中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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朋友

最近、メッセンジャーに見知らぬ人から、メールが飛び込んできました。”友達になりませんか?”と言うものです。MSNメッセンジャーやYAHOOメッセンジャー、SKYPEなどのコミュニケーションツールはインターネットを介してコミュニケーションする物で、費用がかからない、または電話やその他のツールに比べて、比較にならないほど格安でコミュニケーションが出来る為、中国人にもかなりのユーザーがいるようですし、私もよく利用しています。

さほど多くはありませんが、たまにこのようなメッセージが見知らぬ人から届くこともあります。今回のかたは、中国桂林に住んでいるという20歳代の男性でした。普段なら気にも留めずに廃棄するのですが、メッセージに次のような文章が載っていたために、印象に残ってしまいました。原文を表記しますが、中国語なので文字化けする場合も有るかもしれません。あしからず。

  朋友: 不一定合情合理,但一定知心知意;
      不一定形影不离,但一定心心相惜;
      不一定锦上添花,但一定雪中送炭;
      不一定常常联络,但一定放在心上;

これを上手に日本語に訳すことは、私の能力では出来ません。でも、よく読み返してみるとなんとなく意味がわかってきます。

私に、このような”朋友”がいるだろうか・・・などと思い返してみると、私が勝手にそう思っているだけかもしれませんが、居ないわけでもないかな、とも思います。

中国では、友達関係を利用したビジネスコミュニケーションの文化が存在します。ビジネスに利用される”朋友”が上の文章に表現されるような物なのかどうかはわかりません。が、私は少し違うのではないか、と思います。

私が小学校のときに読んだ物語に”走れメロス”という物がありました。ご存知のかたもいるかと思います。命を賭けるほどの”朋友”関係がこの現代に存在するのかどうかは知りませんが、少なくとも、お互いに利害関係がなく、お互いに信じあい、お互いに助け合い、心配し合う、そんな朋友の存在は素晴しいと思います。
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by wata1150 | 2006-03-30 19:21 | 日記

和泉がつぶれた。

近所で、歩いてもいけるところに有った日本食のレストラン”和泉”がつぶれました。

開店して、わずか半年たっただけでした。私は、同僚のF氏と昼食を食べに行ったのが最初だったのですが、それでも開店後お客さんとしては10番以内でした。それで、ママさんとも店員さんとも親しくなり、通っていたのです。

家庭料理と銘打ってあるだけに、日本の普通の家庭で普段に食べるような料理を出してくれ、気負わずにリラックスして食べることが出来るレストランとして重宝していました。無論、接待用とかには使わず、もっぱら気の会う同士、職場の同僚などと一緒に、また、私の家族が上海に来たときは、中華料理に飽きたらつれて行き、ホッとくつろげる、良いレストランでした。時には、一人で夕食を食べに出かけたりもしました。また、店員さんも、ママも気さくで、おしゃべり好きで楽しい人たちでした。値段もリーズナブルで、安心してオーダーすることが出来ました。

オフィスが浦東に移ってから、以前のように頻繁に行くことはなくなりましたが、それでも週に一回か2週間に一回は顔を出し、心のマッサージをしていました。

今日は、同僚のF氏が知人と、飲み会に出かけ、一人だったので、帰宅後フラッと、でかけたのですが、店は閉まっており、”店内改装の為、当分休業します”という張り紙が出されていました。が、店内の電灯がついていたので、入ってみると、中はぐちゃぐちゃになっており、ママさんと店員の二人、それにコックさんが一人、椅子に座ってボーっとしていました。ママさんは私が来たことを喜んでくれ、ビールをサービスしてくれ、そして潰れてしまったことを何度も私にわびながら、潰れるに至った経過を話してくれました。

