中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
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無事帰国しました

3ヶ月ぶりの日本です。
今日、中国時間の朝7時に家をでて、仙台に着いたのは夕方、日本時間で5時でした。北京発の飛行機でしたが、北京の天候が悪く、2時間遅れで上海に到着。その結果上海を出発したのは午後1時15分。結果的に2時間半ほど遅れて16時45分に仙台に到着。家に着いたのは夕方7時でした。計12時間かかって仙台の家に着きました。

仙台は雪です。気温は零度くらいでそれ程寒いわけではないのですが、家の前に止めた車のフロントガラスには直ぐ雪が積もります。今は10cmほどは積もっているでしょうか。今年は例年になく何度も雪が降ったのだそうです。久しぶりに雪道で車を運転してみました。運転は半年振りだったのですが、直ぐに慣れて、運転は問題ありませんでした。

夕食は久しぶりの我が家で妻と二人だけでチゲ鍋を突っつきました。寒いときには体が温まるので、我が家では冬場の定番メニューです。下の息子は友達との飲み会とかで、まだ帰っていません。上の息子は正月明けに試験があるとかで、今年は帰省はしないそうです。娘は塾帰りに家庭教師の先生とすしを食べにいったとかで、やはり10時頃に帰ってきました。

日本茶を飲み、子供たちとたわいのない話をして、体がリラックスしてくるのを実感します。やはり、中国にいるときには常にどこかに緊張が続いていると言うことを改めて実感します。

明日は、いよいよ大晦日。今年も無事に一年が終わりそうです。天気があまりよくないので、初日の出を見ることが出来るかどうかはわかりませんが、間違いなく新しい年が始まります。
例年、我が家ではNHK紅白歌合戦を見ながら年越しをします。今年も紅白を無事に見れることを、幸せに思います。
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by wata1150 | 2005-12-31 00:05 | 日記

2005年の最終勤務日

いよいよ2005年の最終勤務日を迎えました。
とは言っても、もう何もすることができません。オフィスの机の中はもちろん、電話やFAXも梱包されました。あとはこのコンピュータをはずして梱包するのみです。明日、すべての荷物は新しいオフィスに運ばれます。
1月4日、浦東にある、仮オフィスで開梱され接続するまで使用できません。

このオフィスでは、同居している他の会社も最終の引越し準備に追われています。通路には当社の物をはじめ、各社の荷物がダンボールに積み込まれ、高く積み上げられています。

前に勤務していた会社でも、オフィスの移動や引越しは何度かかありましたし、転勤で自分の荷物を整理したこともあります。でも、整理できずにまとめてダンボールに放り込み、転勤先まで持っていった事もありました。

でも、今回は違います。このフロアーを借りている会社はこのたび会社清算し、中国から撤退するのです。経理や人事の人は大変です。機密書類の整理をはじめ、今までにやってきた業務書類を廃棄するもの、日本に持ち帰るもの、業務を引き継ぐことになった会社に引き継ぐものなどに分別しなければなりません。廃棄するものは今日中に処分業者に渡さなければいけません。みな、普段のスーツを作業服に変えて、頑張っています。

どの会社も、年末は区切りのときですが、今回はより、区切り、世代交代などを意識させてくれる年末になりました。

来年、新しい年はどんなことが起こるのでしょうか?私の仕事の上で、生活の上で。
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by wata1150 | 2005-12-29 14:31 | 日記

帰国ラッシュ

上海駐在員達の帰国ラッシュが始まりました。

海外に駐在する日本人にとって、年末年始の休み、中国の旧正月など長期休暇の時期は格好の帰国休暇のタイミングです。中国では年末年始休暇というのはありませんが、日系の会社では数日の連休にしているところが多いようです。特に今年は週末と年始が重なる為、中国人スタッフにとっても連休になるところが多いようで、皆楽しみにしています。

