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中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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<   2009年 01月 ( 14 )   > この月の画像一覧

明日、中国に戻ります。

明日は中国に戻る。17日間の日本出張と休暇はあっという間に終わってしまった。

中国に戻るについて、今回は多少従来とは意識が違った。妻と我が家の悩みを話し合ったからである。それは、この4月から、我が家に男手がなくなるということである。つまり、我が家には女しか残らなくなると言うことだ。

長男は、昨年4月から社会人になり、青森県の弘前市に仕事があり、単身で弘前に住んでいる。私は中国に住んでいる。我が家には妻と、次男とそして娘がいる。それがこの4月から次男が大学を卒業し、就職先が決まった。勤務地は隣の山形県だという。そして、山形に住むことになると言う。家には妻と、まだ大学生の娘だけになる。妻は、最近の日本は治安が以前に比べ悪くなっているだけに、男手が無いと言うのは不安だと言う。私もそれには同意見では有る。

妻は地元で私塾を経営している。もう始めてから20年近くにもなり、地元では知名度も上がり、妻の私塾に通う生徒数も徐々にではあるが、増えてきていると言う。何とか生活費ぐらいは稼いでいるし、簡単には辞められない。かと言って、私が中国の会社を辞め、地元に戻り、主夫兼妻の手伝いをするというのも気が進まない。

結局今回は、ともかくも現状維持で、私は中国に、次男は山形に、妻と娘は仙台に残ると言うことで落ち着いた。この問題は当分我が家の大きな課題として、何度か話し合いをし、より良い方向を見出してゆかねばならないと思う。

弘前で仕事をしている長男が、大学時代の教授の推薦もあって、大学院博士課程に進学することが決まった。次男はやっとこの春に修士課程を修了し、社会人になってくれると言うのに、これは何事だと思う。我が家の息子たちは勉強するのが好きなのか、仕事をするのが嫌いなのか。大学の博士課程といっても、同じ大学で勤務を続けながらの勉強なので、給料はもらえるらしく、入学時の費用だけ助けてほしい、あとは自分で稼いで、授業料を捻出するから、と言うことであった。本人がそういうことなら、入学金ぐらいは面倒を見てやるしかないと思う。長男は「クローン病」という、難病を抱えての学業であり、勤務である。「無理するなよ。」というしかなかった。

母が住んでいる実家を訪れた。母は今年89歳になる。実家の庭には、大きな池が作ってあり、大小の鯉や鮒が泳いでいる。何十年も前に、父が家の一部を改築するときに、一緒に作ったものだ。山の石や水成岩などを庭師に頼んで取り寄せ、池の周りに配置した。周りには多くの樹木を配置し、景観を作った。私が子供のころで、夜店で買った金魚や、川ですくった鮒などを池に放して楽しんでいた。私が結婚し、子供が生まれると、実家を訪れたときの私の子供たちの遊び場になった。

父が亡くなり、弟が家や庭や狭い畑の世話をしていた。その、弟も数年前に亡くなった。実家には母親と妹が残され、女手だけの生活を余儀なくされた。弟が死んで、母は年齢のせいもあり、多少気力が亡くなってきたようで、好きだった庭の手入れや草むしりも、ごく限られた範囲しかやらなくなった。必然的に、庭園屋さんに手入れをお願いすることになり、大いに家計を圧迫し始めたようである。そしてついに、家計を見ている妹が、池を壊し、母の好きな草花などを植えるスペースにし、庭木も欲しい人には差し上げ、残りは切り倒すことを決断した。

それを聞かされた私はさびしい気持ちを持ちつつも、私が其処に住んでいない以上、如何ともし難く、妹に同意せざるを得なかった。私の家に一本の五葉松だけを移植することにした。親父の思い出のつもりもあった。

私が日本にいれば、そんなこんなの雑用が多くあることを実感した。今まで、そのような思いはあまりしたことが無かった気がする。それで、今回は中国に戻ることについて、多少のわだかまりがあったのである。

しかし、私は今会社の中でおかれている立場があり、責任がある。会社を辞め、仙台に戻るにしても、現在の難局を乗り越え、会社として安定的に経営が出来るようにするまでは、何とかがんばらねばならないとおもう。そして、妻にもそれを話し、納得をしてもらったと思うのである。

