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中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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この惠环地区では朝市も開かれる。果物や農産物などを近所の人や、農家の人が持ち込み道路に店開き。これらを覗きながら散歩をするのも悪くは無い。最近はライチの季節が終わりかけ、梨の季節になってきており、日本の品種で言うと20世紀や、長十郎といった品種に近いものが、道端の屋台で山積みされて売られている。
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ここ恵州は年間を通して、いろいろな果物が近隣の農家で栽培されているらしく、比較的新鮮なものが多い。

また、自家製の惣菜を作って売っている屋台もある。衛生的にはどうか解らないが、少なくとも、家庭的な味であろう事は想像され、結構人気であろうと思う。
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また、朝市にはいろいろな雑貨を売る店も、通りを一杯に使ってオープンしている。下着やハンカチ、タオルなどの繊維製品、CDやDVDソフト、イヤホーンや、各種ケーブルなどのオーディオアクセサリ、ベルトや靴などの革製品、ボールペンやシャープペン、消しゴムからメモ帳などの文房具など雑多である。
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また、衣料品の修理をする人が、ミシンを持ち込み、臨時修理屋さんを開店中。
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一方では靴の修理屋さんも開店していた。
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そして、この地域の足となっているのが、バイクタクシー。
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仲恺大道から、わき道に入る角などには客町のバイクがたくさん並んでいる。もっとも、このバイクタクシーは結構危険で、毎日のようにバイクがらみの事故を目撃する。我が社では使用禁止としているのだが、若い従業員にとっては、便利であり、且つ安価であることから使用している人も結構多いようだ。

ただ、この地区は、地元の人ではない人たちが集まるところであり、従って治安は決して良くないという。私なども、その話を聞いてからは、財布を持たず、数枚の100元札をポケットに忍ばせ、目的を持って買い物をし、終わったら素早く帰るようにしている。私のような老人は泥棒君にとっては、結構狙い目になっているからであり、なかなか楽しめるようなところではないようである。
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by wata1150 | 2007-08-31 09:15 | 恵州の事
私が勤務する会社のある恵台工業園区には多くの会社や工場が立ち並んでいる。中にはSONY恵州といった超大手企業も名を連ねるが、多くは聞いた事の無い会社も多い。しかしいずれの会社も数千人規模の従業員を抱えており、そのほとんどは、中国全土から集まってきた若い女性たちである。

そういった従業員たちは、一般的には各会社、工場が併設している従業員寮で寝起きしている。会社の中であれば、比較的安全であり、食べることにも事欠かない。しかし、そういった若い従業員たちには、ストレスのはけ口が必要で、歩いてゆける範囲にスーパーマーケットや、繁華街、娯楽施設と言った物が自然発生的に出来てくる。

私の会社から歩いて10分ほどのところにもそんな場所がある。惠环という地区である。その中で最も眼を引き、人の集まるところが、大栄というスーパーマーケットである。
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4階建てで、1階と2階は食料品や家庭用品、3階は家電や雑貨、4階は衣料品という具合である。週末ともなれば、近隣の住人ばかりではなく工業団地から集まってくる若い従業員たちでごった返す。

この惠环と言うところは、ちょうど仲恺大道という大通りに面しており、この仲恺大道は東莞や深圳に行く道につながっており、また隣町の陳江の町まで一直線で行けるため、路線バスのメインロードにもなっている。この惠环地区の仲恺大道に面したところには、中国銀行、中国工商銀行、農業銀行と言った銀行も並び立っている。
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銀行は週末には大混雑で、大概遊ぶためや、買い物をするためのお金を引き出す工員たちが列を成し、20分や30分は待たないと、お金の引き出しも出来ない。

