「ほっ」と。キャンペーン

中国で単身生活をすることになったTADAの日々の感じた事を気ままに書いてます。


by wata1150
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28

カテゴリ:上海( 68 )

和泉 日本家庭料理の店

上海、国際展示場で展示会があり、上海に来ました。我が社はそれほど大きな会社ではありませんから、展示会に出展するのは滅多にありません。今回は久しぶりの出展で、プロモーションビデオを作ったり、カタログの整備をするなどの下準備をし、また、ブースの設計をしたり、サンプル展示の準備をしたりと、やってきました。(私がやったのではなく、スタッフがやったのですが・・・)

私は久しぶりの上海なので、誰に会おうかとか、何を食べようとかを考えて楽しみにしていました。そして、夕食の一回は和泉にしようと決めていました。

和泉は、以前ブログでも書いたように、一度つぶれて、現在の店長の亜希さん(中国人なのですが、本名は知りません。)が復活させた店です。家庭料理の味というのが売りで、その名の通り、あまり気取らずに食べ、くつろげるのがこの店のいいところです。お客さんを接待しての料理という感じでは全くありません。但し、その味は外国で食べる日本料理にしては、美味しいと思います。どこかお袋の味を上品にした感じもします。

店長の亜希さんに電話をしてみると、席を取っておいてくれるとの事。数名のスタッフを引き連れ夕食を食べに行きました。

スタッフは一人を除き全員が入れ替わっていましたが、それでも、亜希さんの指導が良いせいか、きびきびと動いていて、挨拶もしっかりとしていて、気持ちの良い接待の様子。以前の和泉と変わりは無くなんかほっとしました。但し、メニューは品数が増え、装丁も立派になり、成長した感じです。

ところで、和泉で食べている最中に、突然亜希さんが紙にプリントしたものを持ってきて、「これ、あなたが書いたの?」。見ると、私が昨年書いたブログをそのままプリントしたのでした。「和泉がつぶれた」「和泉の復活」と2回投稿したのですが、その両方を持っていました。「ありゃー、悪いことをしたかな?」と、亜希さんの顔を見ると、とても真剣な顔をしています。「これはまずいなー」と思いつつも、仕方が無く頷くと、突然にっこりと笑顔で「ありがとう」といいます。「ん?これは???」といぶかしんでいると、「これで作者が見つかった」とニコニコ顔です。

更に隣のテーブルに行って、「作者が見つかった」と知らないお客さんに報告しています。そして、“あの人”と、私を指差して、そのお客さんに紹介しているのです。彼は私を見て、会釈をしてくるので、仕方が無いので私も会釈を返しました。どうも、彼女は私がブログに和泉のことを取り上げたことを感謝しているようでした。

要は、私のブログを偶然に見つけた上海在住の日本人男性がいて、たまたまその人が和泉のお客さんだったというわけです。で、そのお客さんが亜希さんに報告し、亜希さんが私のブログを見つけて、そのページをプリントした、というわけです。世の中は狭いなあ、と思いながら亜希さんと話をしていると、「特別サービス」と言いながら女性店員が、今が旬の上海蟹を私のテーブルの全員に振舞ってくれました。ブログで取り上げた御礼と言うことなのでしょう。

亜希さんと話をしながら食事をして、ふと“○○さんはどうした?”と、以前和泉に勤務していた女性店員のことを聞いてみました。すると、亜希さん、にっこり笑って、一枚の名刺をくれました。「バー望」と書かれています。和泉の姉妹店として、“望”というバーを明日開店すると言うのです。これにはびっくり。そして、“○○さん”は開店準備で“望”に行っていると言うのです。

和泉の経営が軌道に乗り、姉妹店を開店するまでになっていたのです。今回は“望”まで行く時間は有りませんでしたが、いずれ行くこともあるだろうと思います。「亜希さん、頑張って!」と思いながら帰ってきました。
[PR]
by wata1150 | 2007-11-15 21:36 | 上海