2009年の中国の会社はまさに試練の年である。なかなか先の見えない社会情勢の中、董事長や総経理と相談しながら、間違いの無い舵取りをしてゆかなければならないと、切に思う。
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by wata1150 | 2009-01-29 23:04

亘理の蝋梅

私の実家に母親を訪ねた。

今は、弟が数年前に亡くなり、妹がその面倒を見ている。母親は今年90歳を迎える。すっかり小さくなり、私と並ぶと母の頭が私の胸ほどまでしかない。それでも、まだボケもせず矍鑠としている。

私の家から実家まで、車でおおよそ一時間、太平洋に面した亘理町に実家はある。気候は温暖で、私の住んでいる仙台より年間平均気温で数度は高いと言われる。したがって、住むにはなかなか快適であり、仙台市のベッドタウン的性格を持つ。

私の家の前の道路が工事中ということで、歩いて5分のところにある亘理町役場に車を止めた。亘理町役場の南隣にある畑に梅ノ木があり、早くも花をつけていた。白蝋梅である。
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先週、九州、大宰府天満宮で梅林を見、まだ花をつけず、花は2月末から3月はじめと聞いていたので、いくら温暖な土地柄とはいえ、東北地方で梅ノ木に花をつけているとは思えなかった。しかし、白蝋梅がこのように花をつけ、梅の香りをあたりに漂わせていたのである。

我が実家にも、白蝋梅、黄蝋梅の木があり、仏壇には白蝋梅の枝が飾られていた。畑に出てみると、黄蝋梅に、小さな花が咲き始めていた。蝋梅は梅の中でも早咲きで、12月末か1月はじめからでも、咲き始めるという。

今はまだ冬の最中だが、春の気配はすでに其処まで来ていることを実感し、なんとなくうれしくなって、すこし気分良く帰路についた。
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by wata1150 | 2009-01-27 22:24

今日は旧正月の元旦です

今日は旧正月の元旦です。

昨日から、私も休暇が始まり、久しぶりに家に帰っています。最も、家族にとって新年でも休みでもありませんので、妻は仕事に出かけ、息子や娘は学校に行きました。私は、一人で家で留守番兼夕食の準備です。

昨夜から、私の中国携帯には多くのメッセージが届けられました。新年の挨拶メッセージです。詩文の形で書かれたものも数多く届けられましたが、残念ながら意味は良く分かりません。でも、私にメッセージをくれた皆が、新しい年に大いなる期待を寄せていることが、見て取れます。

3年前、私が上海にいたときに、春節を体験しました。爆竹が嵐のように鳴り響き、多くの人が初参りに出かけたのを、見ていました。恵州の春節はどのようだったのでしょうか。やはり、深夜に爆竹が鳴り響き、皆で神社やお寺に参拝したのでしょうか?恵州では何処のお寺に出かけるのか、爆竹の煙で市内がかすみか霧に包まれたのでしょうか?来年は恵州に留まって、恵州の春節を見てみたいと思います。

久しぶりに、私の実家に母親を訪ねました。母は89歳ですが、まだ矍鑠としており、昔学校の教師をやっていたせいか、いつも小言や注意をされてしまいます。でも、最近はそれがなんとなく楽しみで、永遠に続いてくれたらいいと思います。それでも、さすがに頭髪は真っ白で、身長は縮まり、本当に小さくなってしまいました。親類も、その多くがすでにこの世を去り、彼女を訪れる人も少なくなりました。それでも、草木や花を愛で、静かな余生を送っているようです。私も、20年後にはあのような生活を送ることが出来るようになるのでしょうか?

日本の客先からは、何件かのE-Mailが送られてきました。中国の会社は今は休暇中です。誰もオフィシャルの回答を返すことが出来ません。何件かの暫定回答をし、あとは休暇明けまで待っていただくよう、お願いのメールを返しました。

今週、金曜日には中国に戻るつもりです。また、金融危機に始まった不況と正面から向き合わなければいけません。ここ数日は、そのための英気をしっかりと養っておきたいと思います。
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by wata1150 | 2009-01-26 20:29

大宰府 天満宮(3)

大宰府天満宮紀行の最終回です。

大宰府を訪れたのは、平日の午後だったのだが、天気は良く、とても気持ちよく境内を散策することが出来た。平日の午後と言うことで、それほど多くの参拝客がいるわけではなかったことも、良かったのかもしれない。