また、最近の中国の特徴でも有ろうが、携帯電話ショップが軒を連ねている。
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最近は中国メーカーブランドの比較的安いものが出回っており、工業団地の従業員たちにでも手軽に買える価格帯になっているため、そういう従業員たちをターゲットにして、大きな音の音楽を流して人集めをしたり、店頭でイベントやっていたりして、にぎやかなことこの上ない。従業員たちにとっては、デジタルカメラが付き、MP3の機能が付いて、数百元程度で購入できるので、彼等にとって、デジタルカメラで友達同士撮影したり、一人MP3で音楽を聴いたりし、遠い故郷から出てきて仕事をする合間の慰めや楽しみになっているようである。
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by wata1150 | 2007-08-28 00:14 | 恵州の事
先日、日本人を募集し、何度か面接をした話を投稿しました。そして、ついに我が社にとっては、私に次いで二人目の日本人が本日入社しました。Tさんといいます。日本の大手電気メーカーV社に35年も勤務された方で、特に製造畑に長く勤務された方です。V社広州工場にも5年ほど勤務され、中国経験も十分です。中国語も、履歴書には挨拶程度と書いてありましたが、なんのなんの、日常会話についてはかなりのレベルで、私など足元にも及びません。

BN人材紹介会社から、履歴書と職歴書をE-Mailで受け取ったとき、直感的に、”この人だ”と感じた気がします。何故にそう感じたかはわかりませんが。履歴書と職歴書をプリントして、すぐに老板のところに行き、私の直感をストレートに告げました。早速面接を手配する許可をもらいました。BM社に普段はE-Mailで行う連絡を、担当者Fさんの携帯に電話で連絡しました。

面接は、深圳の福田保税区にあるシェラトン深圳。老板が香港から皇崗経由で駆けつけ、私は恵州から社用車で。TさんとFさんはホテルで合流です。我々が10分ほど定刻より先着し、TさんとFさんはほぼ定刻に到着しました。Tさんはかなり緊張している感じでしたが、それは仕方が無いと思います。

私は表面的なことを一通り質問し、会社の概況について説明、さらに何故日本人を必要としているか、給料や勤務時間など、雇用条件などを説明しました。その上で、いくつかの事例についての対処方法などを質問しました。その後、それまでは何も口にしなかった老板が、若干心理テスト的というか、哲学的ともいえる質問をいくつかしました。私も若干緊張しましたが、Tさんはほぼ予想通りの応え方をしたので、一安心。これで老板はOKしてくれると思えたからです。

案の定、老板はこれから社用車で恵州の我が社工場を見てくれないかと依頼し、Tさんは受けてくれました。そして、恵州の市内で昼食の後、工場に来ていただきました。老板から指示を受けていた総経理が出迎えてくれ、歓談後工場を見ていただきました。総経理もOKと判断したようです。そして、Tさんが来てくれた場合のポストとして、どこかの部門の経理(マネージャー)ではなく、総経理助理として、製造、品管、工場技術、金型、治具製作などの各部門をオーバーオールに見て欲しいという話になったのです。

Tさんはほかに数社面接を予定しており、その結果を見てから慎重に判断したいと言うことで入社の即答は避けられました。Tさんが深圳に戻られてから約一週間後に結果を連絡いただくことになりました。

今週初め、TさんからE-Mailにて、またBN社からも電話で当社に来てくれることが決定したとの連絡をいただきました。そして、昨日恵州に来てくれたのです。昨夜は、彼の歓迎パーティを老板、総経理と私が参加して行いました。今日が初勤務。総経理自ら関連部門の幹部社員にTさんを紹介して回ってくれました。私はもう彼についてのことで、表面に出ることは無いと思います。しかし彼は、私や老板が期待していることをしっかりと理解し、一歩ずつ進めてくれると思います。
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by wata1150 | 2007-08-26 00:34 | ちょっと仕事

爺爺

我が社で私を見ると、「爺爺」と呼ぶ、女子従業員がいる。

最初の出会いは、私が休日に会社の建物の壁で、テニスの壁打ちをやっていたときだった。「爺爺」、何しているの?という声で振り向くと、小柄で目のクリッとした女の子が、立って私のすることを、じっと見ている。ユニフォーム姿から、多分工場の中で組み立てラインにいる従業員だろう事はわかった。何にでも興味を持ちそうな、目がとても印象的であった。「いや、これはテニスというスポーツ」と片言の中国語で返しても、解ってはもらえない。すると、「爺爺」、私にもやらせて、という。仕方が無いのでラケットとボールを渡した。すると、見様見まねで壁打ちに挑戦するのだが、思うようにラケットがボールに当たらない。あっちへ飛び、こっちに転がりしながら、しかし戯れていた。そのうちボールが誤って屋根の上に突き出した、庇の上に載ってしまい、戻ってこない。彼女はしょげかえって、困った顔をしている。私は、「いいよ、いいよ」と慰めた。