私が勤務しているオフィスでも今日から帰国する日本人が出始めました。
S商事のAさん、B社のYさん、M社のMさん、当社のFさんなど、明日には帰国します。
この一年間ほとんど帰国することのなかった人、この年末で会社を清算し、中国から撤退する人、数ヶ月前に会社を設立し、これから頑張ろうという人、みなそれぞれの思いをもって年を越しに帰国するのです。

あちらこちらで、年末の挨拶の声が聞こえています。”今年は本当にお世話になりました。来年も宜しくお願いします。よいお年をお迎えください。”など、いろいろ聞こえてきます。中国人に向って”新年快楽”と言っていた人もいました。一年の区切りの時期としての新年でもあるわけです。

中国人にとってはちょっとわけが違います。彼らにとって、日本人の年末年始休暇は、別に自分達の休暇があるわけではなく、今年の場合、1月2日から仕事が再開するわけですから、特別な感慨があるわけではありません。が、頭を押さえつける上司や先輩がいなくなるときでもあります。ですから、どこかにリラックスした表情をもって、仕事をしているようです。
そして、1月末から始まる中国の”春節”(旧正月)の話をする人たちもいます。上海出身の人は意外に少なく、安徽省、江蘇省、浙江省、山東省、遼寧省、四川省、広東省、福建省など様々な地方から出てきている人は、春節に帰省し、家族揃って新春を祝い、一緒に過ごすのです。列車や飛行機で帰省する人、長距離バスで延々8時間かけて帰省する人、両親や親戚の話しをする人など、やはり中国人にとっても一年に一度の春節休暇は楽しみなようです。

私は、12月30日に帰国し、1月8日に上海に戻ります。10日間もあるのですが、両親の家に行ったり、日本の本社に顔を出したり、初詣に行ったりで、結構忙しい日々になりそうですが、楽しみです。

そして、春節の時期は上海に残り、中国の春節を見てみようと思っています。
中国人スタッフの中で上海に残る人たちに、面白い、中国的な春節が見れるところを教えてもらって。
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by wata1150 | 2005-12-27 22:06 | 上海
いよいよ2005年もあと5日を残すのみとなりました。
今まで、30年以上も会社勤めをしていて、年末のあわただしさなどは、正直、余り意識してはいませんでした。が、今年は海外に生活し、年末年始の休みを利用して一時帰国すると言う日程です。帰国の日が近づいてくる一方で、年内に片付けなければいけない仕事、仕事の相手先や、関係会社などにクリスマスカードを発送したりと言う仕事など、何でも自分でしなければならず、また、年末から年始にかけてオフィスの引越しなどもあり、なんともあわただしい年末になりました。
おまけに、あちらこちらで忘年会とか、クリスマスパーティとか、お酒を飲む機会も増えています。それでも、時間は確実に過ぎて行き、いよいよ年末です。

若いときには時間はゆっくりと過ぎ、歳をとってくるに従い、感じる時間は早くなっていきます。

思い起こせば、今年は私の人生にとって非常に大きな転機になりました。
30年以上努めた会社を定年扱いとは言え、早期退職し、運良く今勤めている会社に再就職し、上海に生活拠点を移して駐在生活を始めました。わけのわからない中国語という言語に困惑しながら毎日生活し、仕事をしている自分を、前の会社にいるときはとても想像できませんでした。それでも駐在生活も5ヶ月を過ぎ、上海という街にも慣れ、片言の下手な中国語でタクシーに乗ったり、買い物をしたりという生活を送り、仕事の上でも、徐々に活動範囲も広がり、人のつながりも増えてきています。

60歳という年齢に手が届くようになっての大きな生活環境の変化、仕事の変化は思っていた以上にストレスがあり、負担に感じることもありますが、人間という物は強い生き物で、結構環境の変化に対する順応力はあるものだ、と感じているこのごろです。

あと数日で帰国し、久しぶりに家族とすごす時間をもてます。あと、ひと踏ん張りです。風邪を引かないように、気を緩めないように、自制しながらの日々です。
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by wata1150 | 2005-12-27 00:04 | 日記
浙江省寧波(ニンボー)に本社工場のある、とある会社の工場を視察することになり、出かけてきました。

