あけましておめでとうございます。
2011年 01月 01日
今年の新年は、仙台の自宅で迎えました。日本列島は寒波と雪のニュースが多い中、仙台は大晦日から雪は止み、穏やかな正月になりました。
今朝、新年を迎えた瞬間から、我が家では恒例の新年電話が始まりました。離れて生活するそれぞれの家族同士で電話を掛け合い、お互いに新年の挨拶をし、息災を確認するためです。そのため、お互い家族の全員が入れ替わって話すので、結構時間がかかるのです。私が子供の頃には、父がすでにそのようなことをやっていて、”紅白を見て、行く年来る年を見て、そして新年電話をして、父はそれから近所の神社に初詣に出かけるのが恒例でした。
まずは大阪の妻の両親です。義父も義母も80歳を越えていますが、元気で暮らしているようです。二人の娘はそれぞれ仙台と静岡に暮らし、今年は帰省もせず、正月は二人だけで過ごすそうです。二人の娘(私の妻とその妹)と何人かの孫を引き連れ、ハワイに遊びに行くといって張り切っています。3月ごろと話していました。
同じ宮城県内に住む私の母親にも電話しました。もっとも母親は90歳を越え、電話には私の妹が出ました。彼女は今は、母と一緒に二人で住み、家を守っています。「今日のうちに年始の挨拶と、母の顔を見に、午後にでも行くからね。」と伝えて、電話を切りました。
私の長男から電話が来ました。彼は弘前でいま、病院に勤務しています。彼はまだ医師として新人なので、盆暮れの夜勤をするのは当たり前なのだそうで、勤務を縫っての電話でした。それでも、張り切って仕事をしているようでした。
山形に住む次男から電話がありました。彼は薬剤師として大手スーパーの薬剤販売部門に属し、いまは山形県の田舎にある店舗に配属されて勤務しています。大晦日はかなり遅くまで店舗に残り、初売りの準備をして帰ってきたとかで、忙しそうでした。1月1日は朝9時から初売りだそうで、また勤務だそうです。「お疲れさん」「体に気をつけて」「時間が有る時に、また仙台に帰って母親に顔を見せるように」と言って、電話を切りました。
今年は、家族は全員が無事に新年を迎えることが出来た様子です。今日から3日間、ゆっくりと過ごして英気を養い、また中国に戻りたいと思います。