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中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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この会社に入ってから、3ヶ月が過ぎ、試用期間が終わった。無事正社員に登用してもらえることになった。ま、現実には2ヶ月を過ぎたころから、老板や総経理は正社員扱いをしてくれ、いろいろと経営のアドバイスを要求されていたのではあるが。

試用期間が過ぎ、雇用契約書にある就労許可証の取得と居留証の取得を勧めることになった。居留証を得るには、就労許可が必要で、そのためには中国の会社に勤務し、給料をもらうこと、そして定められた税金を支払うことが必要である。

そこで、私の給料を一部は従来とおり香港から、一部は中国からもらうことになった。中国では一万元、そして税金は660元。従って実質9340元を中国でもらう。残りの分は従来とおり香港でもらうのである。今のところ、香港での給料にどのくらいの税金がかかるのかはわからない。香港での給料を10%ほど上げてくれるというので、実質手取りはあまり変わらないかもしれない。

これで税金は払えるようになった。次は健康証明。最初に、会社の人事を担当する部門の人が恵州市の疾病予防控制中心で健康証明を受けてきるように指示してきた。そこで、血液検査や、X線検査などを受診し、健康証なるものを一週間で入手した。
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で、中国での雇用契約書を新たに作成し、健康証を持って、パスポートとともに中国労働和社会保障部なるところに提出し、就労許可証を申請したら、健康証が駄目だという。健康証は中国出入国検験検疫局にて証明を受けなおすようにとの事である。

再度、秘書を引き連れて検疫局に行き検査を受けた。検査費用311元。高い。以前の市の疾病予防控制中心では36元だったので、大分違う。ここの掲示板には試験項目が明示されており、エイズ、精神病の人は許可されないようになっているようである。やはり、一週間後に結果が出た。今度はすごく立派な健康証である。
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翌日、再度中国労働和社会保障部に申請した。その翌日には就労許可証が交付された。
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これは早かった。この後、パスポート、VISA管理センターにて居留許可証を申請するのだが、これは日本出張後になる見通しである。
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by wata1150 | 2007-03-30 01:47 | 恵州の事
「世の中に、蚊ほどうるさきものは無し、ブンブと言って夜も眠れず」

これは、江戸時代の狂歌のひとつであろうか。本来の作者は
「世の中にかほどうるさきものは無し、文武と言って夜も眠れず」と歌いたかったのだが。

私の住んでいる恵州市の恵台工業園区は恵州市の市街地から7~8km北方にいったところにある。恵州市によって工業団地として造成された一角である。恵州市にはほかにも工業団地はあるらしいが、まだ行って見た事はない。

20年以上も前に造成されたのだが、まだスペースが十分に埋まっているわけではなく、あちらこちらに空き地が存在している。また、大型トラックや、コンテナーを積んだ車が多く行き交う為、道路の痛みは激しく、あちらこちらに窪みや水溜りができている。工場敷地内には、緑が多く配置され、噴水や池などを設置している企業も多々ある。

こうした環境下、夏場になってくると、どうしても蚊の発生を見ることになる。会社のオフィスであれ、私が住んでいる寮であれ、至る所に蚊の大群を見ることができる。

昼間はまだ良い。手で追い払っても何とかしのげる。が、夜に部屋に戻ってからが一騒動。部屋のすべての蚊を退治することから始まる。

部屋には蚊の対策として2つの設備がある。ひとつは「蚊帳」ベッドに白いレースの蚊帳が張られている。夜、寝るときにかに刺されないようにする配慮である。もうひとつは小型のテニスラケットの形をした、電気蚊取り器。スイッチをオンにしてラケットのネット部分に蚊が接触すると、バチっと音がして、蚊が感電死する仕組み。時には電圧が高いためか、青白い火花を発して燃え上がることもある。