寧波までは上海から車で高速を使って約3時間の旅です。
上海を抜けると田園地帯が広がっています。西施という絶世の美女伝説がある西湖という美しい湖が杭州のそばにあります。西湖を見ることもなく、通り過ぎ、紹興酒で有名な紹興の町も過ぎて、やがて寧波に着きます。寧波は海岸沿いにある都市で、気候も内陸部とはかなり異なります。当日は寒い日だったのですが、海のそばにある関係で風が強く、なんとも外を歩くのがつらい日でした。寧波工場に着いて、早速昼食です。海に近い町なのに魚は川の魚でした。どうも中国は、余り海の魚は食べず、川の魚が多いようです。ただし、味付けはいわゆる江南料理で
日本人には余り抵抗のない味だと思います。2時間ほど工場視察をし、車で蘇州に向います。

寧波から、少し上海方向に戻り、それから高速道路を西に向かいます。寧波から蘇州までは2時間強かかります。片道3車線や4車線の広い高速道路を、乗用車や大型小型のトラック、バス、トレーラー車などが切れ目なく走っています。中国の経済発展のすごさを感じられる光景です。
蘇州は以前にも書きましたが、観光地でもあります。寒山寺、虎丘などの名跡、留園や拙攻園などの名園がいくつもあります。それらの観光スポットは全て旧市内に点在しており、その外側に旧市内をはさんだ形で新区と呼ばれる地区と園区と呼ばれる地区が存在し、工業団地になっているのです。我々が投宿したホテルは新区から程近い所にある小さなホテルでした。こぎれいで、設備も整っており、上海だったら一泊700~1000元くらいするようなホテルでしたが、なんと朝食付きで300元でした。上海から100kmちょっとしか離れていないのですが、価格格差、地域格差を見たようです。上海の物価が如何に高いかを物語っているようです。
蘇州の新区の近くに日本人街ともいえるような一角があります。日本料理店、日本式のクラブやバーなどが軒を連ね、看板には日本語があふれていました。蘇州に住む日本人がどれほどなのかは正確には知りませんが、一説には5000人とも1万人とも言われているそうです。これらの日本人の経済力がこの日本人街を支えているのです。とある、日本式のクラブに招待されました。スタッフのシャウチェ(小姐)は全員日本語が達者です。日本式の名前を持っている人もいます。それでも、価格は安いのです。テーブルチャージは130元/一名、ボトルは300元くらいだったと思います。上海に比べると約半額です。

蘇州で、私が以前勤務していたM社のT氏に会いました。クラブで飲んでからでしたので、深夜の11時頃だったのですが快く出てきてくださいました。現在M社蘇州工場にはN氏も赴任され、日本人が増えてきているようでした。N氏に電話をし、次回は一緒に食事をする約束をしました。

翌日は朝無錫に向います。無錫は蘇州からさらに西側、南京市との間にあります。太湖という大きな湖のほとりに有る町です。歴史的にはとても古い町なのだそうですが、車窓から見る光景は一面の工業地区に映りました。無錫の工場を見た後、蘇州に戻り、列車で上海に帰りました。

蘇州から列車で上海に戻るには、切符を買わなくてはなりませんが、切符の窓口では既に全列車の切符は売り切れになっています。これには理由があります。近所のダフ屋が早朝に全列車の切符を買い占めてしまうからなのです。ですから蘇州駅ではいつも多くの人たちであふれています。翌日の列車の切符を買うひと、数時間も後の列車を待つ人などです。ダフ屋で切符を買うと正常な料金の1.5倍から2倍はするので、まだ、買い占められていない先の列車の切符を買う為に並んでいるのです。
私は最も早く上海に着く列車の切符を買う為、迷わずダフ屋に行き、定価22元の切符を35元で買いました。45元といわれたのですが、何とか35元まで値切りました。
実は、オフィスで出入りの旅行社に切符を頼んでも買うことは出来ます。でも、手数料という名目で15元から30元は取られますので、結果は一緒なのです。ですから、よく行く町の駅の近所のダフ屋は、顔なじみになっている方が得なようです。