上海(2)

初めて上海を訪れたのは初めて中国に足を踏み込んでから結構時間が過ぎていたとおもう。当時は主要客先が上海には無く、広東省に有った客先の顧客として数軒のお客がいた程度であった。上海浦東に初めて降り立ち、上海市内に入ったとき、上海は他の中国の都市と色が違うことにすぐに気が付いた。高層ビルが林立し、タクシーやバス、乗用車などが道路一杯に走り、それまでの中国各地の都市とは明らかに趣が違った。まるで中国から外国に出かけたような錯覚を覚えたことを記憶している。

初めて中国を訪れてから数年後、初めて上海に降り立ち、上海のお客さん回りや市場の状況などを調べて歩いた。そして、初めて、上海には上海語があり、それは上海人で無いとわからないと言うことを知った。スタッフは当時広東省出身の女性で、私に「今のは、上海語だから、私にも全然理解できない」と教えてくれた。そして上海には上海の文化があり、同じ中国と言えども、北京の文化や広東省の文化とはそれぞれ微妙に異なることを学んだ。

上海を中心にして中国全土に販売チャネルを持つ大手ディストリビュータを見つけた。上海にあったあるディストリビュータからの紹介である。その、大手ディストリビュータに我々の商品を販売してもらうために上海通いが始まった。毎月数回は足を運んだ。その紹介してくれた客先や目標としたディストリビュータと何度か食事を共にし、お酒を飲んだ。その場所が徐家匯であった。が、当時は徐家匯が上海のどのあたりにあるのかさえもわからなかった。今でもその大手ディストリビュータに在籍していて、いつも我々とやりあったWLさんや、WLさんを紹介してくれたCBさんとは交流がある。

当時、私の理解では「上海」は、中国で最も中国らしくない、歴史的な史跡も無い、大きなビジネス社会という印象であった。したがって、北京に行ったときのような、感慨はあまり持たなかった。ホテルにチェックインし、お客様とビジネスの話をし、レポートを作成し、シャワーを使い、時々お客様と食事をし、お酒を飲む程度、東京や横浜にいてすることとほとんど変わらなかった。

だから、私の個人的感覚で言えば、上海は中国で一番面白くない都市であり、好きではなかった。この感覚は今でも多少はある。それで、いま上海に生活をしながらでも、私をして週末や休日に中国的なもの、中国的な場所、とくに古い時代の面影が見える場所へと誘うのである。

上海に来て11ヶ月が過ぎた。あと3週間で12ヶ月、丁度一年になる。言葉の壁に苦しみ、それでも何とか中国人の何人かと知り合いになり、夜遊びも多少は出来るようになり、仕事の上での知り合いも多少は広がってきた。
上海に来るときに始めた「TADAの上海日記」というブログ、一年間続けてこれた。無論直接業務に関することは書けないから、遊び、観光、生活などの話題が中心になる。内容も、薄っぺらな物が多くて、気恥ずかしい。それでも「継続は力なり」と言う言葉を信じ、何とか続けてきた。ブログへの投稿の為の取材旅行なんてこともあった。

いま、振り返ると、私のなかの上海像は大きく変わった。無機質で、ビジネス一辺倒で、古いものが追いやられ、新しい文化が街中を席巻し、情感も、ゆとりも何もないと思っていた「上海」だったが、今は生活の場であり、無機質と思っていた生活空間にも有機的に人間が結びつき、熱い情熱が飛び交っている。古いものも置き去りになっているのではなく、点在して綺麗に保存され、誰もが見て触ったり、味わったり出来るようになっている。まさに、非常に人間臭い現代都市なのである。
生活環境も、他の中国の大都市に比べると、我々外国人にとっては住みやすい環境だと思う。地下鉄が走り、高速道路が整備され、輸入食品や海外資本のデパートやスーパーが点在している。北京や広州、重慶、天津といった大都会とは全く違った環境なのである。無論、あまりにも急速に近代化、欧米化してきたために、社会的な矛盾がいたるところに見られる。しかしこれは時間と共に、徐々に解決されてゆくだろう。