さて、部屋の蚊退治は、まず、ラケットを持って、蚊を発見することから始まる。大概十数匹はいるので、ラケットを振って蚊を飛び出させる。シャワー室や洗面台、事務机の下やベッドの下、カーテンの隙間や裏側などがターゲット。これで4~5分間、蚊と格闘。一通り退治したところで慎重に蚊帳の中に入って、蚊帳の中の蚊の発見と退治。蚊帳はいつも塞がっているので蚊は入らないはずなのだが、どうも毎回数匹は入っている。蚊帳を揺さぶり、蚊を飛び出させたり、白いレースの上に止まっている蚊を発見して退治したりする。

この、蚊帳の中の蚊退治を怠るとえらい目にあう。酒を飲んで帰ったりして、蚊退治をせずに眠ってしまうと、一時間か2時間後に必ず目が覚める。手足か首筋のどこかがかゆくなったり、そうでなくとも、ブーンという蚊が飛んでいる音で目を覚ましてしまうのである。

そうなったら、翌朝の睡眠不足を覚悟しなくてはならない。どうも蚊帳の隙間からも蚊は入ってくるらしく、部屋の蚊を全部退治し、蚊帳の中を退治してから再度眠りにつかなければならないのだが、一度寝てしまっているので、しっかりと目が覚めてしまい、逆に神経が研ぎ澄まされてしまって、どうにも眠れない状態になってしまうのである。よし、寝よう、と決め目をつぶるが、まもなく“ブーン”どこからとも無く聞こえてくる。実際は、蚊はいないのかもしれないし、実際の蚊の羽音かもしれない。結局朝まで、目と耳を研ぎ澄ませた状態でいることになるのである。

まさに「蚊ほどうるさきものは無し、ブンブと言って夜も眠れず」である。
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by wata1150 | 2007-03-27 01:44 | 恵州の事

300回目の投稿

今回で300回目の投稿を迎えた。

2005年7月にこのブログを立ち上げた。現在宮崎県にお住まいのHN”MOKO”さんのお勧めにより、エキサイト上で始めた。ちょうど、上海での単身赴任をするにあたって、中国や上海の様子、私の上海での生活を紹介したり、家族に連絡するためにはじめたものであった。従ってタイトルも「TADAの上海日記」というものだった。

半年後の2005年12月18日、100回目の投稿を迎えた。さらに2006年6月21日が200回目の投稿となった。

その直後、上海での生活が終わり、日本に帰って、仕事を探す日が続いた。今振り返っても、精神的には苦しい日だった。しかし、その間、多くのブログ仲間に支えられた。特に、tubomimさん、樋口さんなどには一方ならぬお世話になった。ブログ友達という、ある意味、無責任でもかまわない立場でありながら、本当に親身になって心配してくださり、いろいろな情報をいただいた。

ブログを続けるにあたっても、書くこと自体が辛かったりした事もあったりしたが、何とか多くのブログ友達に支えられ、続けることができた。そのころには、「TADAの日本滞在記」として書き続けた。

そして2006月12月、広東省恵州市にやっと再就職先を見つけ、現在に至っている。ブログタイトルを「TADAの中国滞在記」と変更し、恵州や広東省のこと、私の生活や日々の出来事などを書き綴っている。香港系の会社に就職したので、日系会社とはまた違った企業文化なども追々紹介してゆこうかと考えている。

今回、300回目の投稿を迎えた。この100回は本当に苦しかったが、何とか乗り越えた気がする。そして、さらに訪問していただいた延べ人数が今週前半に10000人を超えた。当初、ブログを始めたころには一週間で数人だった訪問者が一年半で、これだけの人数になった。たかが私のつたない文章で・・・と思うと、来ていただいた方々にはお礼の申し上げようも無い。まさに「継続は力なり」を実感している。

今後も、たとえ仕事が忙しくとも、体調が悪くとも、ブログ友達と支えあいながら、できる限り続けて行きたいと思う。

風邪気味だった体調も戻りつつあるし、明日は深圳泊で、あさってから日本、台湾出張が控えている。また、日本出張記、台湾出張記として紹介してゆきたいと思っている。
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by wata1150 | 2007-03-24 23:18 | 挨拶

風邪かな?