ともかくも、午後3時頃上海にたどり着き、勤務に戻りました。今度は杭州や、蘇州、無錫などを時間をかけてゆっくりめぐって見たいと思いました。
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by wata1150 | 2005-12-25 12:12 | 中国国内旅行・出張

忘年会

昨夜、同じオフィスを共有している数社が合同で忘年会をしました。
忘年会という行事は、中国にも台湾にもありますが、これらは旧正月の前に行います。今の時期の忘年会は日系企業ならではです。

場所はオフィスに程近いGホテルの韓国レストランで行われました。総員約30人の、割合に大人数の忘年会です。中国人が約20名、日本人が約10名程度です。普段は相互にはほとんど会話のない人たちで、顔を見知っている程度の人たちがほとんどです。しかし、中国人のほとんどは日本語をかなり達者に使いますし、ほとんどの日本人は片言の中国語を話します。とても別々の会社の人たちとは思えないような、和気藹々とした雰囲気で忘年会は始まりました。

過日、このブログで書きましたが、主催したA社はこの29日に業務の全てを終了し、会社清算に入ります。同じフロアを共有した会社同士の解散会の意味もありました。ビールに始まり、紹興酒、そして中国の宴会では定番の白酒を飲み、盛り上がりました。宴会の途中で、抽選会も行われ、120元の交通カードから数千元のテレビまで中国人には全員当選するようにして抽選しました。私も300元の交通カードが当たりましたし、同僚のF氏は時価800元の健康食品が当たりました。が、日本人が当選した場合は、没収され、中国人に当たるまで再抽選されます。
不思議と大物商品はすべて女性社員に当たり、後日電気屋さんや、デパートから商品が届けられるそうです。

みんなでデジカメで写真を撮りあい、メールで写真を交換する約束をし、一時会は終了しました。中国人数名は白酒を飲みすぎて、ダウンしていましたが、私は何とかつぶれることなく2次会に向いました。2次会は上海でも1、2を争う大きなナイトクラブです。女性数名を含む10数名が参加しました。中国人も日本人も、普段は話などしたこともない人たちとカラオケで盛り上がり、深夜1時頃まで飲んで騒いでいました。中国人も日本人も、男性も女性も、これだけ仲良く遊べるし、感情を共有できるし、友達でいられることに驚きました。
アルコールが残って頭は少しふらふらしているのですが、精神的には、何か久しぶりにストレスを発散し、すっきりした週末を迎えました。

A社の清算があと4日後に迫り、各社もオフィスの移転で騒がしくなってきました。私たちのオフィスも浦東にやっと決まり、来週は引越し準備です。私は30日に年末年始の一時帰国の準備もあります。いよいよ、2005年もあと一週間です。
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by wata1150 | 2005-12-24 18:30 | 日記

年末の帰国

いよいよ年の瀬が近づいてきました。上海の町もよく見ると店舗の店先や、レストランでも、クリスマスデコレーションが飾り付けられています。大きなツリーや壁掛けツリーなど様々です。夜にはライトも点灯され、うきうきとした感じをかもし出しています。

今年の年末には一時帰国することに決め、航空券を手配しました。上海から仙台に行き、仙台で正月をします。帰りは東京に寄って、かかりつけの病院に行ったり、以前勤務していた会社の仲間に会い、また、東京本社にも年始の挨拶をし、8日に上海に戻る予定です。

仙台にいる間に、初詣に出かけたいと思っています。近所の神社になるかもしれませんが。
また、春先以来行ってない、私の実家に、母親に顔を見せに行き、親父の墓参りもしたいと思います。また、一方で散髪屋に行き、スーパーで日本の調味料を買い、冬用のコートを持って帰らなければいけないとか、音楽CDなども上海に持ち帰ろうかとか、あれこれ考えています。