いま、上海を去らねばならないという事態に直面している。再就職先はいずれ決まるだろうが、必ずしも上海とは限らない。上海が依然として好きな街ではないということに変わりは無いが、出来れば上海にこのまま住み続けたいものだ、と最近では思うようになってきている。私の「夢」の実現に向けて、その基盤としてはベストかもしれないと思えるようになってきたからである。

「TADAの上海日記」も今回で200回目の投稿を迎えた。我ながら、ほめてつかわしたい、とおもう。最近は一週間で200人から300人の人が覗いてくれるようになった。コメントのやり取りをしながら何人かの人とは実際にお会いしたり、メールのやり取りをしたり、と、いわゆる「ブログ友達」も増えた。皆さんに感謝の気持ちで一杯である。そして、何とか「TADAの上海日記」を継続したいと強く思っている。
[PR]
by wata1150 | 2006-06-21 13:01 | 上海

上海(1)

私にとっての上海とは・・・? ふと考えてみた。

以前、私はM電器という、日本では知られた会社で、あるコンピュータ部品の営業部門に在籍していた。この部品は日本ではほとんど需要が期待できず、営業はほとんどが海外であった。アメリカ、欧州、台湾、中国、シンガポールやマレーシアなどの南アジア、中近東等。私はその中で台湾、アメリカ、シンガポールなどを受け持ち、そして最後に中国を担当した。

このコンピュータ部品の市場は大きく分けてOEM市場と再販市場の二つであった。OEM市場とはいわゆるコンピュータメーカーを客先とする市場であり、再販市場とはDIY客を相手にするいわゆる中小規模のコンピュータショップやシステムインテグレーターと呼ばれるユーザーなどを対象にしたコンピュータ部品のディストリビュータを客先とする市場である。

台湾やその他の市場では、以前は私がこの部品の開発を担当していたこともあり、どちらかと言えば販売に必要な技術的なサポートを含めたOEM市場を中心に活動していた。この頃は世界の大手コンピュータメーカと呼ばれた多くの有名なメーカーを頻繁に訪問していたものである。

最後に中国市場を担当することになった。中国は、私個人にとってある思い入れのある国であり、いつかは担当したいと思っていた市場であった。その思い入れとは・・・。

私は、昔から本を読むのが好きで、文庫版をいつも5冊、10冊と買い込んでは読んでいた。年間で多いときは100冊以上も読むこともあった。読むのは出張先でのホテルや、移動中の飛行機や電車の中が中心だったが。推理小説や文芸作品、歴史小説などいろいろな小説を読み、その世界に浸ることが好きだった。もう10数年前になるが、三国志を読んだ。山岡壮一か誰かの文庫版だったと思う。7冊セットで読み応えがあった。しかし、いつかその世界にのめりこみ、出張中だけでなく家に帰っても、社内の昼食時間も本を離さず読んでいた。壮大なスケールと登場人物の世界観などに惹かれた。それから、三国志前後の時代に生きた中国歴史上の人物にスポットを当てた小説を買いあさって読んだ。陳舜臣や宮城谷昌光などが多く書いていた。それらの本を読んでいるうちになんとなく、その時代に生きた人物達のことをもっと知りたい、後世に語り次がれるようになったわけを知りたい、その当時の一般市民の生活感を知りたいと考えるようになった。最終的には三国志の時代背景、三国志にいたる思想、政治などの変遷を学んでみたいと思いついたのである。これを、会社生活を終えたあとのライフワークにしようと思うようになったのである。

