懸念から日本を脱出する人が増えていると聞く。新聞やインターネットの情報を信じれば、決して日本脱出する必要のあるレベルとは思えないのだが。わが社の日本在住中国人スタッフZ君も、万が一を考えて、夫婦で中国に一時帰国してきた。関空から台北経由香港の往復航空券は16万円強だったとか。普段の3倍から4倍の価格である。Z君にしてみれば、やはり、外国での生活と言うことで、それ自体がストレスであり、奥さんにとってはそれ以上ではないかと思われる。理屈では、基本的には問題ないレベルとは言われても、中国で生まれ育った彼としては100%信じることは出来ないのは、無理はない。

数日前、恵州だけではなく中国の多くの都市で「塩、特に沃素入りの塩が放射能に効果がある」という噂が流れた。これを聴いた多くの市民がスーパーマーケットなどに押しかけ、塩を買い占めてしまったと言う。会社の女性スタッフが、本当に家で使う塩が切れて、近所のいつも購入するマーケットに出かけてみたら、普段の価格が1元5角程度のものが30元もしており、しかも品切れで、何時入荷するのかわからない、とのことだったという。何十年か前に、オイルショックの時だったか、日本でトイレットペーパーが無くなるという事があった。なぜトイレットペーパーだったかは忘れたが、いまの中国の市民レベルとトイレットペーパー騒ぎがあった日本と、情報量、市民レベル、社会状況などは同じレベルなのかもしれない。

かく言う私も、日本の家族や知人、友人などとの連絡が取れなかった時期には非常に心配した。仕事も手に付かなかった。すぐに日本に戻ろうかなどと真剣に考えた。妻に「今帰ってきても、食べるものも飲み物も不自由だし、東京から仙台まで移動する方法もない。少し、落ち着いてから帰ってきたら?」と逆に諭されてしまったしだいである。まあ、4月になったら一度帰国し、家族にも会って来ようと思っている。
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by wata1150 | 2011-03-20 16:00
しばらく地震の話題に集中しましたので、ちょっと気分を変えて、恵州の話題を投稿したいと思います。

広東省恵州も大分暖かくなり、分厚い冬用のコートを着る必要もなくなりました。デパートでは夏物の衣料品の販売に切り替わり、多くの女性たちがバーゲンセールに群がっています。もっとも、ここ数日は少し気温が下がり、薄いコートかジャンパーを羽織っている人が多いようですが。私も、薄い春用のセーターを着て過ごしています。

昨年11月に、恵州のウォールマートに新館がオープンし、売り場面積は従来の1.5倍くらいになったようです。
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そして、その中に輸入品専門の雑貨スーパーがオープンしました。あいにく、この雑貨スーパーは撮影禁止で、四六時中ガードマンが見張っており、私がカメラをバッグから取り出すと、すぐに近寄ってきて、「ここは撮影禁止であり、カメラを使わないように」と、怖い顔でにらみながら警告します。そこで、少しはなれたところから望遠で撮影したのですが、そこでもすぐにガードマンが飛んできて、しかられました。
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大して秘密にすることでもないと思うのですが、なぜ撮影禁止なのでしょうか?よくわかりません。ガードマンですらわからないのでしょうが・・・。せっかく、ブログに投稿して宣伝してあげようと思ったのでしたが・・・。

店内は、右半分は食料品やコーヒーなどの飲料、ワインや洋酒、陶器や食器など、左側はキッチン用品、文具、寝具、歯ブラシや歯磨き、シャンプーなどの日用雑貨などが販売されています。輸入品であり、価格も国内品に比べて、非常に高価であり、今のところそれほど多くの人が買い物に訪れている様子もありません。

たとえば、ヘネシーのブランディXOが1500元(約18,000円)、UCCのコーヒー(ドリップ用)缶入りが120元(1400円)、日本の昆布つゆ350mlが60元(約720円)などです。
日本の価格で言えば、おおよそ2倍から3倍くらいのイメージでしょうか。日本の味噌やしょうゆなどもあります。家で日本の料理を作ることも可能になりました。

私は、これで肉うどんを作って食べました。市内の日本料理店で食べるのとは異なる、久しぶりの日本の味の食べ物でした。もっとも、原価がすごく高くついて、毎日このようなことが出来るわけでは有りませんが。

今後は時々、このような贅沢(?)が出来ます。
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by wata1150 | 2011-03-18 11:41

地震、津波、原発ーーー

最近、妻や娘、息子たち、そして離れて住む母や妹とほぼ毎日のように、電話で話をするようになった。基本的には地震の後の様子伺いなのだが、ついでに地域のいろいろな情報が入るようになった。ガソリンが足りないとか、水道が出ないので、トイレの水を流すのに風呂の湯を使っているとか。普段は笑ってしまう話が、今は笑えないのである。