はたまた、久しぶりに顔をあわせる娘や息子達との時間を大事にしたいとか・・・・・。

あれこれ考えるととても楽しみです。

私は、ここ10年以上単身赴任が続き、家族には迷惑をかけっぱなしでした。彼らの協力無しにはこんなに長く単身赴任生活など出来なかったと思います。これからも何年かはこういった生活は続くのでしょうが、せめて年末年始の区切りのときだけは一緒にいてあげようと思っています。
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by wata1150 | 2005-12-20 19:46 | 日記

100回目の投稿

今回で丁度100回目の投稿になりました。
記録を見ると、今年7月中旬からブログを始め、丁度6ヶ月たちました。毎月平均20回くらい何かかにか、書いてきたことになります。よくもまあ、これだけ書いたものだと思います。
7月に書き始めたときは、まあ、三日坊主とは行かなくとも、3ヶ月坊主位は何とか頑張ろうと思って始めました。また、それ程書くアイテムも無いのではないかとも思っていました。それが、いま、7月の書き始めから読み返してみると、同じような項目を書いたこともありますが、まあ、いろいろあったもんだと思います。仕事の内容は書けませんから、どうしても私生活が中心になります。そういう意味では、まあまあの上海生活を送っているのかな、と、一人で納得している部分もあります。

この6ヶ月間でおおよそ800人の方が、一応は覗きに着てくださいました。私が書き始めた7月時点は、妻や、息子や娘、それにほんの限られた数人にしかアドレスを教えませんでしたので、多くの方に覗きに来ていただけるとは思いもよりませんでした。まあ、最初は誰が覗きに来てくださったのか、わからなかったのですが、時々突然”ブログ見てるよ”なんて言われて、びっくりしたりしているのが本当のところです。
私が以前勤務していた会社のAさん、Sさん、Bさん、中国でブログを通して友達になったHさん、Tさん、Cさん、以前から中国関係の仕事でお付き合いさせていただいているKさん、日本にいたときにあるHPを通じて知り合ったMさん、Dさん、など。
多くの方が覗いてくださっていると思うと、あまり変なことも書けなくて、書くときに緊張したり、何度も読み返して失礼なことがないか、とか気にしながら書いています。でも、それがよい励みになって、数日書く時間がなかったり、精神的に疲れていて、書く気が起きないようなときにも、皆さんのことを思い出すと、何か書こうという気が起きてきます。

上記のHさんもブログをお持ちになっています。彼は以前、自分のブログを読んだ人の反応がなくて、心配になったこともあったようでした。私とて多少は、読んだからには何か反応が有っても良いのではないか、と思ったこともありました。でも、最近は一日に覗いてくれる人が10人以上になって、何も新しいUPがないと、何か申し訳がないような気持ちになり、何か一言でも書こうかな、と思うようになります。

時々はこのブログを覗いていただいている皆さん、今後も出来るだけ、つまらないことも書くかもしれませんが、できるだけ長く続けようと思っていますので、今後も時々はのぞいてみてください。時には叱咤激励など、コメントを一言いただけたら感謝です。継続の大きな力になります。
宜しくお願いします。
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by wata1150 | 2005-12-18 13:36 | 挨拶
今回は、ちょっとシリアスな現実を。仕事のことは書かないつもりだけれども、こういう現実もあるのだと。

私の所属する会社は、日本にある会社の上海現地法人です。上海に設立登記してから半年が過ぎました。仕事は・・・まだまだ仕事をしているとはいえない状況で、資本金を食いつぶしながら、毎日あくせくとしています。
オフィスは古北路と仙霞路の交差点に近いオフィスビルにあります。ある大手総合商社の子会社のオフィスの一角を又借りして事務所としています。このオフィスには私どもの会社だけではなく、他に4~5社が同居しています。