翌週くらいだったか、夕方オフィスから、寮に戻る途中、「爺爺」と呼ぶ声。振り向くと例の彼女が友人と歩いている。多分、近所のスーパーにでも行くかのような格好である。「“爺爺”は駄目、“哥哥”と呼びなさい。」と言うと、「やっぱり“爺爺”にしか見えないから“爺爺”」といって、笑い転げてる。たしかに、年齢的に見れば10代後半の人と、60歳目前の人では、爺と孫でもおかしくはないが。

さらに翌週ぐらいだったか、やはり、休日に会社の構内を散歩していると、“爺爺”のこえ。両手に一杯の買い物袋を下げている。そして、やおらその中から両手一杯に物を取り出して、私に渡してくれた。梅の実くらいの大きさで、スモモみたいな感じの果物であった。それを「食べてみろ」という。ためしに一個食べてみたら、とても酸っぱい。が、果肉をかじっていると、なんとなく甘さもある。少し我慢をしながら、一個、二個と食べていたら「美味しい?」と聞いてくる。「美味しいけど、ちょっと酸っぱい」と言いたいのだが、中国語が出てこない。仕方が無いので、ただ頷くと、それなら・・・と袋ごとくれると言う。しかし、実際は最初の一個二個で、もう十分なくらいであったから、もういいから、後は自分で食べなさい、と返してやった。

何度か、そんな会話をその後も交わしたのだが、しばらくして、姿を見せなくなった。先週、会社の内部のバスケットボールのリーグ戦を観戦するとも無く眺めていたら、懐かしい“爺爺”のこえ。どうも、私の姿を寮の自分の部屋から見つけて、走ってきたらしい。声が弾んでいた。が、なんとなく顔色がさえない。聞いて見ると、「何度と無く、私の姿を会社の中で探したのだが、見つからなかった。」と泣きそうになって言う。「私はずっと2階の私のオフィスにいるよ」と言ってやった。が、良く考えると、組み立てラインの人は、私のオフィスの近所までは来ることが禁止されているため、私が外に出て、3階にでも行かない限り、彼女と仕事時間中に会うことは無理なのであった。彼女は「来月、家に帰ります」という。それを私に告げたかったのだという。私は、何も言えなくなってしまった。

後ほど、スタッフに聞いて見ると、彼女はまだ学生で、9月には新学期が始まるので、学校に戻るのだと言う。わずか数ヶ月間、我が社のために一生懸命仕事をし、わずかな給料を手にしてまた学校に戻る。調べてみると、9月25日に広西省からきた学生が160人あまり、家に戻るという。多分、彼女もそのうちの一人であったのだろう。

私は、私の名刺を一枚、彼女に手渡し、「私に連絡したいときは、電話しなさい。」と告げた。彼女の名前は知らないが、多分会社を去る前に、また連絡をくれるだろう。また、会えるときがあれば、「故郷に帰ってからでも、何時でも、私に連絡したいときは、電話しなさい。」「いつでも“哥哥”だよ。“爺爺”じゃないからね。」と告げようと思う。
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by wata1150 | 2007-08-24 00:09 | 恵州の事

年齢に打ち勝つ

我が社の老板は、4つの会社を保有しています。香港の親会社、そしてその傘下に、現在私が勤務する恵州の会社、そして深圳に2つの会社があります。昨日、深圳の会社のひとつMH社に来いとの要請があり、急遽行ってきました。この会社を訪問するのは3度目になりますが、現在この会社に日本人スタッフはいません。そこに、急遽日本人の客が来ることになり、コミュニケーションサポートを依頼されたと言うわけです。

特に仕事の話はしなかったのですが、夕食を同席しました。そこで、MH社の工場サポートをする台湾人を紹介されたのです。彼の名前は林さん、台湾人です。外見的にみて、年齢的には私とほぼ同等かな?と思いました。それがなんと、私より5歳以上上だったのです。しかも日本語、英語、広東語、中国語を使いこなし、食事の時には出席者全員に気を配り、お酒を勧めています。話をしてみると、気持ちがとても若い。40歳代の人と話をしているような感じです。