昨日朝から、なんとなくだるくて、それでも、オフィスには定時出社。元気よく「おはようございます」と皆にいつもの挨拶をしたまでは良かったのだが。いすに座ったとたん、頭はぐらぐら、体はふらふら。けだるさも半端ではない。

E-Mailをチェックし、秘書のTLさんに、本日のスケジュールを確認したところで、いすのリクライニングを最大にし、頭を乗せて目を閉じ、しばし休憩。しかし、おなかがグルグル言い出した。トイレに行けば、スーパー下痢。これはやばいとばかり、部屋に戻って体温を測ると36度8分。風邪かな?と思いつつ、風邪薬、解熱剤、ビタミン剤を飲んで、秘書に午前中、休むからとメッセージしてベッドにダウン。なんとそのまま夕方4時まで寝てしまった。

オフィスに戻ってコンピュータを片付けると、再度部屋に戻って薬を飲んでダウン。

私が下痢をすることなど、以前はいつだったかわからないほど昔のことであり、めったに無いことだった。風邪は一年に2~3回は引くけど。だからおなかの薬は持っていなかった。

深夜、老板から電話が入った。日本料理の店から弁当を運んでくれるという。恐縮しながらありがたく受けることに。ところが、弁当、なんと老板自身が運んできた。そこのレストランで客と食事をしていたので、ついでにとの事だったが。老板に弁当の出前をやらせてしまった。一昨日は深夜までサウナで裸の付き合いをして、全部彼が費用を出してくれたにもかかわらず。ま、うちの老板はそういうのはあまり気にしない性格らしいが。

今朝起き上がるとだるさは残っているものの、格段に改善されている。朝飯はパンにして、出社した。朝から、会議、相談ごとなどたくさん舞い込んで来る。が、おなかの調子は改善せず、一時間毎にトイレ。おなかが空っぽになると、さすがに元気がなくなってくる。昼前に老板と、会社の文化革命について議論。夢中でやっていたら、昼食時間も忘れて気がついたら1時。老板が何かスープがあるということで、寮の食堂で、イタリア風トマトスープを作り、トーストをかじりながら、またしても議論。

どうも私とこの老板とは波長が合うみたいで、彼はこれも「縁」といっていた。

午後から、依然として下痢ピーは続いているものの、今週中に済ましておかなければいけない会議やら、打ち合わせをこなしながら、来週からの日本出張の準備。アポの最終確認、エアーチケットの確認など。

7時にやっと一段落、後は明日、ということでトイレに走りこみ、それから部屋に戻った。いつまでおなかの調子の悪い状況が続くのか。風邪薬で本当に正しいのか。多少心配ではあるが、明日になってみれば見通しは出てくるかも。

今日は早く寝ます。
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by wata1150 | 2007-03-23 21:27 | 恵州の事

週に一度の幹部職夕食会

わが社では、大抵水曜日の夜に幹部職の夕食会がある。
私は一応、経理なので何か別の用件が無い限り出席するようにしている。少しでも人間関係を作りたいということが目的である。

大抵、海鮮料理、客家料理、時々は広東料理や湖南料理などが多い。恵州市内の比較的名の知れた大きなレストランで行われる。昨夜も十人ほどが集まっての夕食会だった。

そもそもの幹部職夕食会の目的は、幹部社員相互の親睦と、情報交流などが目的であったらしい。幹部職の面々を見てみると、香港人、台湾人、広東省人、湖南省人などさまざまな地域から集まっており、考え方、価値観もさまざまである。そこで総経理と社長が考えて、この会を始めたらしい。最近は幹部社員の慰安会的要素が強いようだが。

私は入社してわずか4ヶ月の新米であるし、言葉もほとんど通じない。窮屈なだけなので出席はできるだけ控えてきた。が、昨夜は社長から、SPA-マッサージに誘われたため、宴会に出席することにした。社長は別のお客さんと食事後、宴会が開けたころに、私をピックアップしてくれるという。