中国古代史を学ぶには中国に行かなければならない。そう思っていた私だったが、実際は台湾や香港は訪れたことがあったが、中国本土は未体験であった。無論、台湾台北市にある故宮博物館は再三に渡って訪れた。一つの展示物を見ては長時間を費やし、その時代に思いを馳せていた。だから、中国市場担当は憧れでもあったのである。そしてついにその機会が訪れた。

当時、中国のコンピュータ産業は、台湾メーカが安い労働力を求めて大挙して中国に進出していたが、製品開発や部品調達などは全て台湾サイドでコントロールされており、中国サイドで営業活動できる状況ではなかった。従って中国市場における営業活動は必然的に再販市場営業であった。中国における再販市場の整備、マーケッティングが主たる業務になった。そして中国に足を踏み出したのである。

ところが、現在では多くの中国人が英語を立派に使いこなしているが、当時の中国は今まで経験してきた国々と違って、英語が業務として使えない国だった。中国では一歩市場に入ると、たとえ大手コンピュータメーカと言えども、英語が通じなかった。無論M社の販売会社では日本語か英語が通用したので、販売会社までは大丈夫だったが。やむなく私の専任スタッフとして中国人スタッフを雇用し、市場に出かけるときにはいつも同行してもらった。通訳として、秘書として。そして、中国語をマスターしないと中国古代史など及びも付かないことを実感させられた。

そして、中国市場に入って、深圳、広州、北京そして上海と訪れた。北京を始めて訪れた時にはとても感動したものである。そして、天安門広場や、故宮博物院、万里の長城などを、時間を見つけては歩き回った。その後多くの都市を巡ったが当時はそれだけ回ると、頭が痛くなった。何せ日中、客先と会っていると、会話は全て中国語であり全くわからない。夕方ホテルに帰ってスタッフとその日のまとめをしていると、頭痛がしたのである。

前置きが長くなってしまった。次回、上海の本論に行くことにします。
[PR]
by wata1150 | 2006-06-20 04:10 | 上海

衡山路探訪ー3

また、衡山路の“FRIDAY”と反対側には蔦の絡まった教会があります。
e0026744_2349333.jpg

e0026744_23495215.jpg

また、中庭が広そうなので、中に入って生きました。ガードマンがいて、普段は入れそうに無い雰囲気なのですが、ガードマンが居眠りをしている間にこっそりと。
e0026744_2354723.jpg

境界をあとにして、更に進むと、東平路に着きます。衡山路と東平路の角にラテン系のバーレストラン“SASHA”があります。
e0026744_2355586.jpg

ここは毎週日曜日には、“サルサ”というラテンダンスのディスコが模様され、中南米系のお客さんで賑わい、強烈なサルサビートとテキーラなどの強いお酒が飛び交います。写真は半年ほど前に、行ったときに撮影した物です。
e0026744_23563690.jpg

e0026744_23571555.jpg

ちょっと寄り道し、東平路を右に曲がります。雑貨の店、タイ料理の店、バーなどが並んでいます。
e0026744_23582823.jpg

タイ料理の店のテラスの席でちょっと一休み。トロピカルフルーツのサラダと、アイスコーヒーで喉とお腹を癒します。
e0026744_23591447.jpg

再び衡山路に戻ります。桃江路。ここが衡山路の終点です。この先、淮海路までは宝慶路という名前の道路です。
桃江路の角に白い壁のちょっとおしゃれな中国料理の店を見つけました。今度、一度行って見たいと思います。更に宝慶路を進むと香港料理の湾仔(ワンチャイ)を見つけました。
e0026744_001352.jpg

e0026744_004059.jpg

ワンチャイを過ぎると、やがて淮海中路にたどり着きます。淮海中路に出たところに地下鉄1号線常熟路駅がありました。
e0026744_011134.jpg

徐家匯駅から常熟路駅まで、地下鉄では2駅ほどの距離、ゆっくり歩いても一時間半ほどですが、結構楽しめた探訪でした。
[PR]
by wata1150 | 2006-06-08 00:01 | 上海