彼女によれば、大家さんと彼女と彼女の友人との共同出資で店を始めたのだそうです。大家さんが家を提供して、彼女が接客担当、友人が調理担当、そして大家さんと調理担当の友人が仕入れも担当したのです。ママさんは接客担当、いわば営業責任者で、売上の確保を担当し、開店以来一応、目標の売上を何とかクリアーしてきたのだそうです。また、調理担当の友人は調理の腕は一流で、確かにおいしい味を出していました。ただ、大家さんが仕入れがずさんで買わなくても良い調味料を買ってみたり、品質の良くない魚や野菜を買ったりで、相当ムダをしたそうです。また調理担当の友人は、30人も客が入れば一杯になるような小さなレストランで調理担当者を8人も雇いいれ、その給料も結構高かったのだそうです。

そんなことで、売上目標はクリアーしていた物の、赤字が続き、結局潰れてしまったのだそうです。

二人の店員さんも、明日からは仕事がなくなってしまい、路頭に迷ってしまいそうでした。安徽省から上海に出てきたという二人の店員は、まだ日本語も十分とは言えず、次の就職先を探すことはなかなかたやすいことではなさそうです。決して美人とはいえないのですが、とても明るく、仕事熱心で、また勉強熱心で感心な子たちです。早く次の就職先が見つかれば良いと願わずにはいられません。

ママさんは少し休んだ後、再度どこかで日本料理店を開きたいと思っています。どこででも、開店したら、連絡してくれるようにお願いし、再会を約束して和泉を去りました。

上海では、あちらこちらに日本料理店が開業し、また消えてゆきます。経営的にはさほど儲かる商売ではないのかもしれません。また、客商売なだけにママさんや店員さんの印象一つでお客さんの入りに大きな影響が出ます。味の出し方も重要です。まずい店には、やはり足が遠のきます。過去に私が何度か言った店は、やはり味がいまいちで、どうも中国人がみようみまねで料理を作っているようです。やはり、そんな店にはなかなか足が向きません。

早く、和泉の再開が出来るように願わずにはいられない気持ちでした。
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by wata1150 | 2006-03-29 22:22 | 日記

京劇

京劇を見に行きました。上海市福州路にある逸夫舞台というところでやっているものです。

演題は前座的なものが一つと、メインの京劇が一つです。前座は、意味はわからず、ただボーっと見ていただけでした。

本題のものは、結果としてわかったのですが、三国志の中の有名なくだり”泣いて馬ショクを切る”という名場面。諸葛孔明が馬兄弟の一人ショクを主人劉備の為、泣く泣く殺してしまうと言うくだりです。

無論、せりふや唄は皆目理解できません。でも、諸葛孔明に扮した”東軍”という俳優の非常に透き通った声が印象的でした。
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京劇は、中国語の発音が聞き取りにくい上に、チャイニーズオペラと呼ばれるように、独特の節回しで歌われるせりふなので、意味は全くわかりません。ただし、舞台横の壁に置かれた表示機で、せりふが表示される為、文字から推察して、やっと意味がおぼろげながらわかる程度です。
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幸い、過去に小説本で三国志を読んだことがあったので、ストーリーを必死に思い出しながら目の前の京劇の場面と一致させるべく頭をフル回転させての観劇でした。

また、京劇を支える、いわば”お囃子”的な演奏も強烈に印象的でした。ドラ、二胡、琵琶のような中国古典楽器、トランペットに似た吹奏楽器、などとても種類が多く、演奏者も10人ぐらいはいましたでしょうか。一人で何種類もの楽器をこなしながら舞台を盛り上げていきます。

約3時間半ほどの観劇でしたが、客席は6分から7分の入りで、観客のほとんどは中国人の、しかも年配者が多く見受けられました。後は、我々のようは外国人が数十名程度でしたでしょうか。

私の個人的な印象から言えば、ストーリーは良く知られた中国古典、音楽は中国古典音楽。メロディーは中国独特の哀愁を帯びた節回し。とてもユニークで、しかし、一度理解できたならば、とりこになってしまいそうな物でした。
初めての京劇でしたが、今度はインターネットなどで、演目を下調べしておき、いろいろな京劇を見て見たいと思いました。
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by wata1150 | 2006-03-27 02:15 | 上海