彼は、1985年に中国に渡り、台湾系の会社で仕事をしました。そしてその後、何時かは聞き漏らしましたが、このMH社に移ったというのです。老板に言わせると、今でも週6日の仕事を普通にこなしていると言います。そして、その仕事ぶりそのものが、ほかの中国人スタッフの模範になっていると言うのです。老板は、無理をせず、毎日半日だけ出勤してもいいよ、と言うのだそうですが、現在はフルタイムで仕事をしているそうです。

私の知り合いで台湾人のRさんという人がいます。彼の父親はやはり実業家で東莞に会社を持っており、部品の生産販売をやっています。ここに、一人の日本人が働いているそうです。年齢を聞いてびっくり、今年で68歳になるのだそうです。しかし、Rさんに言わせるととてもそんな高齢には見えず、せいぜい60歳前後の感じなのだそうです。毎日8時に出勤し、6時の退勤時間まで工場内を飛び回っているのだそうです。若い連中と一緒に酒を飲み、語らい、そして遊ぶことが好きなのだそうです。

現在、私はこの会社の中で最高齢者です。次が58歳の開発技術の香港人、張さんです。しかし、毎日若いスタッフと熱い議論をし、一緒に食事をし、時には一緒に酒を飲んで歌を歌う。こんな生活で、彼らから活力を貰っているような気がするのです。無論体力の衰えは、如何ともし難いものを感じることも有りますが、彼等と向かい合うと、背筋がしゃきっとし、負けていられないと言う感じで、身体に力が湧き上がってきます。

私は、65歳まで仕事が出来るのか、はたまた68歳まで頑張れるか、それはわかりませんが、諸先輩の元気な姿を目にすると、負けて入られないと言う気になるのです。まさに、心の若さが体力の衰えにに打ち勝つような気がするのです。
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by wata1150 | 2007-08-22 16:05 | 雑感
「日本人社員募集中」ということは8月10日に書きました。日本人を募集すると言うことで、私が窓口をやることになりました。深圳にある、BNという人材紹介会社を通じて紹介してもらうことにして、依頼書を書きました。いわゆる「求人票」というものです。BN社によれば、現在は日本人の給料もやや低下傾向で、従って、なかなか希望に沿った人物は現れてくれないそうです。会社としては、給料が低く抑えられるのはいいことですが、昨年の私の状況を考えると思いは複雑なものがありました。

老板は私がこの会社に入った時の給料と同程度は覚悟していたようですが。そして、口癖のように「お金はいい、要は人物だ。」と繰り返し、話しています。しかし経営と言うことを考えれば、生産ラインの工員の20人分以上を支払うわけですから、決して安くはありません。

それでも、BN社の第一次の紹介で3名の応募がありました。BNからの紹介は、本人の応募の意思確認をしてから連絡してきますので、本人としては入社希望を持っています。その中から一名を選んで、面接することにしました。日本人と言うことで、私が面接官をすることになりました。

面接をすることになった彼は、何とか就職したいと言う希望で、日本から深圳に出かけ、短期契約のアパートを借りて、職探しをしていました。従ってその必死さは十分に伝わってきます。いろいろな通り一遍の質問や会話の後、私はこんな設問をしてみました。「何か課題があり、その解決にはリスクがある。あなただったら、どうしますか?」それに対して、彼の答えは少し逡巡した後、「私は迷ったら、止めることにしています。」

私は少しがっかりしてしまいました。何か、新しいことを始めるには、必ずリスクが付きまといます。それでいちいち止めていたら、問題解決にもなりませんし、会社の発展も出来ません。この一言で、彼を採用することは、断念せざるを得ませんでした。性格的には穏やかで、好人物に見えます。しかし、彼の過去のいろいろな経験が、そういう失敗を嫌う性格にしてしまったのでしょう。面接の時には答えを言いませんでしたが、後ほど人材紹介会社にはその日のうちにお断りの電話をしました。