衡山路探訪ー2

この衡山賓館の丁度道路の反対側にカフェがあります。私はここのカフェのテラスで一休み、カフェラテをいただきました。
e0026744_315391.jpg

e0026744_3161289.jpg

一休み後、更に進むと、呉興路のところに“上海国際網球中心”というビルがありました。テニスセンターです。私も、テニスはやったことがあるので、やってみようと思っているのですがチャンスがありませんでした。今度、一度覗いてみようと思います。
e0026744_3164629.jpg

桃江路まで行くと地下鉄1号線衡山路駅があります。
e0026744_317255.jpg

この辺りまで来ると道の両側に小さなお店を見ることが出来ます。洋服やドレスなどのブティック、アクセサリーショップ、日用雑貨店、などさまざまです。但し、結構値段は張ってると思いますね。この辺で買い物をする客層は、上海の富裕階層の人たちか、外国人だと思われますので。
e0026744_3181085.jpg

e0026744_3184265.jpg

私は中国語が出来ないので通り過ぎただけでしたが、中国語を話す人なら、ウインドウショッピングだけでなく、一軒一軒中に入って、店の人と話をしたり、値踏みをしたりするのも、結構面白いのではないかと思います。
また、道の両側にバーや喫茶店もありました。
e0026744_3191463.jpg

e0026744_320090.jpg

また、ボーリング場もありました。いかにもアメリカ的雰囲気の外観でした。
e0026744_3204039.jpg

鳥魯木斉南路まで行くとレストラン“FRIDAY”があります。中国名はなんと“星期五”。当たり前ですが、何かおかしい。思わず笑ってしまいました。この“FRIDAY”の並びにはDISCOやバーが密集しており、歩道にせり出してテラスシートが設置されています。昼間でしたので、お客さんはまばらでしたが、夜になったらお客さんで賑わうのかも。北京の三里屯の夜の賑わいを思い出しました。
e0026744_3212086.jpg

e0026744_3215826.jpg

FRIDAYの鳥魯木斉南路をはさんだ反対側は人民解放軍の施設があります。衡山路の雰囲気にはふさわしくないと思うのですが、昼間は、緑に埋もれて、ひっそりと静まり返っていました。写真は撮影したのですが、何かでトラブルといけないので、掲載はやめます。
[PR]
by wata1150 | 2006-06-07 03:22 | 上海

衡山路探訪ー1

上海で恋人達の路と称される道路が、少なくとも2つあります。一つは“鳥魯木斉路”、そしてもう一つが今回歩いた“衡山路”です。いずれも夕方、カップルで歩いたら、ロマンティックな道路です。残念ながら一人でしたが、探訪してみることにしました。
 
衡山路への行き方は簡単です。地下鉄1号線衡山路で降りれば良いのです。でも、端から端まで歩こうとするなら地下鉄1号線徐家匯駅で降りて、14番出口から出ると匯金百貨店の隣に徐家匯公園があります。この公園が衡山路の一方の基点になります。
e0026744_1852734.jpg

e0026744_1847658.jpg

公園には遊歩道が張り巡らされており、いろいろな樹木が配置され、大都会のオアシスの雰囲気です。
e0026744_18474823.jpg

e0026744_18524634.jpg

公園内には様々な花も植えられています。
e0026744_18481991.jpg

季節が良いためか、樹木も花をつけていました。この白い花は開くと直径20cm以上はありますが、とても綺麗な白い花びらです。花の名前をチェックすることは忘れてしまいましたが。
e0026744_18485635.jpg