春の蘇州

所用があり、蘇州まで出かけてきました。午後から、少しの時間を利用して、虎丘と留園を覗いてきました。

週末で、本来休日ですので、ゆっくりと出かけ、会う予定のM社の方とは昼食を一緒に食べることにして、蘇州市内の某レストランに行きました。そこで食べたのが、蘇州名物の料理です。蓮の葉と泥に包んだ鳥一羽(鴨かな?アヒルかな?)を蒸し焼きにしたものです。
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これを、ハンマーで割って、中の鳥をお皿にその場で盛り付けてくれます。これがなかなかおいしいのです。蓮の葉で包んであったため、香ばしく、蒸し焼きにしている為、やわらかく珍味です。蘇州に行く機会のある人にはお勧め料理ですね。

ランチミーティングの後、留園に行きました。前回留園に行ったのは昨年12月でしたが、とても寒くて、駆け足で回ったのでした。が、今日は日差しも有り、気温も15度以上はあったと思うのですが、歩くとうっすら汗ばむほどの日和でした。ゆっくりとはいえませんがそれでも、寒い思いをせずに、一回りをしました。園内には既に花々が咲き始めており、特に入り口に近い中庭の椿の花の赤さには、思わず息を呑むほどでした。
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留園を出て、虎丘に行きました。虎丘のシンボルはなんと言っても、中国版ピサの斜塔です。
写真の中でも塔全体は映っていませんが、石碑との関係から塔が傾いているのはわかってもらえると思います。
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虎丘でも花があちらこちらに咲き誇っており、特に丘の中腹一面に咲き誇る薄紫の花は見事でした。花の名前には疎い私ですが、この見事な花には感動しました。夕方で、写真写りはいまいちでしたが、いつかまた、この花を見て見たいと思います。

もう少し暖かくなったら、再度蘇州の庭園めぐりをして見たいと思っています。
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by wata1150 | 2006-03-26 03:02 | 中国国内旅行・出張

自転車の盗難

ある知人の女性が、新しい自転車を買ったと言って、見せてくれたのは昨年の年末ごろだったと思います。それまでは、勤務先まで徒歩通勤で25分くらい歩いていたそうです。また、彼女は日本語の学校にやはり30分くらい歩いて通っていました。そうやって数年が過ぎ、やっと貯めたお金と、友人から少しお金を借りて、折りたたみ式の、しかも変速ギアの付いた新しい自転車を購入したのです。値段は千数百元したそうです。ぴかぴかの綺麗な青い塗装のおしゃれな自転車でした。日本で買ったらきっと2万円以上はするでしょう。

上海で、自転車は、安い物は新品でも100元前後からあり、いわゆる“ママチャリ”は100元そこそこで買うことが出来ます。一方、マウンテンバイクやドロップハンドルのスポーツ用自転車も良く見かけるようになり、自転車屋さんの店頭では1000元くらいから数千元程度で売られています。こういうレベルの物は日本と価格差はほとんど無いようです。

さて、彼女は東北の遼寧省から出てきて、最初は日本食レストランで朝から夜遅くまで働き、家賃1000元以下で、共同トイレ、共同シャワーしかない古いアパートに友人の女性と住みながら、故郷の両親に仕送りを続け、日本語会話を学び、少ない生活費を節約して生活をしてきました。そして少しずつお金をため、やっと自転車を買ったのです。日本食レストランですから、日本人が多く来店するので、お客さんを捕まえては話しかけ、わからない日本語が飛び出すと、2度も3度も繰り返して聞き、広告用紙の裏紙を使ったメモに書きとめ、日本語を学び、携帯電話は中古の安いものを使い、会話はせずにメールで済ませ、食事は全てそのレストランのまかない食ですませ、そうやって生活を切り詰めながら明るく働いていて、とても好感の持てる女性でした。