最近この家主の会社(仮にA社と呼びましょう)が会社を清算して、日本から撤退することになりました。A社の親会社はサラリーマンなら誰でも知っているとても有名な会社です。しかし、A社そのものは1年前に設立され、やっと会社としての体裁も整い、これから本格的に営業をしようという矢先でした。親会社の方針として、年間利益が一定額以下の子会社は清算、整理するという方針が下されました。当初は、設立して間もない会社は該当しないということだったそうですが、最終的には例外なしということで、清算対象になったのだそうです。
総経理は日本の本社から出向している人で、彼自身は清算後本社に戻ることになっています。しかし、現地従業員はたまりません。基本的には全員解雇です。日本語を日本人並みに駆使し、営業グループの先頭に立って、これから販売を伸ばそうと張り切っていた人がいました。経理業務のプロとして、会社立ち上げと同時に入社し、総経理のブレインとなって活躍しようとしていた人がいました。この前の7月に大学の日本語科を卒業し、社会人としての人生を踏み出したばかりの人もいます。清算が発表されると、次の就職先を探す人、せっかく獲得した客先に断りが入れられず、混乱している人。様々です。
総経理のT氏にしたところで、混乱していました。ついこの間、人材募集し、面接を繰り返し、数ヵ月後に解雇を言い渡さなければいけないのです。
12月末を持って業務は終了。総務、経理の人以外は解雇されます。2月末には総務、経理の人も解雇です。1月からは別の会社で仕事をすることが決まっている人もいますが、まだ次の就職が決まっていない人もいます。総経理は、何とか全員に次の仕事を見つけてやりたいと、毎日頑張っています。
彼の話では全ての清算が終わるのは3月か4月になる見込みとか。清算は設立よりもエネルギーが必要と苦笑いをしていました。

同じA社からスペースの又借りをしているB社。上海に会社設立してから2年になります。最初の一年で最初の資本金を食いつぶし、社長さんに泣き付いて増資をしてもらったのだとか。2年を過ぎて、今やっと収益も出始め、後一年もすれば、食いつぶした資本金も取り戻し、経営も軌道に乗ろうとした矢先、やはり本社の都合で撤退を余儀なくされました。歯を食いしばって、商売に注力してきた総経理のYさん、顔では笑って説明してくれたけど、どんなに悔しかったか。やはり12月末日で店じまいをする予定で、最後の整理をやってます。
折角構築した中国の客先との関係。 やっとの思いで獲得したメーカーの総代理店の看板。仕事にもなれこれから実力発揮と張り切っていた中国人スタッフ。彼らも、悔しさを胸に秘めて、お客さんに理解してもらう為に飛び回っています。

同じくA社にオフィススペースを又借りしているC社。現在は上海駐在員事務所として活動しています。
C社はA社の撤退の話があったときに、すばやく別のオフィスを探し、契約を済ませました。また、これを契機に上海現地法人の設立を目指して、急速に体制を構築しつつあります。中国人従業員の採用、業務の拡大などを積極的に進めています。A社から、営業社員一名、経理社員一名を移籍で採用することになりました。日本からの駐在員も増強する予定です。すべて、すばやい対応で即断即決、従来、現地で駐在員事務所代表だった人の活躍が光ります。

同じく、A社からスペースを又借りし、10月から駐在員事務所を開設したばかりのD社。代表の方はまだ30代の若い方です。ほとんどオフィスには戻らず、東奔西走頑張ってます。日本サイドと協議し、一年以内に現地法人を設立するとのことで、上海にある人材斡旋会社を回り、技術スタッフ数名、総務経理スタッフ数名の採用を行うことを決定し、人探しを始めました。新規のオフィスも探し始め、年内には決定するそうです。やはり、現地で状況判断し、即断即決で物事を決めて行きました。一方で彼はは営業、技術を一人で担当し、客先確保、販売拡大に走り回っています。