公園内には広場もあり、週末には親子連れが大勢訪れ、インラインスケートの教室なども行われていました。
e0026744_18492486.jpg

公園の一方の端には、モニュメントと噴水があり、週末には噴水がいろいろな軌跡を描いて水を噴き上げています。
e0026744_18495874.jpg

徐家匯公園を過ぎると、目の前に衡山賓館が現れます。樹木の葉の中に埋もれて、雰囲気をかもし出しているホテルです。
e0026744_1850317.jpg

衡山路は道路の両側に植えられた大きな広葉樹が日光を適当にさえぎり、また、枝が大きく路にせり出して、トンネルのようになっています。車列も表通りのように多くは無く、カップルが語らいながら散歩するには絶好な雰囲気です。
e0026744_18513289.jpg

何組もの若いカップル、中年のカップル、女性同士のグループなどが、手をつなぎ、肩に手を回し、おしゃべりをしながら通り過ぎてゆきました。
[PR]
by wata1150 | 2006-06-05 18:53 | 上海

七宝老街(七宝古鎮)

七宝老街に行ってきました。以前、ある中国人のブログ友達から誘われていたのですが、残念ながら時間が会わず、今回、一人で歩いてきました。古北新区からタクシーで20分か25分で行けます。場所的には、上海の西南の方向でしょうか。

入り口には北宋時代の様式の大きな門があります。
e0026744_3273316.jpg

裏側には北宋の時代の遺産と書いてありますが、建造物そのものはごく最近のものなのでしょう。
e0026744_3285637.jpg

門の内側には3重の塔が立っています。
e0026744_3301327.jpg

塔の向って右側に進むと、狭い路地にたくさんの土産物屋さんや、雑貨を扱っているお店が並んでいます。銀細工の店、チャイナドレスの店、アクセサリーの店など様々です。
e0026744_332310.jpg

更に進むと「綿織坊」と書いてある、綿工場跡がありました。江南地方の各地で綿花が栽培され、上海周辺で多くの綿工場があり、木綿生地や木綿の衣服を生産していたようです。入場料は5元でした。観光目的で工場を維持管理、展示するにはこれくらいの費用は必要なのでしょう。
e0026744_3371788.jpg

更に狭い路地を進んでゆくと、突然視界が広がりました。七宝賓館というホテルがあり、その先には運河がありました。運河には観光客目当ての小船が浮かんでおり、客を乗せて行き来しています。運河には幾つかの橋が架かっており、江南地方の周荘や朱家角を思わせる光景です。
e0026744_3415593.jpg

e0026744_342229.jpg

今日は、週末だった為、多くの家族連れや若い二人連れの人たちが運河を背景に写真を撮ったり、散歩をしたりしている光景を見ました。平日であれば、もっと静かなのかもしれませんが・・・。
橋を渡り、更に進むと両脇には食べ物屋さんが立ち並んでいました。お菓子屋さん、臭豆腐の店、江南料理の店などです。
e0026744_359978.jpg

江南名物「叫化鶏」もありました。この泥の塊を蒸して、熱い物を、泥を砕きよけて、中の鶏肉を食べます。蘇州で食べましたが、結構おいしいものです。
e0026744_44619.jpg

ここで、海常糕という伝統菓子を見つけました。前回、蘇州に行ったときに一度食べているので、同じものかどうか、ためしてみました。日本で言う「小判焼」に近く、中には小豆の漉し餡が入っています。
e0026744_3581214.jpg

e0026744_358362.jpg

更に路地を進み、右折すると中国の伝統娯楽である「こおろぎの格闘」の場所がありました。
残念ながら、こおろぎの格闘を見ることは出来ませんでしたが・・・。
e0026744_483567.jpg

やがて、反対側の入り口に出ます。ここは以前は入場料を取っていた観光地だったらしく、看板に七宝老街の説明書きがあり、入場券販売の窓口が残っています。
e0026744_41313.jpg

ここは、いわゆる上海観光のメインのコースからは、外れているのでしょうが、穴場的存在として、一度覗いてみるのも面白いと思いました。
[PR]
by wata1150 | 2006-05-28 04:15 | 上海