昨夜は営業の経理職は私だけで、あとは工場の経理職、それに総経理、副総経理という面々であった。工場の人たちはみなお酒が強く、できれば乾杯は避けようと思っていたのだが、私の両側には総経理と副総経理が座ってしまった。どうも、わたしが最年長で、日本人ということもあり、いわゆる長老席に座らされてしまったのである。そういえば最近社長が出席すると社長と総経理の隣に座らされる。

で、白酒ではなかったが、ビールでの乾杯になってしまった。このビール、おなかがいっぱいになって量を飲むのは結構つらいのである。で、結局よれよれになるまで飲まされてしまった。そのとき、社長から、電話。これはラッキーとばかりに宴会から脱走、恵州市内のローカルのSPAに行ったのである。

普段はこの宴会、脱走できない場合が多く、宴会終了後は市内のホテルにあるカラオケクラブに流れ込むのである。

みんな、おなじみの小姐がいて、事前に連絡していたと見えて、めいめいの人の脇に座っている。が、私はそんな小姐は居ないし、中国語がまともにできないのであるから、話もできない。そういう人には数分後に10人かそこらの女性がずらーと部屋に入ってきて、そこから、好きな女性を選ぶのである。が、私ははっきり言って、女性を”お持ち帰り”するわけでもないし、会社の寮に住んでいればその気はあっても、それは不可能である。だから、いつも、一番”売れなさそう”な人を選んで、隣に座ってもらう。

で、日本のカラオケ曲を4~5曲選び、歌って、そして、同じく寮にすんでいるある年配の経理と、寮へと脱走するのである。無論、費用はすべて会社持ち、女性へのチップまでもが会社もちなんだそうで、われわれは、脱走した場合のタクシー代のみ。最後までがんばれば、総経理か社長が寮まで送ってくれるという按配である。

ま、こういう宴会が好きな人にとっては、楽しみだろうし、ちょうど良い息抜きにもなるのであろうが、日本語の通じない女性しか居ないこういうところは、ちょっと苦手。上海に居たころ、時々行ったクラブで日本語を話していたのが、懐かしくなる。
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by wata1150 | 2007-03-22 22:22 | ちょっと仕事

忙しい

最近、とみに忙しい。

先週は月曜日に健康診断をして、その後会議の連続。火曜から水曜日にかけて珠海、広州出張。木曜日から土曜日午前中まで上海、蘇州、無錫出張。土曜日早朝の飛行機で深圳経由で会社に戻れば、定例の営業会議、ユーザクレームの対策会議と続いた。

日曜日に恵州から深圳、香港を日帰りし、帰宅したのは夕方7時。定例の2週間に一度の中国からの出国日。そして、今週が早くも始まった。朝、秘書業務をやってくれているTLさんと日程打ち合わせ。時間刻みのスケジュールとなると、さすがに一人で管理するのは難しくなってくる。

なんと、午後から、別のユーザーの工場監査の対策事前準備のための工場査察。さらに明日からは来客があって夕食にお付き合いもしなければいけなくなりそう。夕食だけですむように!!!木曜日には技術、品質管理部門のプロジェクト会議、ビザ申請準備、金曜から土曜にかけては営業会議や、ユーザクレーム対策会議などが目白押し。どうなってんだ?一体!とぼやきたくもなる。

さらに日曜日からは、日本、台湾出張と続き恵州に戻るのは31日夜になる。体力気力がどこまで持つのか。久しぶりに、多忙であることを楽しんでいる感はあるのだが、何せ年齢が違う。体調管理には気をつけながら、当面の多忙な時期を乗り切りたい。
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by wata1150 | 2007-03-20 00:03 | ちょっと仕事

珠海

一泊二日で恵州→深圳→東莞→広州→珠海→広州→恵州と回ってきた。会社のワゴン車での移動なのでバスや電車は使わなかったが、2日で700kmを走破し、結構疲れた出張だったが、今回は私にとっては初めての珠海だったので、興味津々だった。