さて、境内の中で目立つのが「絵馬掛け所」と呼ばれるところである。
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境内の何箇所かにこの「絵馬掛け所」が設けられており、かなりの数の絵馬が掛けられていた。

掛けられている絵馬を見てみると、天満宮が学問の神様と呼ばれるだけに、合格祈願の絵馬が圧倒的に多い。表面には絵柄が書いてある。そして裏面にはそれぞれの願い事を書き入れ、絵馬掛け所にぶら下げるのである。
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また、首尾よく願いがかなった場合には、御礼絵馬が掛けられる。首尾よく、目標の学校の入試に合格した人にとっては、御礼絵馬を掛けに来ることもまた、非常な喜びなのであろう。
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本殿境内に先ほど渡ってきた太鼓橋の下の池とつながると思われる小さな池があった。其処には、大きな錦鯉が数匹泳いでおり、参拝に来た子供たちが歓声を上げていた。そして、たまたま何処からか飛来したと思われる大きな鳥が錦鯉を狙ってか、池の淵に立ち、じっと錦鯉を見つめていた。
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そして、この境内には、外側にある梅の木よりは、はるかに見栄えのする梅の木が囲いに囲まれて植えられていた。そのひとつは「皇后の梅」。
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この、皇后の梅をみて、その名前にどのような謂れがあるのかと疑問が残った。皇后陛下がお手植えされたようなものなら、そのように命名されるであろうし、そうでなくとも、単に「皇后」とは言わず、「皇后陛下の梅」としたほうが良いのではないか、などと、考えてしまった。

そしてもうひとつは、「飛梅」と命名された枝振りの良い梅である。
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「花をつけたこれらの木は実に見事だろうな」と思う。そして、「飛梅」とはどのような意味なのか、興味を魅かれる。

飛梅殿と呼ばれた建物の脇から本殿の裏側に回ってみると、大きな楠がそびえる一角があり、其処を過ぎると、またまた梅園になっている。無数の梅の木が立ち並び、その梅林の脇には何件かの茶店が立ち並んでいる。茶店では梅が枝餅を主体にして、お茶や軽食を提供している。前述したが、私もこの中の一軒の茶店でお茶と梅が枝餅を戴いた。梅の花を愛でながらのお茶も風流なものだと思いながら。

この梅園の一角に筆塚というのがあった。
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いかにも菅原道真公を祭った神社だと言う感じである。そういえば、参道を歩いていたとき、その土産物屋の何件かで、書道の道具を売っていた気がする。参道を歩いていたときにはそうも思わなかったのだが、平安時代の学問に、筆は付き物か、と思い当たった。

境内やその周辺を散策するのに、それほどの時間はかからない。が、気がついてみると、すでに夕方であった。駅までの道を急ぎ戻ってみると、10分もかからない道ではあったが、結構見るもの、触るもの珍しく、充実した楽しい散策であった。

次回、もし機会があれば、出来れば梅の盛りに着てみたいと思いつつ、帰路に着いた。
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by wata1150 | 2009-01-25 01:47

大宰府 天満宮(2)

前回に引き続き、大宰府天満宮紀行を。

参道を歩くと、道端に何気なく短歌が書いてある。これは平重衡が詠んだ歌である。「住みなれし 古き都の 恋しさは 神も昔に おもひしるらむ」
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さて、参道の両側に並ぶ土産物屋をあっちこっちと覗きながら、そぞろ歩くとやがて突き当たりの左側に大きな鳥居がある。
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さらに、この鳥居の脇に石塔があり、「大宰府 天満宮」と記されている。
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これが天満宮の入り口とも呼ぶべきところである。普通のイメージでは、参道をまっすぐ行き、正面に鳥居があり、さらに奥が本殿となるべきなのであろうが、この大宰府天満宮は鳥居が参道から左に直角になっており、そしてその奥が本殿と言う配置になっている。この配置は、参道の突き当りが山になっていること、本殿と大宰府駅との位置関係などから、このような配置に結果としてなってしまったのだろうか。
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この鳥居をくぐって進むと、池が現れ、そしてそれを跨ぐかのような2つの赤い太鼓橋が現れる。
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太鼓橋の周辺には、多くの梅の林があり、なかなか形の良い枝を広げている。中には、著名人などから寄贈された梅の木もあるようである。残念ながら今は1月の中旬を過ぎたところで、梅の開花にはまだ早すぎであり、やっとつぼみが膨らんできたところといったところだったが。
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紛れも無く、この太宰府天満宮のキーワードは「梅」であり、菅原道真公の呼んだ短歌にその源を発しているであろうことは想像するに難くない。したがって、梅が枝餅であり、梅林であるのである。