先日上海に支店を持つ、ある大手銀行の支店長代理の方と話をする機会がありました。彼の話では、依然として上海及び近郊に進出している日本企業の数は増加しているのだそうです。しかし、伸び率は大幅に低下しており、撤退する企業もまた、大幅に増加しているとか。中国に行けばどうにかなる、とか、中国の金融事情やら、貿易に対する規制だとかを十分に調査をしないで、進出した企業はやはり撤退の憂き目に会う確率も高いのだそうです。
人民元の自由化がされていない、共産党の一党独裁政権下の中国です。
チャイニーズドリームも転がっているかもしれませんが、危険な落とし穴もまたゴロゴロあるのです。

私が所属する会社も、何時、どうなるかはわかりません。何とか経営を安定し、永続的に会社が存続できるよう、努力しなければいけないことを、身にしみて感じているこのごろです。
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by wata1150 | 2005-12-17 00:07 | 上海
実は、彼女はこの間の日曜日に帰国しました。滞在記は、彼女が帰った後、私の帰宅後、時間を見つけて、書いてます。
彼女の両親と妹は4泊5日でしたが、彼女は上海に計10日間滞在していました。その間、両親と妹とともに観光していたのは3日間、あとは日中は家やその周辺でブラブラ、夕方から私と一緒に、市内散策や、買い物などをしてすごしました。
豫園、淮海路などの散策、古北路近辺の散策、南京路や衡山路をブラブラ歩き、などでした。
別に、これという目的で買い物をしたわけではありません。私としては、現在私が住んでいる上海という町の紹介をしたかっただけです。物価の話、言葉の話、仕事の環境、中国の文化など
本当に久しぶりに長い時間話をしました。
私が、横浜で単身赴任生活を始めてから17年が過ぎました。その間、妻は一人で、子供を育て、教育し、高校入試や大学入試の面倒をやってきました。さらに10年ほど前から、小さな私塾を始め、一時は70人くらいの子供を預かって、勉強を教え、家計を支えてくれました。
今、私は58歳、妻は52歳。私はあと何年上海で仕事が出来るのかわかりません。その間、彼女は今までと変わりなくこの生活を続けてゆくのでしょう。
そんな思いが私をして、彼女を上海の街中に連れ出し、寒い中散歩をし、こんな環境で生活し、仕事をしてるんだよ、と紹介する行動をおこさせていたのでしょう。

彼女の言によれば、彼女の中の中国のイメージは何十年か前の、文化大革命の時代のイメージとさほど変わらなかったのではないかと思います。または現在TVなどで紹介されている中国の農村をそのままにしたようなイメージだったのかも。現在日本のTVではかなり頻繁に中国の近代都市の映像が流れています。観光雑誌やパンフレットでも現代の上海の様子は紹介されています。でも、あまりそのようなイメージは持っていなかった様子でした。
それが、初めて中国という国、上海という都市を訪れ、単なる観光ではなく、どちらかといえば市民生活を垣間見て、私の生活環境を見て、大きく中国の、上海のイメージが変わったのではないかと思います。日本よりもある意味では近代化した大都会上海を。しかし、一方では、同じような、しかし、なんとなく日本と異なる文字をつかい、発音がまったく異なり、日本にはありえない発音をしなければいけない中国語という言葉の中で、何もかもが不自由な思いをしながら生活をしなければいけないことを実感してくれたのだと思います。

今まで、17年も単身で生活してきた私にとって、しかも、そのほとんどを、海外と関わって仕事をしてきた私にとって、上海生活は、さほど苦ではなくむしろ刺激的で楽しめる生活です。

彼女の帰国間際、また、時間を作って上海に来るよう勧めました。彼女も頷いてくれました。実際はまだ学生である二人の息子とひとりの娘を社会人にするまで、彼女も私も仕事をしなければいけません。そう簡単に、彼女が上海に来れるとは思いませんが、この10日間で彼女との距離がぐっと近くなったような気がしています。

今度の正月には日本に帰り、久しぶりに家族で過ごしたいという気持ちが強くなりました。
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by wata1150 | 2005-12-15 22:51 | 上海