別の人材が、同じ紹介会社から送られてきました。ある大手メーカに30年以上働いた経験のある方で現在は大阪で悠々自適の生活を送っていらっしゃる方です。年齢が67歳と言う高齢で、かつ海外生活の経験が無いと言う方でした。電話面接と言う形で話をしました。話の内容は筋が通っていて、能力的には問題ないように思えましたが、何せ年齢が高いだけに数日考えて、やはりお断りをしました。

次に紹介を受けたのは、大手電器メーカの関係会社で、やはり製造、品管関係で35年も勤務されたと言う方です。たまたま老板も時間が取れると言うことで、二人でこの方にお会いしました。人格的にも、業務に対する心構えも、そしてまた専門知識もしっかりしていて、好感が持てました。断片的に老板も少し心理テスト的質問をしましたが、やはり模範解答に近い、しかし自分の考え方として受け答えをしてくれました。そこで、深圳での面接の後、恵州の工場にお越し戴き、工場を見ていただき、総経理とも話をしていただくことにしました。

結果として、この方を内定とし、人材紹介会社に通知しました。ところがこの方、ほかの会社の面接も受けておられて、その結果が出るまでは答えが出せないと言うのです。もうひとつの会社は日系会社ということで、福祉や社内の仕組みが理解しやすく、また社長が日本人のため直接的なコミュニケーションが可能ということで、できればそちらの日系会社に多分に未練があるようなのです。出来れば当社に来てほしいのですが、無理強いして印象を悪くするのも良くないと思い、一週間待つことにしました。

結果は来週早々には出ると思います。しかし、昨夜老板と食事をしながら、「これで決まってほしい、このような面接は疲れるし、上手く行かなければエネルギーをもう一度使わなければいけない。」と言うことを話し合っていました。

私がこの会社に来てから、日本客先対応の営業担当者の採用、今回の日本人社員の採用など、人事採用面接をかなりこなしてきました。就職はその人の人生を左右するイベントだけに、採用する方としても苦労しますし、エネルギーを消耗します。しかし、当社においては改革が進めば、さらに日本人の採用、それに伴って専属の通訳の採用など、私がしなければいけない採用面接が今後も続く見通しです。来週からは、今回の日本人が入社された場合の通訳さんの面接が始まります。
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by wata1150 | 2007-08-18 23:36 | ちょっと仕事
日本出張時に、一日だけ仙台に帰ることにしました。一日だけの帰宅ではもったいないとも思いました。しかし、2月に中国で財布をすられ、無くしてしまった“健康保険証”の再発行したものを受け取る必要があるので、帰る事にしたのです。

愛知県岡崎市にある客先の工場から仙台に帰るのに、時間の節約と言うこともあり、中部空港から仙台空港への直行便を利用することにしました。これだと、飛行時間70分程度で仙台に着きますし、家まででも、さらに一時間ほどでたどり着きます。

名鉄東岡崎から、名鉄特急を利用し、神宮前経由中部空港まで約一時間で到着します。私は過去にはかなり多く、日本国内便を利用したことがありますが、この「中部国際空港 “セントレア”」は最近開港したばかりという事もあり、利用するのは初めてです。

ところが、空港についてみると仙台行きJAL便は約一時間半の遅れで、7時40分出発が9時15分発に変更になっていました。そして、JALでは全搭乗客に対し、1000円のミールクーポンを配っていました。折角なので、この空港で、食事をとる事にしたのです。

ところで、開港当時メディアでも大分騒がれましたが、この空港のコンセプトのひとつに空港としての機能以外に、観光スポットあるいはくつろぎスペースの機能を持つことがあったように記憶しています。特に、スカイタウンは、一時期、開港当時メディアでも取り上げられ、全国的に紹介されました。

そのことを思い出し、食事の前に散歩がてら、スカイタウンの探検をしてみることにしました。チェックインカウンターのある3Fの中央にあるエスカレータを4Fに上ると、スカイタウンの入り口です。