先日、レストランで彼女と会ったとき、なんとなく寂しそうな顔をしているので聞いてみました。するとしばらく逡巡していたのですが、おもむろに買ったばかりの自転車を盗られたというのです。彼女にしてみれば、上海に出てきて、初めて自分のお金で買った、最重要の“財産”だったのです。毎日、使い終わると、折りたたんで4階の自室まで持って入り、職場では、店の裏の空き地の立ち木に、チェインキーを2つもかけておいて置いたというのです。あるとき、夜、仕事が終わり、自転車で帰ろうとしたら、自転車が消えてしまっていたのです。

彼女はいま、再び徒歩で通勤し、通学しています。“上海は怖い。私のふるさとでは、外に鍵もかけずに放置していても、誰も泥棒なんかしない。もう、上海では自転車は買わない。”彼女はそう言って、また仕事に戻って行きました。

その他にも、上海で物を盗まれた話は日常茶飯事に聞きます。ある、別の女性は、バスの中で転寝をしている間に携帯電話と盗られました。時々行くスナックのオーナーの男性は、マンションに泥棒が入り、パソコンやカメラなどの貴重品ばかりでなく、買い置きの下着まで取られてしまった、と苦笑していました。

幸い、私は今まで上海で盗難にあったことはありません。マンションはセキュリティが比較的しっかりしていますし、お金は財布にはわずかしか持たないようにしています。鞄はひったくられないようにベルトの付いた物を肩から、たすきがけにして持ち歩くようにしています。用心に用心を重ねてはいますが、更に注意するに越したことはありません。
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by wata1150 | 2006-03-25 10:06 | 上海

上海の展示会

今日、龍陽路にある上海国際展示場で開催されている半導体関係と、電子機器関係の展示会を駆け足で見てきました。

この展示場は2週間前に中国華東進出口商品交易会という別の展示会でも訪れており、今回が初めてではありません。が、とても広い展示場で、一通り全部のブースを見て回るのは、大変なことです。特に、興味を引かれるものが多いブースが数多くあると、とても一日では回りきれなくなります。

上海の展示会は(日本でも多いのですが)カタログを受け取るケースが多いので、どうしても紙袋などをもらい、もらったカタログを入れて持ちながら会場を回るので、最後はカタログを持ちきれなくなって、途中で帰らざるを得ない状況になります。そこで最近では小型のキャスターの付いたキャリアーケースを持参し、それにカタログなどをいれ、会場を回る人もいるようです。

前回の華交会では繊維製品と雑貨(日用品、ギフト用品、園芸用品、家庭用品、陶器)などが中心で、見れば一目で内容がわかるので、あまり時間をかけないでも回れたのですが、今回は電気、電子製品、部品や半導体製品、半導体製造装置、半導体生産の検査機械などが中心なので、見ただけでは良くわかりません。

私は、液晶関係、ワイヤーハーネス、電源、リレー、LED表示装置などに絞って見て回ったのですが、それでも結構大変でした。それぞれの部品製品は私が客先から引き合いをもらったり、問合せをもらったりしているものなので、勢いしっかりと内容を把握し、場合によっては後日その会社を訪問し、詳細な打ち合わせに発展しないとも限らないからです。
6棟ある展示会場のうち1棟を見ただけで、2時間もかかってしまい、手には10kgくらいはあると思われるカタログや資料の束を持っていました。

数年前にこの展示場で何かの展示会を見たことがありました。そのときは、ほとんどのブースの中国人は英語や日本語ができず、日系の会社では日本人のお客さんに対しては日本人スタッフが対応していました。今回の展示会で、もっとも驚いたことは、どのブースでも中国人スタッフがほとんど英語で対応していたことです。最近、北京オリンピックや上海万博に向け中国として英語教育に力を入れているという話は聞いていましたが、これまでに進歩しているとは思いませんでした。

もちろん、ほとんどは若手社員しかも女子社員が英語や外国人客先対応要員としてきているのでしょうから、専門的なことは皆目わかりません。”後日、回答します”という返事になってしまう場合が多いのですが、それでも、その女性スタッフのE-Mailアドレスや携帯番号を聞けるので、後日こちらから電話連絡するのに抵抗感はありません。