境内を歩きながら思いついたことがある。「梅」と言えば、台湾のシンボル的な花が「梅」である。台湾の航空会社の尾翼には梅の花が描かれている。中国人の女性の名前に「梅」という文字が使われることが多い。言ってみれば、梅という花は「かぐわしい」「うつくしい」などのイメージで、女性的なイメージ、あるいは女性にふさわしいと言うことなのであろう。また、梅林といえば、水戸の偕楽園なども有名である。私は訪れたことは無いのだが、例年多くの観光客で賑わうという。ここ、天満宮も梅花が満開の折にはまた見事なものなのだろうと想像を膨らませてみた。

さて、境内を本殿に向かって進む。配置図にも有るように、本殿は建物で四角に囲まれた最深部にある。こういう造りをなんというのかは知らないが、言ってみれば建物の中庭に踏み込んだような感じである。この中庭への入り口にある門の役割をはたす大きな建物がある。
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また、この周辺には、小さな社がいくつか点在しており、簡単な説明も書いてある。もっとも、日本史の苦手な私には、理解できないことも多いのだが。
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さて、いよいよ本殿である。
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言うまでも無く、太宰府天満宮は「学問の神様」として知られている。多くの受験生が、高校や大学の入試合格を祈願しに訪れることで有名である。今は丁度受験シーズンであり、この日も多くの受験生が本殿に向かって手を合わせていた。

長くなってきたので、次回に続きを。
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by wata1150 | 2009-01-23 18:14

大宰府 天満宮(1)

九州博多に出張する機会があった。九州は昨年も一度出かけたのだが、時間が無くて、どこにも行くことは出来なかったのだが、今回は飛行機の時間の関係で、数時間の空き時間が出来たので、一度行ってみたかった“大宰府 天満宮”に足を伸ばしてみた。

大宰府天満宮は、学問の神様と呼ばれる、「菅原道真」を祭る神社である。なぜ、菅原道真を祭っているのかなどという歴史的な背景は、いつかもう少し勉強してからにする。今回は純粋に天満宮を散策するにとどめたい。

博多から天満宮への行き方は、地元博多の人ならば、誰でも知っているだろうが、私は東北は仙台の生まれ、九州へは仕事で何度か訪れた程度で、まったく土地勘が無い。そこで、訪問した客先の人に聞いてみた。西鉄の天神駅までいく。其処から西鉄天神大牟田線で二日町まで行き、西鉄大宰府線に乗り換え、終点大宰府で降りる。乗り継ぎ時間にもよるだろうが、30分ないし40分程度で到着する。ちなみに、タクシーで博多から行っても、4000円から5000円程度だそうである。

駅前はすでに天満宮の参道である。
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大宰府駅と表示されている表示板に梅の花が描かれているのが、いかにも大宰府である。

駅前にはいくつかの大宰府を象徴するモニュメントがあった。そのひとつが観光案内図。
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これは、立派なコンクリート造りのもので、本を開いたかのようにみえる。

そして、もうひとつが句碑。
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菅原道真が呼んだ「東風吹かば、匂ひおこせよ、梅の花、あるじなしとて、春な忘れそ」という有名な句が、大宰府駅に向かって、刻んである。この句碑は4面あり、4面とも異なった人の句を刻んであり、短歌や俳句を能くする人には面白いかもしれない。丁度、道真の句の裏面には、夏目漱石の句が刻んであったのだが、逆光で、カメラに収めることは出来なかった。

駅前から、天満宮に向かって参道が延びている。
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とはいっても、さほどの距離ではない。数百メートル程度か。

参道の両脇には、どこの観光地や神社仏閣にも見られる、土産物屋が軒を連ねている。
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この、太宰府天満宮は、「梅が枝餅」と言うのが名物だそうで、ほとんどの店で梅が枝餅を販売しており、その中のいくつかの店では、行列が出来ていた。有名店なのかもしれない。