時間が制約されていたので、道すがら眺めただけだったが、以前アモイに行ったときに受けた印象と近いものがあり、なかなか楽しいドライブになった。

珠海は深圳の南側に位置し、珠江の対岸になる。東側は東シナ海で、マカオに陸続きで隣接している。ここには深圳から香港に渡るゲートとして羅湖などがあるように、拱北というゲートがある。多くの中国人や外国人がこのゲートを通ってマカオとの間を行き来している。
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また、珠海は中国にいくつかある経済特別区のひとつであり、陸路珠海に入るには検問所があり、そこを通過しなければいけない。

往路は夜だったので、海岸線は真っ暗で見えず、観光ホテルがネオンを放ちながら並び連なってそびえており、まさに不夜城を思わせる雰囲気であった。

翌日の帰路に多少時間があったので、珠海漁女と呼ばれる所によって見た。
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海のすぐそばにある小島にその像は建てられており、夜にはライトが当てられ、道路を走っているとすぐにでも目に付く。この珠海漁女像は観光スポットのひとつらしく、多くの観光客が観光バスを連ねて見に来ていた。やや生くさい海風のにおいをかぎながらの見物であった。

海の色は、というと、実に黄色っぽく汚れた水で、沖合いに出ないと、海の青い色にはならないのだとか。この海岸に、天然の砂浜があり、海水浴場になっている場所を発見した。海水浴場というからには、海水はここではきれいなのだろうか?が、走っている車の中であったため、写真をとり損ねてしまった。今度行く機会があれば、中国では珍しい「海水浴場」を記録に残しておきたいと思う。

道路は、海岸に沿って整備されており、とても走りやすそうに見える。また、海岸沿いの道端は広いグリーンベルトになっており、落ち着いた雰囲気と清潔感が感じられる。
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また、街中の道路は、これもまたきれいに整備されており、両側に並び立つ街路樹がとても印象的である。
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また、この道路の突き当たりの建物が、日本のある会社が集団で買春行為をしたとして、責任者が検挙されたということで有名になったホテルである。

街角は、さすが南国だけあって、暖かく、つつじが咲き誇っており、行きかう人たちの目を楽しませていた。
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今回は駆け足旅行だったので、ゆっくりと珠海の雰囲気を味わうことはかなわなかったが、次回はぜひ時間をとって、ゆっくりとみて回りたいと思った。
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by wata1150 | 2007-03-18 23:26 | 中国国内旅行・出張

黒龍江省式マージャン

昨日の日曜日、久しぶりの完全オフ。昼過ぎにC君から電話があった。S社への資料の翻訳を内容点検して欲しいと言う。一昨日は、夜中までZ君の仕事の憂さ晴らしに付き合って、数人で白酒を飲んで、頭が痛かったが、特にすることもなかったので、引き受けることにした。

一時間ほど、コンピュータとにらめっこして、一応完成すると、C君から自宅の夕食に招待したいとの申し出があった。頭が多少痛かったが、ほかにすることもなく、寝ているよりはいいかと、軽い気持ちで受けることにした。

彼の同棲中のガールフレンドとそのお兄さんが、腕を振るって、朝鮮料理的な味付けの料理を振舞ってくれた。その後、マージャンをしようということになった。シンガポールや台湾でも何度かやったことがあり、ルールは大差ないとたかをくくってやってみることにした。

ところがなんと何と、ものすごい変則マージャン。それで、投稿で紹介しようと思ったのである。

まず、使用するパイ。一万から九万までの万子、一索から九索までの索子、一筒から九筒までの筒子が各4枚ずつ。そして紅中が4枚。それだけなのである。花牌はおろか、東南西北の風牌、緑発、白板の三元牌は使用しないのである。最初始めたときには気がつかず、すべてあるものと信じてた。

手持ちは13枚で、最後の一枚で3個ずつの組み合わせが4組と、雀頭が揃えば和了と言う。これはどこでもほとんど同じ。だが、平和、タンヤオであがろうとしたら、なに?あがれない?え?何で??? 聞いてみると最低符が無いとあがれない。平和は符なしだからだめ。フムフム。と言うことは紅中を雀頭にするか、同数のものを3枚もたないとあがれない。OK,わかった。