電子、電気機器、部品関連は中国のメーカーが出展し、外国人バイヤーが購入するという構図で、これは納得できます。事実、私もそうなのですから。ところが半導体生産製造機器のブースでは出展者はほとんどが欧米系または日系で中国メーカーはほとんどありません。で、バイヤーはほとんどが中国メーカーです。要は中国で中国メーカーが海外の半導体生産設備を購入し、生産技術を導入し、半導体を生産し、海外に出荷する構図が出来ているということなのです。電子電気機器部品のブースではあまり活況を呈しているとはいえなかったようです。それは
同様の展示会は他にも多々開催され、多くの外国人バイヤーがその都度訪れているので、今回見なくても・・・ということなのでしょうが、半導体生産機器関係のブースは黒山の人で、中国が如何に最先端技術をより早く導入しようとしているか、また世界NO2といわれる外貨保有を如何に積極的に投資して更に発展しようとしているのか、ということが如実に感じられます。いわば燃えている中国の熱気そのもののようです。

私は、くたびれて3時間ほどで引き上げてしまいましたが、今度このような展示会があるときにはキャリアーケースを準備して、じっくり見て見たいと思っています。
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by wata1150 | 2006-03-23 22:05 | 上海

WBCで日本が優勝

WBC(ワールドベースボールクラシック)で、日本が初代チャンピオンになりました。
勤務日なので、TV中継を見ていたわけでもなく、インターネットで、NBLのHPで中継していたのを、時折覗いた程度でしたが。

松坂、MVPだそうです。松坂や上原、渡辺など後半になって、調子が上がってきて良いピッチングをしていました。

WBCでは特殊なルールがあります。ピッチャーの投球数制限、連投制限など、普段の日本のプロ野球や、アメリカのNBLでは存在しないルールです。投手を保護するルールなのでしょうが、逆にエース一人では勝てない、リリーフ陣もしっかりしていないといけない、どちらかというと投手力の差が勝敗を左右するようなルールです。

ペナントレース開幕前のことでもあり、各選手とも、例年であればオープン戦で今からゲーム勘を養い、調子を上げてゆく時期です。ですから選手にとっては例年とは異なった調整を強いられ、今年は長い一年になるのだろうと思います。だからこそ、投手保護の特殊ルールも必要になるのだろうとは思いますが。

韓国は運がなかった。一次予選、二次予選とも全勝で突破、準決勝で初めて日本に敗れました。一次予選、二次予選とも全勝したティームは韓国以外にはなかったのですから。今大会の勝率では六勝一敗でした。結果的に優勝した日本は一次予選二勝一敗、二次予選一勝二敗、決勝トーナメントで二勝、計五勝三敗。数字で見れば圧倒的に韓国の方が良いわけですから。

決勝で敗れたキューバは過去アテネオリンピックをはじめ、過去にオリンピックで3回も優勝している、強豪です。それでも今大会の通算成績は5勝3敗でした。主催国のアメリカはNBLの主力選手を揃え、万全で大会に臨み、優勝しかないという気持ちと意気込みで戦っただろうと思いますが、皮肉にも3勝3敗で決勝トーナメントには進めませんでした。日本も一次、二次予選通産では3勝3敗でアメリカと同率でしたが、特殊ルールの同率の場合の規定の適用で、日本が決勝トーナメントに進み、アメリカは予選敗退、そして日本が最終的に優勝してしまったのですから、なんとも運に恵まれたとしか言いようもない感じです。

私は、例年NBLをTVやインターネットで見てきましたので、最近は日本のプロ野球よりなじみがあり、密かにアメリカを応援していたのですが、残念でした。

TVのニュースでは、日本ではWBCの日本の勝敗に一喜一憂して、最後の準決勝、決勝では大いに盛り上がったとのこと。トリノオリンピックではあまりさえなかった日本だっただけに、溜飲を下げた感じなのでしょう。