この梅が餅と言うのは、餅の生地で餡を包み、焼いて造る。
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この参道や神社境内には数十軒の梅が枝餅を売っている店があり、それぞれの店で微妙に味が違うのだそうである。私は、すべての店で味見するわけにも行かず、真偽の程は分からなかったが。

中には、店の中でお茶と一緒に梅が枝餅を提供してくれるところもあり、境内を参拝してから、境内の中に有った茶店で、私も一個食べてみた。
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なかなか甘みがいやらしくないので、結構食べやすい。私がそこの女将さんらしき人に「美味しい、これで梅が咲いていたら最高なんだけどね」と、話したら、「梅が無い分、一個おまけします」と言ってもう一個の梅が枝餅をサービスしてくれた。
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長くなってきたので、次回にします。次回はいよいよ、天満宮参りです。
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by wata1150 | 2009-01-22 23:57

体力が無くなった?

日本出張、早くも一週間が過ぎた。茨城県、品川、愛知県、川崎市などを荷物を持ちながら移動した。

以前の会社で、アメリカや台湾や東南アジアを、大きな旅行かばんを引っ張りながら転々と旅行していたことを思い出す。そして、今現在言えることは、「体力がなくなったなあ」ということ。

以前は、もっと大きなかばんを使っていた。当時はエスカレータなど有る方がラッキーで、20kg以上もあるかばんを片手に抱え、もう一方の手で、書類やパソコンの入ったかばんを持って、階段を汗をたらしながら上り下りし、それでも客先に着くと、涼しい顔をして打合せをしていた。疲れて、会議の集中力が切れることも無かった。

今も、私のかばんは20kgくらいはある。
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17日間の出張及び帰省なので、スーツやワイシャツ、ネクタイ、靴なども2セットくらいは必要だし、下着や洗面用具なども結構ある。旅行中に読む本もある。それをひとつのかばんに詰め込み、防寒コートを着て、引っ張って歩くのは容易ではない。ちょっとした階段に着くと、思わず周辺を見渡し、エスカレーターやエレベーターを探してしまう。無いと分かると、しばらく呼吸を整え、気力充実させ、“えいっ”とばかりにかばんを持ち上げ、一気に階段を上り始める。が、3歩か4歩で、一旦休憩・・・となる。そして、数秒間呼吸を整え、再び階段を上る。これを数回繰り返し、やっと上までたどり着く。

そして、やっと客先のオフィスまでたどり着いたとたん、ドーっと疲れを感じてしまうのである。仕事の打合せどころではない。トイレを借り、息を整える。オフィスに戻り、お茶を頂いたり、冷たい水を一気に飲み干したりして、精神的にも、肉体的にも打ち合わせ体勢に持ち込む。そして、打合せに臨むのである。しかし、厄介な課題などで時間がかかるようだと、途中休憩が必要になる。水を飲む、コーヒーやお茶を飲む、トイレに行く、などなど、頭をかいほうしてやらなければいけないのである。そして、そんな時「ああ、体力がなくなったなあ」と思うのである。

疲れを感じるのには、実は他にも訳がある。実は、会議や打合せは1時間から長くても2時間程度が関の山なのだが、客先様との会議の後の食事と言うやつである。昼食はともかく、夕食時にはお酒がつき物。そうして、大概飲んだ後、2次会にクラブやバーなどに行く。そして終わるのが深夜12時ころ。遅くなると1時や2時になることも珍しくは無い。そして、睡眠不足の頭で、次の場所までの移動。これが疲れる原因かもしれない。食事やお酒は、気のあった仲間や家族とやるのは、疲労回復にいいのだが、仕事の相手とやるのは、疲労を倍増させるものなのである。

それもまた、“仕事”なのである。

今週も、名古屋、大阪、博多、そして再度品川と旅行は続く。「ああ、体力が無くなったなあ」とつぶやきながら。
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by wata1150 | 2009-01-19 19:17

久しぶりに日本です。

13日、夜中に成田に着きました。成田に着き、思わず「ブルッ、」やはり寒い。広東省の田舎で寒いといってもやはり日本の寒さとは違うようです。NEXと新幹線を乗り継いで、新横浜の定宿にチェックイン。