で、次は面前でタンヤオでアンコウを一個持ってあがってみた。するとこれもだめ!えー!何で?符あるでしょう?すると、一または九が最低一枚含まれていないとあがれない。ナヌー!そんな馬鹿な!それじゃ、どうやってあがるのよ。日本のマージャンの高い手はすべて関係なし。混一色、清一色などはまったく無い。無論七対子なんて無い。チャンタも平和であれば意味が無い。三色同順、イーペイコウもなし。つまり、きれいに手を作るなんていうことは、まったくなし。あるのは、ひたすらあがりに向かってポン、チーを繰り返すのみ。おまけに捨て牌は日本のように並べておくのではなく、ただ真ん中に捨てるだけ。振りテンであろうがなんであろうがお構いなし。

こんなマージャン見たことも聞いた事も無い。が、現実にそんなルールが存在しているのだから仕方がない。どうしても、日本式マージャンのような捨て牌をしてしまうので、上がれる形にならないのである。日本式に言うとどうにも手にならないような配牌のほうがあがりやすいのだと思うが、何せ、字牌が紅中しかないのだから、バラバラな手には返ってなりにくく、きれいな手になりそうな配牌になりやすい。結果的には何とか20元の出費で済んだが、ラッキーだったのかもしれない。

いやはや、ところ変われば品変わる・・・である。今度はいつか彼らに日本式マージャンを教えてギャフンと言わせてやろうと思う。
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by wata1150 | 2007-03-12 23:35 | 恵州の事

恵州のタクシー事情

恵州における市民の足として活躍しているのは、バス、タクシー、バイクタクシーなどである。
以前、1元バス、1.5元バスは紹介した。今回タクシーについて紹介しようと思う。

月収わずか1000元や2000元の一般市民や工場労働者に関しては、タクシーは特別なときを除いては高くて使えない。そういった市民は通常はバスを使うのである。バスは距離によっても違うが、現在私が住んでいる地域から、恵州市内までは2元、恵州市内移動もほぼ1.5元から2元で済む。最近はバスの内部も大分きれいになってきて、いやな匂いもないが、時々煙を吐き、大きなエンジン音を響かせて走っているバスも見かける。主に郊外を結んでいる路線などがそういうバスであると思われる。バスのシートはプラスティック製で、タイヤの振動がまともに伝わってくるので、決して乗り心地が良いとは言えないが、しかし10分や15分なら十分に辛抱できる。むしろ、夜に乗って乗り心地が良いために眠り込んでしまって乗り過ごすよりは良いのかもしれない。

だが、時々しか出かけない私にとっては、タクシーは便利である。
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しかし、このタクシー、なかなかの曲者である。日本のタクシーや、上海のタクシーを思い浮かべてはいけない。まず、第一、きれいで乗り心地のいいタクシーなぞ、この恵州ではお目にかかったことがない。日本の中古車センターに行っても、こんなポンコツは絶対に見つからないようなポンコツがタクシーとして立派に走っているのである。10万キロ、20万キロくらいは平気で走っているようで、スプリングの油が効かず、ギシギシ言いながら走っているものも有る。スピードメータが動かずスピードがわからずに走っているものもあるし、ドアやフェンダーなどがボコボコにへこんでいるまま走っているのもある。さらに傷の部分にさびが入り、鉄板がボロボロになったままの物もある。こんな車で車検が通るのだろうか???

さらに運転席や助手席の窓は通常は全開で走っている。冬の寒い中でもヒータをつけて暖をとりながら走るなどということはまずありえない。しっかり着込んで寒さ対策をして乗らなければいけないのである。夏の暑いときでも、エアコンをつけてくれるタクシーはまれだという。ほとんどは同じく窓を全開にして外の風を取り込んで走る。燃費の節約かもしれないが、なんともやりきれない。窓を全開にして走るのはほかにも理由がある。運転手も何か食べ物を持ち込んで空車の時にはそれを食べながら走るので、社内に食べ物の匂いが残るのを防ぐ意味合いもあるようだ。

”タクシーは快適なもの”という概念はまったく持つことができないのだ。

ところが、料金だけはさすがに安い。初乗り料金はなんと5元とメーター表示される。どうもこれは古いメーターのようで、実際はプラス1元らしいが。隣の深圳では初乗りが11元か12元だったと思うし、上海も11元だったような気がする。それから比べると半額。深圳や上海のタクシーはほぼ日本並みにきれいになってきたようなので、恵州のタクシーはおんぼろなだけ安いのか?