このWBCを契機に野球というスポーツが、もっと国際的にメジャーになり、交流が進めば、ますます面白くなるのではないかと、期待しています。
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by wata1150 | 2006-03-21 20:56 | 日記
excite-blogのなかで、tubomimさんという在日中国人の方が書いて紹介していた中にあった「泰康路210弄」に行って来ました。  http://tubomim.exblog.jp/ 参照
今日は上海はとても暖かく、午前中は日も差していたので、久しぶりに散歩方々、出かけたのです。

家の前からタクシーに乗り、運転手に「泰康路210弄、田子坊」と書いたメモを見せ、ここに行ってくれ、とお願いしたのですが、この運転手は「泰康路210弄」という場所を知りませんでした。
「泰康路」という地名を知らない様子です。うっ!これはやばい!地図で調べて置けばよかったかな?と思いました。が、タクシーの運転手は地図を取り出し、調べだしました。ところがしばらく調べて、ギブアップの様子です。今度はどこやら携帯電話をかけ、誰かに聞いている様子。ところが相手も直ぐにはわからないみたいで、しばらく話していましたが、やっとわかった様子で、走り出してくれました。なんと徐家氾路からちょっと入った道路でした。

後でわかったことですが、地下鉄一号線、陝西南路駅から歩いて15分ほど南に下ったところでした。観光地図には「泰康路芸術街」などと表示されています。

「泰康路芸術街」そのものはさほど大きなスペースではなく小さな路地といった感じの街です。たくさんの小さな店や画廊、陶器店などが軒を連ねています。一通り見るのにさほどの時間は掛からなかったのではないでしょうか。多分、1時間もあれば見て回れるほどです。その一角にやはり古い工場の跡を利用したカフェーがありました。アメリカンコーヒーとブルーベリーチーズケーキで一時間ほどボーっとしていました。私の上海でのお気に入りの場所になりそうです。
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また、このカフェーの外の内庭になったところはオープンカフェーになっており、暖かいせいもあって、多くの人たちがコーヒーを飲んだり、おしゃべりをしたり、ギターを演奏してみなに披露したり、思い思いに過ごしていました。
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小さいスペースで、さほど多くの観光客が訪れる場所ではないようですが、なかなか面白い物が多くあり、また彫刻や油絵、陶芸などわくわくしながら見て回り、ちょっと疲れたらお気に入りのカフェーでボーっとする。なんとも優雅でおしゃれな休日を過ごした気分で帰ってきました。
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by wata1150 | 2006-03-19 03:01 | 上海

ある中国人夫婦

先日、とある中国人女性とおしゃべりをしました。

彼女は、正確には知りませんが、見たところ40歳を少し過ぎたくらいでしょうか。日本に17年間も住み、同年輩の中国人男性と日本で結婚し、子供も一人生まれました。夫婦で、日本で会社を起こし、分社を上海に作り、現在は上海でしっかりと人生を歩んでいます。

数年前、彼女夫婦はひとつの選択を迫られました。一人娘が学校に上がるのです。日本で生まれ育った娘さんは日本語は問題ないのですが、問題は中国語です。両親は共に上海出身で夫婦の会話は上海語です。ですから、娘さんは上海語は聞いていてわかるのだそうですが、中国語の標準語の普通語は皆目わからないのです。会社を設立し、夫婦で会社を守るために一生懸命働いてきて、気が付いたら母国語が話せない中国人の娘になっていた。これはまずいと、夫婦は考えました。夫婦も娘も日本の永住権は既に取得しています。ですから、日本に住む分には問題はないのですが、彼女の両親や兄弟達は中国に住んでいて、将来は一緒に暮らしたいと考えていたのです。でも、娘が中国語が話せないのでは、一緒に住めません。

彼女夫婦は、思い切って中国に移住帰国をすることにしたのです。日本の会社は存続させ、ご主人がしばしば帰国をして対応し、上海に分社を設立して、彼女が日常対応をこなす、と役割分担を決め、夫婦で上海に帰国しました。娘は地元の比較的良い学校に入学させ、中国語をマスターさせ、中国人として歩ませる、その第一歩を踏み出したのです。

