ハノイ滞在時、急遽自由時間になってしまった午後、チャーターした車の運転手に頼んで、市内の小観光に出かけた。何せ、車は朝8時から夕方4時までが契約である。使わなければ丸損である。
最初に出かけたのは、ベトナムの占領記念館ともいうべきもの。

ベトナムの歴史を思い起こせばわかるのだが、ベトナムがベトナムとして独立国家としてあるのはごく最近からであり、それまで長い時間外国により支配されてきた歴史を持つ。
まずは中国。1000年以上にわたって中国の一部であり続けてきた。したがって、ほとんどのベトナム人は祖先をたどれば、中国人である。今はさほど見られないが、中華街とでもいうべき一角には、中国語で書かれた看板だとか、表示だとかを見ることができる。
また、中国に続いて支配されたのはフランスである。フランス植民地として運営されてきた。そして、この記念館では当時の政治犯が収容され、処刑された牢獄跡を改造したものである。処刑のために使われた断頭台、いわゆるギロチンなども展示されている。

見ていても、きわめて不気味でおぞましい感じがする。
余談だが、フランスの植民地時代に、フランス料理文化がベトナムにもたらされ、現在のベトナム料理の原型を作っている。だから、ベトナム料理はちょっと中華料理とは趣が異なるのかもしれない。
その次にベトナムに侵略したのは日本である。当時のベトナムの反日のメンバーがこの刑務所に収容された。そして、脱獄のために下水道やトイレの廃坑などを使っていたらしく、その残骸が展示されている。

この排水溝の非常に狭い隙間をくぐり、脱走したのであろう。子供のような小さく細い体形でないと抜けることはできないであろうと思う。
最後は、アメリカの侵攻である。いわゆるベトナム戦争と呼ばれるもので、私の世代ではまだ記憶に新しい。当時のアメリカ兵の捕虜の様子、アメリカの爆撃機B-52から爆弾が投下される様子などがビデオで紹介されていた。
最終的にベトナム戦争で、当時の北ベトナムが、南ベトナムを攻略し、首都サイゴンを占拠し、ベトナム戦傷は終結した。私も、この建物を出るときに、非常に重苦しい気持ちで出てきたことを思い出す。単なる観光としてみるには、重いテーマだった。
次に訪れたのは、運転手が「UNIVERCITY」と呼んでいた、中国時代の学問所の史跡である。入口には大きな石造りの門がある。

そして、この門を入るとまっすぐの道が奥に伸びており、その道の両側に花文字があった。


ちなみに宿泊したホテルのフロントの女性スタッフに聞いてみた。「中国語が理解できる人はどのくらいの割合ですか?」。すると、「ほとんどの人はできない」という答えだった。祖父や祖母は中国人だが、今の世代の人は学校で英語は勉強しても、中国語を勉強はしない、ということらしい。したがって、この「UNIVERCITY」でも、案内表示はベトナム語と、英語だけであった。
UNIVERCITYの奥まったところは、中庭になっており、このような盆栽が多く並んでいた。

このような習慣は、まさしく中国文化そのものである。この建物の中で、多くの人が中国の歴史や思想などを学んでいたのである。
UNIVERCITYを後にし、最後に向かったのが「ホー・チ・ミン記念館」である。

残念ながら時間が遅く、中に入ることはできなかった。仕方がないので、その周辺を散歩をした。次回、ハノイに来る機会があれば、ぜひ中に入ってみたいものである。