右側が“ちょうちん横丁”、左側に“レンガ通り”というブロックがあります。
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まずは、ちょうちん横丁から入ってみました。早速目にしたのが、ドでかいちょうちん。
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さすが、ちょうちん横丁と言うだけあります。ちょうちん横丁は全体に和風の雰囲気でまとめてあるようで、それぞれの店は瓦屋根に屋根看板、格子戸などが共通デザインとなっているようです。
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また、内側は細い横丁を連想させるような通路で、雰囲気がありました。このなかの店は、ほとんどが飲食店ですが、みやげ物店、郷土の産物の店なども有りました。また、銭湯に似せた、お風呂もあり、今度着たときに一度入ってみようと思わずに入られませんでした。
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また、散髪屋もありました。成田空港にも散髪屋はありますが、こちらの散髪屋は、どちらかと言えば日本的な風情をかもし出しています。価格も、結構安く、カットだけですが2000円、所要時間は20分との事でした。
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一方、こちらはレンガ通り。何か横浜か神戸あたりを歩いている雰囲気ですが、ここは名古屋の近郊、中部空港の中なのです。
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その証拠に、国際線、国内線の出発案内がところどころにあり、時間の確認などが出来ます。
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私のようなスモーカーにも便利なようにおしゃれな喫煙所も設置されています。
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レンガ通りを細い通路を通って内側に入ってみると、ドーム型のアーチがあったり、ちょっとヨーロッパ調の雰囲気です。
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確かに、この空港はテーマパークのような錯覚が起こるくらいに、魅力的な空港でした。
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by wata1150 | 2007-08-14 23:15 | 日本滞在記

駆け足の日本出張

8月9日から12日までの3泊4日の日本出張をしてきました。

気が付いたこと。

1.日本は夏真っ盛り
  恵州はもう秋の気配が感じられ、赤とんぼが飛び交い、朝夕は涼しさが感じられ、そして、夜はエアコンが無くとも十分に睡眠が取れるようになってきました。それに較べて日本の暑さは・・・! 室内はエアコンが効いて、過ごせるのですが、一歩外に出ると、焼けるような暑さ。先月に味わった恵州の暑さに湿度をやや高くしたような不快な暑さです。今回は名古屋の近郊に出かけたので、暑さはひとしおでした。
  仙台にも一泊だけでしたが、行って来ました。仙台もやはり蒸し暑く、エアコンを効かさないと部屋にじっとして入られません。
  昔、子供の頃に聞かされた母親の言葉を思い出しました。「心頭滅却すれば、火もまた涼し」
当時はエアコンなど有りません。もっぱら扇風機でした。でも、扇風機で風を身体に当て続けながら寝ると、良く風邪を引きます。暑いからと言って、すぐ扇風機やエアコンのお世話になるのは考え物ですが、そういう生活に慣れてしまった身体は、なかなか昔のようには戻りません。人間の身体は文化や科学の発達と共に、劣化していると言う気がします。

2.日本は夏休み、そしてお盆休み
  私が勤務する会社は、香港系ですから夏休みはありません。今回の日本行きは、単なる出張です。でも、日本に行く飛行機はサラリーマンと観光客で一杯でした。中国や香港にある日系
企業に勤務する日本人は夏休みをとることができる人が多いのです。単身赴任のお父さんが大勢日本で家族との休暇をとるために飛行機に乗っていました。また、夏休みを利用して香港や中国に遊びや観光で出かけてきた人たちの帰国便にもなっていました。たくさんの買い物した手土産を抱えて、機上の人になっていました。
  我が家でも、子供たちは全員夏休み。長男は私と入れ違いに帰省するそうです。次男は連日アルバイトにいそしんでいます。娘は・・・適当にバイトしたり、友達と出かけたり、堕睡をむさぼったりしているようです。
  今年のお盆は、私の弟の初盆でもありますが、私は行くことが出来ません。妻と、子供たちに代理を託しました。

出張から帰ってきて、恵州に戻ってみると、空気は涼しく、新鮮な気がしました。午後から雨が降り、空気中のごみや埃は流され、気温は下がり、なんとも気持ちの良い恵州です。早速今日から、オフィスでの業務の再開です。
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by wata1150 | 2007-08-12 23:02 | 日記