私の母の家を地図で確認すると、福島第一原発からほぼ80kmくらいの距離にある。妹は73kmだと話していた。つまり、絶対安全圏とはいえないのである。私は母や妹にせめて仙台の我が家まで非難したらと説得を試みた。仙台の我が家まではおおよそ120kmくらい有る。少なくとも母の家よりは放射能の影響が少ないはずである。また、私の息子の今の住んでいるところは山形の三川町というところらしい。ここまでは200km以上離れている。出来ればそこまで離れてほしいと思う。

しかし、母は動きたくないという。報道では30km以上離れてほしいということであるから、まだ距離的には余裕はあるのだが。母にすれば、住み慣れた家で住みたいと思うのであろう。わからないわけでもない。しかし、目には見えない放射能被爆のリスクを抱えて生活するのは容易ではないだろうに。母と一緒に住む妹は、大変な気苦労だと思う。いま、私がどうにかできるわけではないが、よろしく頼む、気をつけて!と言うしかない。

会社は、妻や娘が希望するなら、中国に来て、落ち着くまで住んではどうかと言う。しかし、短期の旅行ならばともかく、長期間滞在するのは、それもまた大変だろうと思う。言葉が通じない国での生活は、海外慣れしている私でさえも、苦労するのであるから。娘と妻はやはり、今のところは家にいて、状況が悪化すれば山形まで車で非難するという。それも危険なら、大阪の妻の両親のところに身を寄せると言う。それもまた良いかもしれない。

母や父の親戚の様子を聞いてみた。ほとんどの人は幸いにも助かった様子だが、山元町に住む親戚の一家が音信不通という。どうも津波で住んでいた家が浸水し、住めなくなったらしい。多分どこかの避難所にいるのではないかと言うが、ともかく今は連絡が取れない。無事でいてほしいと願うしか手は無い。

面白いと言っては失礼だが、日本人は比較的冷静に見受けられるが、日本に住む外国人は多少戸惑いを見せている。というか、少々過剰反応気味である。特にアメリカ人や中国人、イギリス人などである。あくまでもインターネットのニュースページで見たもので、どのくらいの正しさがあるかは推測でしかないが。中国人は中国からの臨時便を日本各地の空港に手配して、在日中国人の帰国を積極的に勧めている。

また、中国では塩が放射能被爆に対し効果があるといううわさが流れ、今日一日であっという間に、スーパーの店先から塩が消えた。信頼できる情報が少ないため、こんなうわさにも簡単に反応し、極端な行動に出るらしい。

中国人スタッフで、日本在住で新横浜にいるZ君は明日の飛行機で中国に一時避難することになった。奥さんも一緒に。本人はそれほどでもないのだろうが、奥さんは少々パニック気味なのかもしれない。日本のような情報過多も考え物かもしれないが、中国のような情報過少もまた市民を混乱させるようだ。

ともかく、早く地震⇒津波⇒原発問題と続いた一連の災害も、早く落ち着きを取り戻してほしいと遠く中国の空から祈るばかりである。
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by wata1150 | 2011-03-17 23:36
またまたコメントバックの代わりに、投稿で。

花子ママさん コメントありがとうございました。ガソリン不足は深刻のようです。一昨日、妻と娘が食料や水を仕入れに山形まで車で出かけました。途中で帰りのガソリンの量が心配になり、ガソリンスタンドに寄ったのですが、10リットルしか売ってくれないのだそうです。仕方が無いので、山形で仕事をしている息子に電話をし、息子と車を交換して帰ってきました。息子の車はカローラで、燃費はいいし、かつ、たまたま地震の前に満タンにしていたのだそうです。それに比べ妻の車はクラウン、大飯喰らいなので。今日のニュースに寄れば、このガソリン不足は一週間以上は続くらしいとのことです。

AZUさん ご無沙汰です。おかげさまで、我が家は一人のけが人も無く、全員無事に乗り切りました。また家屋へのダメージも、ほとんど無かったとのことでした。私の母親妹は仙台から南に50kmほど離れたところに住んでおり、津波被害のあったところの側だったのですが、幸い被害にもあわず、無事でした。母は90歳になるので、精神的なダメージが少し心配ですが、妹の話によれは、意外にけろっとしているとのことでした。私が見舞いに行きたくとも、仙台や母の住む町には東京からはアクセスが困難なので、しばらく様子を見て、3月末か4月初めに地震見舞いに行って来ようと思っています。