上海は暑くなってきた

先週末、上海に戻って来ました。
日本では、結構涼しく朝夕は、特に仙台では15度以下に気温が下がり、厚着をしないと風邪を引いてしまいそうな感じでした。また、私の家では、急遽高い灯油を買いに走り、何時間かは石油ストーブを点けて、暖をとったりもしました。
大阪は、結構暑くて外を出歩くと、汗ばむほどでしたが。

上海に戻ってみると、半そでのTシャツで十分なくらいに暑く、街を歩く女性はすっかり夏の様相。日中の気温は30度くらいにまで上がります。5月中旬でこの暑さですから、7月ー8月の暑さが思いやられます。
昨年は、連日40度近い猛暑が続きました。クーラーは回りっぱなし、日中は外に出ず、屋内だけで生活し、夕方、やや涼しくなってから外に出るという生活が続きました。昼食を食べに外に出るのでさえ辛かったと覚えています。
さすがの私も夏バテして、秋口に熱を出したりしました。上海で単身生活をしていて、最も不安なのは、病気をすることです。病院には行けても、細かい症状を日本語で説明すると同じように中国語で説明するなんて、不可能です。細かい説明なしに、また自分の病気の内容の説明を受けても理解できないとなれば、結局どうしようもありません。帰国して日本の病院に行くしかないのです。

今年の夏はどのような物になるのかはわかりませんが、我が家の電気代はまたまた500元を越すことになるのかもしれません。電気代は掛かっても、風邪は引かないように気をつけて生活しなければいけないと思っています。
[PR]
by wata1150 | 2006-05-24 12:14 | 上海
上海・浦東地区にはかなりの高層ビルが立ち並び、これが中国か、と思わせるほどの景観をなしています。そして、これらのビルのほとんどはいわゆるオフィスビルがほとんど、低層階にはショッピングセンターやレストランなどが入っています。
この浦東地区でひときわ目立ち、異彩を放つのが東方明珠のテレビ塔と、この金茂大厦です。
上海に観光に来る人は、必ずしも登ることは無いかもしれませんが、必ず目にするドデカいビルです。
e0026744_23101671.jpg私が上海に来て10ヶ月が過ぎようとしていますが、一度もこのビルに登ったことはありませんでした。黄金周最後の日、天気が良いのを機に、一度上ってみることにして、出かけました。
金茂大厦は8年前に完成した、中国では最も高い、世界でも3番目に高いビルで高さ450メートルです。ちなみに現在の世界一は台北101大楼の508メートルあります。
金茂大厦の88階には観光客に解放された展望台があります。今日の目標はこの展望台です。

e0026744_23225164.jpg展望台に登るには、専用の高速エレベータを使わなければなりません。ノンストップで88階まで40秒ほどで上ってしまいます。料金は大人一人50元でした。東方明珠のテレビ塔の最上階の展望台に登るには100元かかりますので、割安感があります。上ってみると、ワンフロアーがすべて展望フロアーになっており、対岸のワイタンや、隣にそびえる東方明珠のテレビ塔がすぐそばに見えます。

展望フロアーにはお決まりの土産品を売る売店、喫茶店、写真サービスショップなどがありました。驚いたのは喫茶店の安さ。アメリカンコーヒーは最近上海のあちらこちらにあるスターバックスで18元、上島コーヒーや眞鍋コーヒーでは25元前後するのですが、ここの喫茶店では20元でした。チーズケーキが22元とこれまた割高感は無く、ワイタンや東方明珠のテレビ塔を見ながらコーヒーを飲むのも悪くはありませんでした。みやげ物も東方明珠のテレビ塔に比べてもさほど高価とは思えず、むしろ安い感じがしました。

e0026744_23403555.jpg展望フロアーの真ん中にホテルの54階部分からの吹き抜けを覗くことが出来ます。ビルのほぼ半分の高さを覗き込むことが出来ます。

