中国に戻りました。
2011年 09月 06日
日本に滞在すること、おおよそ10日間で中国に戻ってきました。
最初の5日間は、ほぼ仕事で客先に行くか、あるいは日本連絡事務所でスタッフとの交流や会議で過ぎました。後の5日間は仙台の我が家に久しぶりに戻りました。
私の実家がある宮城県亘理町には母と妹が住んでおり、最近は日本に帰った時には必ず顔を出すようにしています。特に亘理町は太平洋に面しており、3月の地震では海に面した荒浜地区は大打撃を受けました。前回、帰国時に荒浜まで行こうとしましたが、途中で道路は封鎖され一般車は入れないようになっていました。今回は、時間がなくいけませんでした。次回は何とか浜まで行ってみようと思っています。
実家は地震そのものの影響による家屋への被害は非常に軽微で、住み続けるのには何の問題もないようですが、それでも壁のひび割れとか、屋根瓦の一部落下があり、妹がその修理の手配をしているようです。しかし、実際に大打撃をこうむった地域の住宅復旧や道路や生活インフラの復旧が優先され、家の修理は来年に持ち越されそうでした。
仙台の我が家も一部損壊という程度の被害が最終的に確認されました。とはいっても、実際の修理の必要性はほとんどなく、問題はありません。生活インフラも完全に復旧しています。しかし、2~3km離れた折立地区などはがけ崩れや住宅の地盤の崩れなどがあり、かなりの住宅が居住できなくなっており、問題になっているようです。
次回、いつ帰国できるのかはわかりませんが、早く復旧してほしいと願いながら中国に帰ってきました。
最初の5日間は、ほぼ仕事で客先に行くか、あるいは日本連絡事務所でスタッフとの交流や会議で過ぎました。後の5日間は仙台の我が家に久しぶりに戻りました。
私の実家がある宮城県亘理町には母と妹が住んでおり、最近は日本に帰った時には必ず顔を出すようにしています。特に亘理町は太平洋に面しており、3月の地震では海に面した荒浜地区は大打撃を受けました。前回、帰国時に荒浜まで行こうとしましたが、途中で道路は封鎖され一般車は入れないようになっていました。今回は、時間がなくいけませんでした。次回は何とか浜まで行ってみようと思っています。
実家は地震そのものの影響による家屋への被害は非常に軽微で、住み続けるのには何の問題もないようですが、それでも壁のひび割れとか、屋根瓦の一部落下があり、妹がその修理の手配をしているようです。しかし、実際に大打撃をこうむった地域の住宅復旧や道路や生活インフラの復旧が優先され、家の修理は来年に持ち越されそうでした。
仙台の我が家も一部損壊という程度の被害が最終的に確認されました。とはいっても、実際の修理の必要性はほとんどなく、問題はありません。生活インフラも完全に復旧しています。しかし、2~3km離れた折立地区などはがけ崩れや住宅の地盤の崩れなどがあり、かなりの住宅が居住できなくなっており、問題になっているようです。
次回、いつ帰国できるのかはわかりませんが、早く復旧してほしいと願いながら中国に帰ってきました。
by wata1150
| 2011-09-06 22:28