日本人社員募集中

老板と相談し、工場改革スタッフとして、日本の大手企業に長く勤務した経験を有するベテラン社員を募集することになりました。

私をこの会社に紹介してくれた、深圳の人材紹介会社に依頼しました。この会社は香港と日本の合弁会社で、日本人の紹介、日本語のできる現地社員など、いろいろな人材を紹介してくれます。依頼するに当たっての、我が社の条件は簡単なものでした。男性、50歳~65歳、工場または品質の長期経験者、日本の大手企業に長期勤務経験のある人、人格重視。そして雇用条件として、勤務体制と給料見通し。

依頼を出したとたん、2日間で4件の応募がありました。これにはちょっと驚きました。日本人の中国での勤務希望者が結構多いこと、特に大企業の卒業生が、早期退職制度を利用して退職し中国での勤務を望んでいることでした。

なぜそんなに中国にて働きたいのか。4名の方に直接または電話にて面談をした結果から考えてみました。出てきた答えは・・・
1. 日本での再就職より中国の方が給料が高い
2. 日本ではなかなか再就職先が見つからない、
3. 以前の勤務先で中国勤務を経験した
4. 以前の会社で自分の能力を出し切っておらず、中国でその能力を最大限に生かせる会社を見つけたい
などです。

「日本より給料が高い?」そうなのでしょうか。現在は中国企業といえども、または在中国日系企業といえども、利益確保はなかなか難しくなってきています。工場労働者の賃金の高騰、人民元の対米ドルや対日本円の上昇、中国の外資系企業に対する優遇政策の段階的見直しによる経営圧迫、輸入材料特にプラスティック材料、特殊金属や合金などの原材料の高騰。そして、中国製品についての信頼性不安、コピー製品などによるイメージダウンなどです。そういった中で、日本人を雇用する側も、従来より安い給料で募集するようになって来ています。

「日本ではなかなか再雇用先が見つからない」のでしょうか?確かに、雇用環境は一時期厳しくてなかなか就職できない状況が続いていましたが、最近のリクルートなどの説明によれば、各企業とも好景気を反映して採用を増やしており、逆に、特に中小企業などでは採用難の状況になってきているとの事。事実、我々の会社でも、日本連絡員事務所は開設したものの専門スタッフの採用がまだ出来ていない状況です。

「以前の勤務先で中国勤務を経験したので。」これは頷けないことも有りません。中国文化に触れ、その魅力を感じた人は少なからず居ると思います。また、多少なりとも中国語と言う外国語を覚え、それをもっと伸ばしたいと言う人も居るはずです。でも、良く考えてみれば、日本にいたところで、中国に旅行することは難しくなく、また、長年経験した技術や企業文化をそのまま中国に導入するには困難を伴うこともまた事実で、中国人を相手に仕事をした経験のある人ならば、理解できると思うのですが。

そして、「自分の能力を出し切っていなかったので、新天地でそれを出し切りたいと言う人。」このタイプの人は結構多いのではないかと思う。単身赴任の不便さを覚悟し、文化や価値観の異なる人の中で、しかし今までに培った能力を発揮してみたい人は以外に多いと思われます。

何故、そういう人が多いのでしょうか?日本企業では、年功序列の制度が存在し、上がつかえるとなかなか昇進できない。本来は別の仕事がしたいのに、なかなか思うような社内転職が出来ない。会社の中での制約が多すぎて、思い通りに仕事が進められない、自分が”この人になら、全力でつかえてみたい”と思えるような上司にめぐり合えなかった、など、いろいろな原因が存在するような気がしています。

今回4名の採用面接をやってみて、一人だけ、採用してもよさそうな人を見出しました。無論、本人が”OK”しなければ採用にはなりませんが。人材紹介会社には、さらに多くの人の紹介をしてくれるよう依頼しました。工場の管理だけでなく、品質管理、技術開発、購買、そして営業など人材がほしい部門は多々あるのですから。

老板は最近「企業は人なり」を良く言うようになった気がします。まさにその通りであると思います。人、金、物の3要素が揃って、初めて強い体質の会社を作ることが出来ると思うのです。我が社は”人”を入れるのが、長期スパンで経営を見たとき、最大の課題と思うのです。優れた人材を如何に保有し、有効活用するかが企業の将来を左右することを、強く感じています。
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by wata1150 | 2007-08-08 22:10 | ちょっと仕事