そしてなんといっても最大の見せ場は夜景でしょう。ライトアップされた東方明珠のテレビ塔やワイタンが綺麗です。ただ、私の写真の腕が悪くて手ぶれしてしまいました。
e0026744_23424148.jpg


蛇足ですが、いまこの金茂大厦のすぐそばに新しいビルが建築中で金茂大厦よりも高いビルになる予定だそうです。地震のない上海ならでは・・かもしれませんが、完成したら、また新しい上海の新名所になるのでしょう。
[PR]
by wata1150 | 2006-05-08 23:45 | 上海

多倫路文化名人街

今日も、上海は良い天気です。工場の多くも稼動が止まっているせいか、空気の透明度も高く、青空も爽やかな青さで気持ちの良い日です。ちなみに、今は深夜ですが、上海の空に星が見えます。これはすごいことです。

朝起きて、何気なく観光雑誌を見ていたら、「多倫路文化名人街」の名前が目に入り、暇つぶしに出かけて見ました。

地下鉄3号線東宝興路から、2,3分歩くと突然”東横浜路”という名前の道路表記が見えました。観光雑誌によれば、この辺は旧日本租界のあったところで、家の作りもなんとなく古い日本のイメージです。
e0026744_2411655.jpg

そこから路地を抜けると突然に多倫路の丁度中ほどにでました。
丁度5月の黄金周で人出は結構多く、外国人だけでなく上海人もたくさんの人が散策を楽しんでいました。
e0026744_242155.jpg

折りしも、中国各地から、石を室内装飾用に磨いたものを収集する好事家による展示会が行われていました。私は、そのような趣味は無いので、あまり積極的には見ませんでしたが、多倫路の魯迅公園側の入り口から、四川北路の出口まで、一杯に展示物を広げ、自慢したり、交換したり、販売したりしていました。
e0026744_2423125.jpg

魯迅公園側入り口から入り、程なくのところにある、路地を抜けると「中国左翼作家連盟記念館」という1925年に建てられた古い建物がありました。入場料5元を払って中に入ると、中国国民党時代に、社会主義思想を精神的に指導したと思われる多くの作家達の足跡が展示されていました。彼らの草の根の活動が、現在の中国社会主義体制の基礎となってきたのです。驚いたのはその作家たちのうち、数人は現在も存命であったことで、長い中国の歴史の中でも変化の激しかった時代が、遠い昔ではなく、つい数十年前の出来事であったことを、思い知らされます。
e0026744_243567.jpg

更に進むと、左側に昭和30年代の日本を髣髴とさせるようなレトロなコーヒーショップがありました。町の中の喫茶店、近所のおじさんやおばさんが集まって四方山井戸端会議でもやってそうな場所です。残念ながら、私が行ったときには客は誰もいませんでしたが。
e0026744_2433575.jpg

更に行くと、洋館風の喫茶店兼レストランがありました。数名の明らかに外国人と思われる人たちが、テラスのテーブルでビールを飲みながら談笑していました。
e0026744_244341.jpg

多倫路の両側には、古い石つくりのアパートが立ち並んでいます。いずれも1900年頃に建てられたもののようで
この付近の歴史を思い起こさせてくれます。
e0026744_2443590.jpg

この道路の両側には、多くの中国の文化人、著名人特にこの多倫路文化名人街の住んだ人たちの銅像があちらこちらに建っています。無論、私が知っている人の名前を見つけることは出来ませんでしたが。

魯迅公園側からブラブラ歩いて、約2時間、やっと四川北路側の出口に着きました。
e0026744_245498.jpg

多分、普通に歩けば20分くらいで歩けてしまうほどの距離なのでしょうが、辺りを見回しながら、出店を冷かし、骨董品の品定めをし、喫茶店でコーヒーを飲みながらおしゃべりをしていたら、一日ぐらいはすぐにたってしまうのではないかと思うくらいのところでした。
[PR]
by wata1150 | 2006-05-04 02:45 | 上海