定宿と言うのは、やはり落ち着きますね。初めてのホテルだと、何か緊張感があって、変な感じなのですが。長年、ホテルを転々しながら仕事をし、生活をしてきた私でも、やはり初めてのホテルと言うのは、何か違和感があります。

さて、ホテルにチェックインし、近所の飯屋に行って遅い夕食をとって、部屋に戻り、早速やったのがパソコンを設置し、ネットに繋いだ事。そして、自分のブログをクリックすると、「オー、出ました。“TADAの中国滞在記”」なんと自分のブログを見ることが出来るのです。普通には当たり前のことなのですが、中国にあっては見ることが出来ない、貴重なものなのです。早速、ブログコメントに対するコメント返しや、久しく覗いていないブログ友達にコメント入れたりして、遊んでしまいました。中国の情報規制、何とかならないのでしょうかね。

余談ですが、最近、AUの国際携帯で、中国国内でネット接続、メールサーバー接続が出来なくなっています。国際電話でAUに問い合わせしてみると、「中国で、パケット通信障害が起きています。何時回復するのか分かりません。」とのAUからの回答です。11月ごろには通信できていたのですが。これも情報規制なのでしょうか?同僚の日本人に問い合わせたところ、SOFTBANKは問題ない、とのこと。AUだけなのでしょうかね。

もうひとつ、携帯電話のこと。私は中国では香港で購入した、モトローラの3Gタイプを使用しているのですが、この携帯、日本でも使用可能なのです。インスタントメッセージを中国との間でやり取りできますし、無論電話の受発信も出来るのです。接続業者はSOFTBANKかNTT-DOCOMOになるようです。場所により、どちらかに切り替わるようです。

今回の日本帰国は出張なので、我が社のラオパンと一緒です。もっとも、ラオパンは最初の一週間だけで香港に帰国しますが、私は17日間も滞在します。と言っても、2週間は各地の客先回りや我が社の連絡事務所訪問で、最後の数日だけ仙台に帰省するつもりです。せっかく日本に帰ってきたので、せっせと客先回りをしてこの苦しい時期を乗り切るための、また苦しい時期を乗り越えた暁に大幅に発展させるための種まきをしようと思っています。

また、歯医者と、内科に行って検診や、治療、薬の調達もしなければなりませんし、中国で飲むドリップ式のコーヒーの大量購入とか、歯磨きや歯ブラシ、男性用化粧品などの購入とか、結構やることは多いのです。それでも、中国にいればほとんど使うことの無い日本語をふんだんに使うことが出来る、やはり私は日本人だー!と思うことが出来ます。

来週は、大阪、名古屋、博多など遠方に出かける予定が組まれており、体調に気をつけながら、歳にもめげず、走り回りたいと思っています。ブログのネタ集めも忘れないようにして。
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by wata1150 | 2009-01-16 22:45
今日は日曜日です。大陸性気候のためか、ここしばらく、雲ひとつ無い快晴の天気が続いています。もっとも、気温は結構低く朝夕は5度前後まで下がり、外に出るには防寒コートが必要なのですが。

我が社は、昨日の土曜日、今日の日曜日は、本来は休みなのですが、共に出勤日です。中国の春節、旧正月の休みを目前に控え、連休を一日でも長くほしいスタッフが多いため、昨日と今日を休日振り替えにしたのです。そのため、我が社の春節休みは1月15日から2月1日までの17日間になりました。

中国系や香港系の会社は今年は世界的不況も手伝って、長い春節休暇を設定する会社が多いそうです。長いところは一ヶ月以上の休みにしたところもあります。我が社は例年2週間ぐらいの設定なので、今年は玲なんと変わらず、といったところです。

日曜日のオフィス、私が机を置いている営業部のオフィスはやけに静かです。客先からのコンタクトは電話、FAX、E-Mailともほとんどありません。営業スタッフは資料を整理したり、春節明けの計画を考えたりしています。普段は結構激しい言葉が飛び交うのですが、今日は笑い声も聞こえます。春節休暇のすごし方など、お互い情報交換したりしているようです。