今日は、こちらからは電話が通じなかった、私の妹から無事だから心配しないように、という伝言メッセージが妻の携帯にありました。ということは、母と妹が住む地域も、電力が復活したということでしょうか?とりあえずは、最も近い家族は全員無事だったということです。まだ、同じ仙台に住む私のいとこや、その家族、その他の親類の様子はわかりませんが、日々復旧しており、数日以内には状況がわかると思います。

我が家のほうは、水道が止ったままで、お風呂やトイレは依然として不自由らしいのですが、それでも少しずつ、地震の前に戻りつつあるようです。
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by wata1150 | 2011-03-15 23:36

我が家に電気が戻った。

今日、妻と娘から連絡がありました。我が家に電気が戻ったそうです。電灯は付くし、TVも見れるし、コンピューターでインターネットも見えます。携帯も電池の消耗を気にしなくても良いし、一応生活が出来るようになったのだそうです。

問題は、飲料水は大丈夫なのですが、ご飯を炊く水や、食器を洗う水、料理をする水がいつ止まるかわからないので不安だと言って、バケツや鍋ややかんなどに水を溜め込んでいるとのことでした。また、買出しに行く車のガソリンの補給が出来ず、節約しながら車に乗らなければいけないとのことです。

我が家は仙台市青葉区で、市内でも、だいぶ西の方にあり、地震の被害もほとんどありませんでした。従って、ライフラインの復旧も思ったより早く進んだようです。

一方、我が母と妹が暮らす亘理町は、陸の孤島と化しているようです。仙台からは状況が全然掴めないようです。亘理町は阿武隈川を境にして北は岩沼、西は角田に接しています。阿武隈川があるため、端を渡らなければほかの町にはいけないのです。また、東は荒浜があり、その先は太平洋です。南は山元町があって、福島県に接しています。山元町や、荒浜は今回の地震で津波の被害を受けました。私の母がすむところはJR常磐線より1kmほど西側なので津波の影響は無かったようですが、かえって陸の孤島になってしまったようです。

今のところ、電気も通っておらず、電話も無論かかりません。無事だとは思っていますが、連絡が無いのが不安です。妻が、亘理に行って見ようと思っているが、復旧車両とかが有って、間道であっても亘理まではたどり着きにくいようなことを話していました。ガソリンの補給もままならないので、数日様子を見てから、可能なら行って来ると話していました。そして、亘理町のライフラインの復旧が遅れるようなら、一時仙台の我が家でいてもらうことも考えているようです。なにせ、母は90歳の高齢者なので、なかなかほかの場所には移りたがらないようですが、こんな場合は仕方が有りません。

早くライフラインの復旧が出来るよう、祈るばかりです。
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by wata1150 | 2011-03-14 20:47
再び、投稿にてコメントバックします。

つぼみさん。ご心配かけました。今日は妻と、娘と、長男と、そして次男と電話で話をしました。みな、思っていたより元気で、私が心配したのが馬鹿みたいに思えたくらいでした。そうは言っても、仙台は陸の孤島になっており、インフラの復旧には未だ時間がかかるみたいです。

今日電話出来たのは、妻と娘が電気のあるところに行き、食料や水を買出しに出かける、ということで山形県まで車を走らせたために、山形に入って電話が繋がったのです。宮城県では、やはりまだ無理のようです。

Reyoshiさん。時間のあるときにはまたコメントをお願いします。ご主人の親戚が宮城県のどの辺にお住まいなのか、わかりませんが、私も皆さんが無事でいらっしゃることを祈ります。早く連絡が出来るようになるといいですね。

えるだーおばばさん。そうでしたね。正月には皆が偶然にも集まって、ほんのわずかの時間でしたが、私にとっては貴重な瞬間でした。次男の話では、来週には仙台の家に様子を見に来るそうですし、長男も、今月末には様子を見に来るといっていました。私も今月末には、仙台に行きたいと思います。来週行くつもりだったのですが、妻や娘から、心配無いし、仙台までアクセスするのが大変だから、少し復旧が進んでからにしてくれ、とやんわり拒絶されてしまいました。3月末にはもしかすると、また5人が集まれるかもしれません。

ほかに、電話や携帯メールなどで心配してくださった多くの方々、どうもありがとうございました。おかげさまで、私の家族には一人のけが人も無く済みました。

しかし、未だ連絡が無い家族を案じている方がたくさん居られます。電気や水道、交通機関などのインフラの復旧は未だこれからですし、食料の供給も十分ではないという情報も有ります。早く復興してほしいと祈るだけです。
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by wata1150 | 2011-03-14 01:34