最近では、深圳や上海では新車のタクシーが続々投入されている。主な車種はVWの中型車が多い。それに比べ恵州は古いシトローエンやプジョーなどの、いわゆる小型車が多い。不思議なことに、中国国産ブランドのタクシーにはお目にかからない。これらの輸入ブランドの車をせっせと修理を繰り返して、走らせているようだ。深圳で数年間タクシーとして活躍した後の中古車を恵州に持ってきて走らせているのかもしれないとも思う。何せ、恵州で新車のタクシーは皆無だと思う。

タイヤも左右前後がばらばら、磨り減ってさすがに使えなくなったものから一本ずつ交換していった結果のようだ。ホイールも、ムチャクチャ。アルミホイール、鉄ホイールなどバラバラについていてお構い無しのように見える。シートカバーなどついているタクシーも見たことはない。上海では見かけるのだが。

そして、最大の難点は、タクシーの運転手がなかなかメータ通りでは走ってくれないということ。乗る前に運転手に目的地を伝えて、値段を確認する。ほぼメータ通り程度の料金では、乗せてくれない。何割かの上乗せを要求してくる。要求を呑まないと、乗せてもらえないことも多い。客待ちのタクシーが多ければよいが、めったにそんな状況にはならない。仕方がなく高い値段で乗り、領収書(発票)を貰っておりるのが関の山。

何故、そんなにタクシー運転手は強気になれるのか。理由は2つ有ると思う。ひとつは完全な売り手市場であること。タクシーの絶対数が少ないのである。年々、市民の所得レベルは向上し、タクシーの需要は増えている。にもかかわらず、タクシーの数が増えないために、多くの人が一台のタクシーを奪い合うことも多々ある。

もうひとつはタクシー会社の経営の仕組みにある。それは、会社でタクシーを一台調達したら、運転手にローンで販売する。運転手はこの車でタクシー営業を行う。得た利益から毎月ローン返済を行う。故障修理、車検点検、燃料代、オイル交換などすべての経費は運転手が負担しなければならない。運転手から見れば、少しでも多く売り上げを上げなければいけないが、燃料代などをかけたくないから、必然的に客と交渉し、メータより高く料金を取りたいのは理解できる。また、タクシー車のローン返済が完了しても、新規にローン負担することになれば、収入が減るため、同じ車でポンコツになっても走り続ける。事故が起こっても、廃車にはせず、概観を気にせずに修理して乗り続けなければならない。当然ながらサービスは悪くなってしまう。これは聞いた話で、本当かどうかはわからないが、本当のことのような気がする。

こんなタクシー事情では、できれば乗りたくない気持ちも有るが、電車がなくバスも今一となれば、タクシーになってしまう。いつかは恵州も上海や深圳のようなタクシーが走る日が来るだろうとは思うが、何時のことやら。
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by wata1150 | 2007-03-09 19:40 | 恵州の事

我が社が大ピンチ?

春節も終わり、いつもの日々が戻ってきました。

私の所属する業務部でも、湖南省に帰省していたT少姐が木曜日から職場復帰し、全員が揃いました。そして土曜日、業務部の販売会議で、皆の現在の課題を整理していると、一人のセールスが、工場の作業者がいないため、せっかく受け取った注文書の製品の生産ができず、注文がキャンセルになった、というのです。

何?工場の作業者がいない??