肇慶 Y社のTさん

先日肇慶に行った話は紹介した。そのときに、夜ホテルで食事をしていたときに出会ったのが、Y社取締役工場長のTさん。本当に久しぶりの再会であった。

Y社は私がM社に勤務していたときに、M社に対して生産OEMを行っていたのがA社。そしてY社はA社に部品を供給するために日本から肇慶に工場を展開した。そのときのY社中国工場の責任者であったのがTさんだった。私がA社に行くたびに顔を合わせ、何度か食事もしたものだった。

前回肇慶にてTさんに出会ったとき、Tさんは私に工場を見に来るよう強く勧めてくれた。が、そのときは時間がほとんど無く、会社紹介のパンフレットを戴いたに過ぎなかったのだったが。Y社は精密プレス部品メーカーであり、私の現在勤務する会社の製品の中にも類似品を多用している。これは“縁”かも知れないと感じていた。

その後会社に戻ってから、Y社製品を、またY社肇慶工場をオーナーと総経理に紹介した。ためしに数点の部品について見積もり依頼を出してもらうことにしたのである。そしてその結果は、すべての部品で我が社が現在購入している単価より安かったのである。 

Tさんに我が社に来てもらい、改めて会社紹介をしてもらい、オーナーや幹部社員に会って貰った。我が社でも、一部のプレス部品は内製をしており、プレス機械も何十台も保有している。管理のしかた、金型についてなど、日本の最新鋭の情報が話題になった。そして、今度は我が社がY社を訪問し、工場を見せていただくことになったのである。

ところで、このTさん、国籍は日本人である。が両親は中国人であり、日本に留学し、同じく中国出身の女性と結婚し、二人とも日本に帰化してしまった人である。現在は奥さんもTさんについて肇慶に住み、子供は(無論日本人)広州の日本人学校に通っている。日本の会社に長く勤務した経歴を持つためか、日本の文化、特に企業文化に精通している。こういう人、会社とビジネス上の付き合いをさせてもらえば、我が社の中でその影響を受けてくれる人も、何人か出てきてくれることを期待したいと思っている。

肇慶は恵州と較べてよく似ている都市である。恵州には恵州西湖という湖があり、肇慶には七星湖という湖がある。同じ観光都市であるにもかかわらず、市街の景観は恵州に較べて整備が行き届いているように見えるし、また治安も悪くないように見える。市民の生活も何故なのかはわからないが、何かしらゆったりしているような感じがする。しかし工業開発という点では恵州の方が、開発が進んでいるとおもう。

肇慶の日本人の人口は少ない。おそらく数十人以下であろう。従って日本人向けのサービス産業や娯楽施設はほとんど無いに等しいという。工業開発が進んでいないためなのか。近在の佛山市辺りでは、もうすでにかなりの工業開発が進み、結構日本人の数も増えてきていると言う。なぜか、ここ肇慶だけは、あまり工業開発をせず、この静かな環境を残しておいてほしいと思った。

余談だが、Y社はM社の協力工場であるA社の一角を借りて運営しており、私は時間を見て再度A社にJ女史を訪ねた。一ヶ月前よりさらに健康的な感じで、やせぎすな彼女だが、やや太ってきている感じがした。仕事が順調で、精神的負担が少なくなってきたためか?また、たまたまA社の老板T社長にお会いすることが出来た。彼とはかれこれ20年近くの付き合いだが、ここ数年は会っていない為、久しぶりであった。タバコをやめ、身体は元気そうだが、髪が大分白くなり、大分年齢を意識させるようになってきていた。もっとも彼は私より大分若いはずだったが。今までの苦労が出始めてきているのか。

同じく恵州に住む元A社社員のIさん、今は日本の会社に勤務するKさんの話も出て、機会があればまた肇慶か恵州で一緒に食事でも・・・と言う話になった。こんな話が出てくるようでは私もやはり若くは無いか・・・と、帰りの車で思いながら恵州に帰ってきた。
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by wata1150 | 2007-08-05 20:13 | ちょっと仕事