娘さんは、なかなか地元の学校にはなじまなかったそうです。言葉が違い、生活習慣も違う。中国人でありながら中国人でない自分に、苛立ち両親に当たったそうです。そんな娘を両親は毎日交代で学校の送り迎えから、日常の生活の中での友達つくりなど本当に一生懸命尽くしたのです。今では、娘さんも中国人社会に溶け込み、何の不自由も無い生活を送り、学校に通っています。英語と日本語をも勉強しながら。

この両親が娘に徹底して教えていることがあります。公共のマナーです。自動車に乗って娘を送り迎えしているのですが、右に曲がるときは右の方向指示器を点滅する、車の列に割り込んだら、後ろの車にハザードを2~3回点滅しありがとうのメッセージを送る、横断歩道で人が歩いてたら、横断が終わるまで車を停車させて待つ、電車に乗るときは降りる人が全て降りるまで待つ、年配者には席を譲るなど、日本人の中では極めて常識的なことです。それが、現代の中国、それももっとも先進的な都会である上海においてすら、まったく出来ていない。彼女は娘さんにはそんな中国の悪いところ、遅れているところは日本に長く住んでいた経験から、しっかりと娘さんに教育しているとのことでした。娘さんは、皆が守っていないのにどうして自分だけが守らなくてはいけないのか疑問を持つことも多々あるそうですが、丁寧にいちいち説明をしながら教えているのだそうです。いずれは中国の全土でそういう公共マナーがよくなる日が来ると信じて。

いま、このご主人は日本と中国を何度も往復しながら、会社を維持し、奥さんは娘さんの面倒を見ながら、上海の分社をしっかりと経営なさっています。大きな会社では決してありませんし、それ程大きな利益をいつも上げているわけでもありませんが、地道に着実に一歩一歩前進しています。

この夫婦は長いこと日本に滞在し、感性もかなり日本人に近い物があるので、このようなことが出来るのでしょう。上海には長い間海外に住み、海外の生活拠点を持ちながら上海で生活している人がたくさんいると聞きます。私のブログ仲間のchouheiさんもいずれはこんな人たちの仲間入りをするのでしょう。そしてそんな人たちが、結果的に未来の中国を背負って行くであろう事を感じています。

1時間ほどのおしゃべりでしたが、とても楽しい時間をすごした気がしています。
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by wata1150 | 2006-03-17 22:47 | 上海

上海に戻ってきました

8日間の日本出張を終え、上海に帰ってきました。

自分のベッドにひっくり返って、やっと出張が終わって帰ってきた、と言う実感です。上海の家は会社が借りている、言わば会社の社宅なのですが、日本から離れた上海なのに、一番落ち着く、くつろげる場所に、いつの間にかなっていました。驚きです。

風邪が治らず、微熱が続き、喉がはれており、日本で病院に行って治療を受け、薬をたくさんもらってきましたが、ここ上海の自宅に帰ってきたら、風邪もなんとなく治ってしまいそうです。昨夜遅くに浦東空港に着き、昨夜は苦しくて大変だったのですが、今日は熱も引き、咳が多少出る以外は、問題ないようなところまで回復しました。昨年6月までは横浜に住んでいましたし、日本に行っていることが精神的ストレスになっているとは思えないのですが、なんとも不思議です。

さすがに、今朝は、昨夜遅くに帰宅した疲れが残っており、起きてから出社するまでに通常の時間より30分は多くかかってしまいましたが、明日からは通常の調子で勤務できると思います。

つい先程、このブログでも紹介した事のある、Y君から電話がかかってきました。彼は現在シンセンに出張中で、17日に帰国するそうです。また、上海かシンセンは、又は神戸で再会することにして電話を切りました。毎月のように、彼は中国に出張してきており、大変だと思います。私と同年代ですから、海外出張は肉体的にも精神的にもつらいだろうと思いますが。

私も、彼に負けずにバイタリティを維持して、風邪などで体調を崩したりしないよう気をつけて頑張りたいと思いました。

明日は、サプライヤーさんとの早朝ミーティングです。
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by wata1150 | 2006-03-15 23:57 | 日記