他部門を覗いてみました。開発部はあまり通常と変わりはないように見えますが、開発部長が昨年末で退職したせいか、少しはゆったりしているようです。今は、生産技術部長が技術部長を兼務していますが。もっとも、年末とあって、早めに休暇をとって帰省した人もいて、人は少なくなっているようです。生産部は、ワーカーさんが夏場の半分くらいしかいなくなったため、かえって忙しくなったようです。それに伴い、生産計画、倉庫、部品製造なども、心なしかざわついているように見えます。年末でスタッフが落ち着かないのかもしれませんが。

私の秘書を兼務するT小姐、休暇をとって昨日から帰省しました。17日に結婚するそうです。その話をしていたら、我が営業部門であと二人、この春節に結婚すると言う情報が入ってきました。さらに、1月4日に子供を出産した女性が一人います。この休暇明けには紅包を4枚も準備しなければなりません。数千元が消えていきます。「春節なんかに結婚するなよな~」思わずつぶやいていました。

今日と明日は、我が社の忘年会が予定されています。この不況の折ですから、派手な忘年会は出来ません。ひっそりと地味にやりたいと考えています。今年は、客先、サプライヤー、関連会社からの忘年会の招待は一件もありませんでした。みな、息を潜め、不況の嵐が過ぎ去るのを待っているかのようです。

市街地には正月飾りを販売する店が見え出し、恵州もいよいよ年の瀬を感じさせるようになって来ました。
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by wata1150 | 2009-01-11 16:14

投稿 500回達成

TADAの中国滞在記も、500回目の投稿をすることになりました。一日一回投稿したとすると一年半かかるわけで、自分で振り返っても「よく続けてきたな」と思わずに入られません。無論、ブログの先輩たちはもっともっと多くを投稿しているとは思います。それに対しては、500回はまだまだ少ないとは思いますが。

500回の投稿には3年半かかりました。2005年の7月から「TADAの上海日記」として、ブログを始めました。ネット友達のMOKOさんの推薦で始めたのです。しかし、当初は三日坊主に近い私にとっては、それほど長く続けるとは考えていませんでした。何ヶ月か続けば良いかな、位に考えていたのです。

2006年7月に一旦上海を離れ5ヶ月間ほど日本にいました。このときは、同じくブログ友達の樋口さんに助けてもらったのです。上海にいないのに、上海日記はおかしいと思い、書くことをためらっていたのです。そのとき、「どうせまた中国に来ることになると思うから、日本滞在記として書いたら」と言ってくれたのです。

5ヵ月後今度は中国でも、上海ではなく、広東省恵州市にやってきました。そしてブログタイトルを「TADAの中国滞在記」と改め、書き続けることが出来たのです。最初は、まったく知らない恵州市で見るもの、聞くもの珍しく、書くことに事欠かなかったので、助かりました。

しかし、2008年2月末、大事件が起こってしまいました。EXCITE BLOGが閲覧できなくなってしまったのです。YAHOOやその他のブログは問題ないのに。中国政府の言論統制にかかってしまったらしいのです。何とか方法を見つけ、投稿だけは出来る様になりました。しかし、閲覧はできません。いろいろな人の知恵を借り、WEB翻訳をしてやることで、多少の問題とわずらわしさはありますが、閲覧は出来るようになりました。そして、しぶとく投稿を続けました。

しかし、ブログ友達が書いた物を読むことはすっかり少なくなってしまいました。また、コメント投稿も出来なくなりました。そのせいか、一時は10件以上もコメントを頂いていたのが、今ではほとんどなくなってしまいました。コメントバックが出来なくなったのがその理由でしょう。実際には日本から持ってきているグローバル携帯電話を使えば出来なくは無いのですが、携帯電話で文章を書くのは結構億劫なものです。

2007年末ごろから感じていた、不況の嵐がついに中国を含む全世界に吹き荒れるようになりました。それにつれ、私の投稿のテーマも必然的に仕事に関することが多くなり、文章も重たくなってきました。紹介記事なども意識して書くようにしました。さもないと、筆が進まないからです。

それでも、エキサイトネームカードのアクセス解析を見ると、以前のブログ友達が時々眺めに来てくれているのが分かります。それを力にして、書き続けてきました。そして、500回の投稿にたどり着いたのです。多くのブログ友達の支え無には出来なかったと思います。本当に感謝です。

今後も、細々と書き続けて行きたいと思っています。私のブログを時々眺めてくださるブログ友達の皆さん、今後ともよろしくお願いします。
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by wata1150 | 2009-01-08 23:50 | 挨拶