そうなのです。春節で、四川省、湖南省、湖北州、安徽省、江西省など故郷に帰った作業者たちの何割かは、春節が終わっても工場に戻ってこないのです。理由はいろいろ有るのでしょう。家族と離れるのはイヤ!恵州まで戻るお金がない、学校に行く、仕事がイヤ、等等。また、恵州までは戻っても、少しでも給料のいい他社に就職してしまい、我が社には戻ってこない人もいると聞きました。今回我が社では春節前に比べ工場作業者に限っていえば半数の人が戻ってきませんでした。これでは、さすがに生産活動は継続できません。

人事を担当する部門では、作業者集めに必死だそうです。今日、日曜日で、歩いて15分ほどのところにあるスーパーに買出しに出かけました。すると、途中の道すがら、日系大手のS社、中国電気大手のT社その他数多くの会社が出店を開き、作業者募集のチラシを配っていました。我が社でも、スーパーのまん前に、人事担当課の若手女性が二人、テントを作り、道行く若い女性にチラシを配っていました。すぐ近くには、会社の従業員送迎用バスが、会社のロゴや従業員募集の内容を貼り付けて鎮座していました。その周りには人垣ができ、チラシを一生懸命読んでいたのです。

どこかの会社が配っていたチラシを覗いて見ると、賃金レベルは週8時間5日労働、昼食つきで1100元から1500元程度が相場のようです。これに、残業代などを追加すると最低でも1500元程度になってしまいます。なぜなら、週6日労働が当たり前で、土曜日は残業としてカウントされるからです。これを見てまたびっくり。数年前私が在籍していたM社の中国の外注工場では600元程度だったと記憶していたからです。

こうやって年々平均給料は上がってゆくということを肌で感じたしだいです。

中国は、よく世界の工場といわれます。それは、このような若い人たちを低賃金で雇って仕事をしてもらい、そして、安く世界に製品を供給しているから、ということが納得できます。それでも最近はより工賃の低い、タイやベトナムなどに生産工場をシフトする企業が多くなってきているといいます。反面、中国系は無論のこと、香港系、台湾系、日系や欧米系などの多くの企業が、依然として中国各地に工場展開しています。広東省では深圳と広州の間にある東莞や、中山、佛山、珠海などでは工場が集中しすぎて人材が集まらない、そのため工場を恵州など、その周辺都市などに展開するようになってきているといいます。同じことは上海周辺の昆山、蘇州、無錫、杭州、寧波などについても言えることです。それらの都市では、大規模な工業団地の造成、税金の優遇などの処置を講じて企業誘致を行っています。そして、当地恵州でも工業団地が次々に造成され、多くの企業が工場展開をし、そして、労働力の奪い合いが始まっているのです。

中国製造業の基本は安い、そして豊富な労働資源です。生産は、こんなことまで・・・!と思える内容の作業でも、完全な人海戦術が基本です。しかし、余りに工場が一箇所に集中すると、人口13億といわれる中国にあっても、人手不足という皮肉な現象がおきてしまうのです。

我が社では何時、作業者の数が揃うのでしょうか?何時から問題のない生産体制が整えられるのでしょうか。我が社では、昨年から人手不足解消、品質の安定化などという名目で自動組み立て機が稼動を始めました。今回の注文キャンセル問題は、工場が何とかやりくりをして生産し、納期に間に合わせることで、結果的に事なきを得ました。

今後ともこういった問題は、何度も再発するでしょう。そして、かき集めた作業に慣れていない人たちが作った製品が世界に出荷され、相も変わらず、”中国製品は、安かろう、悪かろう”といわれ続けることになるのかもしれません。我が社ではすでにそれから脱出すべく、経営トップ自らが、会社の体質改善、品質改善や技術力の向上を目指して動き出しています。しかし、それは短期間でできることではなく、またそこには労働者、経営者という関係における文化的な壁もあります。そして、なによりも、そういった経営者がまだまだほんの一握り以下に過ぎないということです。

私を含め、多くの中国で働いている多くの日本人の役割は、そういった環境下、企業文化の壁を壊し、中国文化と日本文化の融合された、新しい企業感に基づいた工場や会社を作り、、”中国製品は、安かろう、悪かろう”といわれないようにしてゆくことなのかもしれません。
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by wata1150 | 2007-03-04 19:55 | ちょっと仕事